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ソニーのM&A戦略「過去、現在、そして未来」


エレクトロニクス事業の不振を支える金融事業


 エレクトロにクス事業が低迷する中、同社の収益源となったのが金融事業である。

 「ソニー生命」「ソニー損保保険」「ソニー銀行」などを傘下に持つソニーフィナンシャルホールディングスは、リーマン・ショック時を除いて安定的に収益を生み出している。実は、こういった金融事業をソニーグループの一つとして取り入れることは創業者の一人である盛田昭夫氏の夢でもあった。

 ソニーは70年代からハード部門とソフト部門を会社の両輪として拡充させることを目指していたが、それに加え、盛田氏は金融事業を持つことの重要性を感じていた。それは資金調達のためだけではなく、企業の信用性やバランスを保つ重要な存在になると考えていたためである。現在のソニーは「金融会社」だと冷やかされることもあるが、エレクトロニクス事業に苦戦する同社にとって、金融事業は自社のバランスを保つ重要な存在となっている。

(過去10年間の売上高、営業損益の推移)

経済危機がソニーのM&Aを促す


 低迷したソニーをさらに追い込んだのが08年のリーマン・ショックをはじめとする経済危機だった。当時、リーマン・ショックをきっかけとした世界的不況と相まって、ギリシャ・ショック、極端な円高、東日本大震災と、立て続けに日本経済は危機的状況にひんし、同社だけでなく日本企業にとって非常に苦しい環境となった。こうした中、ソニーは家電業界ではかつて考えられなかったようなM&Aや企業提携を次々に行った。

 例えば、11年のシャープの液晶テレビ工場への出資、東芝、日立と共同出資でジャパンディスプレイを設立、12年のソニーとパナソニックによる、テレビ・大型ディスプレイ向け次世代有機ELパネルおよびモジュールの共同開発などである。

 特にソニーとパナソニックはこれまでライバルとして技術を競い合ってきた企業であるにも関わらず、共同開発に踏み切ったことは歴史的な出来事であるとまで言われた(ただし、13年には提携解消)。

(過去10年間の自己資本比率・現預金・長期借入金の推移)

分社化により経営転換を図る


 リーマン・ショックや東日本大震災を経て市場は落ち着きを取り戻したものの、ソニーはその間もエレクトロニクス事業の赤字に苦しんでいた。11年3月期と13年3月期こそ改善の兆しが見えたが、14年3月期には再び業績が悪化している。

 14年3月期には、傘下のエムスリーの株式、米国本社ビル、ソニー発祥の地である東京・品川のNSビル本社跡地、ディー・エヌ・エー株式の売却益を含めても最終赤字となっている。また、エレクトロニクス部門は3期連続赤字となった。

 ソニーのような多くの事業を持つ複合企業には、「コングロマリット・ディスカウント」と呼ばれる現象があり、個々の事業がいかに強くても、足の引っ張り合いやもたれ合いによって全体の経営効率を押し下げる現象が起きる。

 ソニーはかつて家電、音響・映像など、それぞれの事業を関連付けることでシナジー効果を発揮し、大ヒット商品を生み出してきた。そういった経験から事業の切り離しに踏み切れず、不採算事業のスリム化がなかなか進まなかった側面がある。

 しかし、14年3月期に不採算事業や保有資産の売却を行うなど手元資金を増加させ、それを好調な分野へ集中投資するという戦略が見受けられるようになった。そして、15年2月の中期経営方針では、全ての事業を分社化する方針を明らかにし、これまでの規模を追求してきた戦略から利益重視の経営を徹底すると表明した。

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M&Aアーカイブス2016年03月16日
石塚辰八
石塚辰八 Ishizuka Tatsuya
かつてのきら星のごとき日本のものづくりの名門が揺らぎ、堕ち、消えかかっている。ソニーも例外ではない。直近では復活の兆しも見せるが、果たして活路を見出すことはできるのか。今後はものづくりではなく、ITを駆使した仕組みビジネスへの変換を求められるなか、ソニーはどう岐路の選択をするのか。中国など新興外資の軍門にシャープ同様下るのか。まったく新しい事業へと大きく舵を切るのか。これまでの同社のM&Aの歩みからそれを推測する。

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