三菱重工と日立、火力統合のシナジーが出始めた矢先のなぜ?
三菱重工が日立に3800億円請求。南アのプロジェクト譲渡価格で意見対立
三菱重工業は9日、南アフリカ共和国でのプロジェクトを巡り、日立製作所に約3800億円の支払いを請求していることを公表した。同案件は三菱重工と日立が2014年に共同設立した三菱日立パワーシステムズ(MHPS)が、日立の連結子会社から引き継いだ火力発電所向けボイラ建設プロジェクト。日立側も同日、譲渡価格は両社の間で合意に至っていないと発表。巨額負担を巡り、両社の見解は大きな相違をみせている。
同案件はMHPS設立前の07年に日立子会社が受注した。MHPS設立にあたり、同案件の資産や負債、契約に基づく権利・義務をMHPSが継承。MHPS設立以前の損失については、日立が責任を負う契約を締結していた。
今回、三菱重工が同案件の評価額を算出した結果、日立側に約3800億円の支払い義務が生じると判断。3月31日に日立側へ支払い請求を実施した。一方日立側は、契約に基づく法的根拠に欠けるとし、請求には応じない旨を三菱重工側に伝えた。両社の見解は真っ向対立している。
両社とも契約条項をもとに、協議を継続していく方針。巨額負担への対応は、両社の新たな業績リスクになりかねない状況だ。
製造業における国内有数の事業統合からまもなく2年。火力発電システム事業の三菱日立パワーシステムズ(MHPS)が「世界一」の旗印を掲げ、毎年1000億円ずつ受注を積み増し、階段を着実に上っている。社長の西澤隆人は三菱重工業、日立製作所から引き継いだ国内工場のトップを入れ替えるなど組織融合を急ぎ、4月の労働条件統一をもっておおむね統合は完了する。米ゼネラル・エレクトリック(GE)による仏アルストムの事業買収など競合の動きも速く、立ち止まる余裕は皆無だ。シナジー創出に成長の源泉がある。
2015年8月末、南アフリカ。西澤は電力会社エスコム会長のベン・ウグバネと握手を交わし、同国最大規模の石炭火力発電所の商用運転開始を祝した。07年以降、日立が連続受注したボイラ12缶の初号機完成式典。ズマ大統領の到着が約2時間遅れたが、大統領の近くの席を用意された西澤は、蒸気タービンを担当したアルストム幹部の後方からの視線を感じながら、大統領の約45分間に及ぶ祝辞に耳を傾けた。
総額数千億円に及び、完成まであと4―5年かかるというMHPS最大級の工事。品質問題に起因する工程見直しや現地ストライキなど不運が重なり、約3年遅れで運転開始にこぎ着けた。西澤は2カ月に1度足を運び、現場を鼓舞するとともに、執行役員2人を張り付かせて進捗管理を徹底。ようやくここまでたどりついた
GE・アルストム連合、独シーメンスを追いかけるMHPS。欧米やアフリカなど競合の“シマ”に攻め込むと同時に、日本や東南アジアなど“本土防衛”に力を注ぐ。そんな攻守の要衝がフィリピンにある。
15年7月、シンガポールで開催された三菱重工エネルギー・環境ドメイン主催のアジアパシフィック(東南アジア、インド、中国、韓国、台湾など)地域拠点会議。ドメイン事業規模を17年度に2兆3000億円(14年度1兆9000億円)に、このうちアジアパシフィックで5200億円(同3000億円)を稼ぐ意欲的な計画が示された。
社長の宮永俊一以下、ドメイン長(当時)の前川篤ら大勢の経営幹部を前に、MHPSフィリピン社長の藤井宏志は一通りの説明を終えた後に一曲のポップミュージックを披露した。タイトルは「A Brand New Day」。軽快なリズムとともに、ボイラ溶接にはげむ従業員、家族や子どもも映し出され、エンドロールには「日立の樹(米ハワイ州オアフ島)」。これを聴いた宮永は絶賛したという。
<三菱重工の宮永社長(左)と日立の東原社長>
MHPSフィリピン(MHPS―PHL)は旧バブコック日立の流れをくむ、中小型ボイラの製造子会社。マニラから100キロメートル以上離れたバタンガス州に工場を構え、約800人が働く。事務所棟入り口には日立相談役の川村隆による記念植樹があり、所々に日立流のスローガンや改善活動が見受けられる。
MHPS―PHLの鋼材加工量はここ数年、過去最高レベル。しかし、MHPSグループ入りするに当たり、社内にリストラへの疑念もあった。そんな不安を察した藤井が、一体感を醸成するために独自の工場ソングを企画。女性従業員がわずか10日で完成させた。
フィリピンの平均年齢は約23歳。英語やITに堪能で女性が活躍し、祭り好きの気質。外資にとり即戦力として申し分ない。MHPS―PHLは多くの溶接資格を持ち、日系企業の工事を請け負える。高い語学力からエンジニアの海外派遣にも重宝するであろう同社を西澤は「宝の山」という。
「MHPSになり世界が広がった。ボイラだけではなくタービンもディーゼルもある。アジア進出に絶好のロケーション。ベースキャンプとして使ってほしい」と藤井が話すよう、MHPSは横浜工場(金沢地区)からボイラの製造を移管することを決め、さらにフィリピンに遠隔監視センターやトレーニングセンターも設置する。
15年11月、インドネシア・スラバヤ。MHPS常務執行役員サービス戦略本部長の河相健は現地で開いたO&Mセミナーに出席し、インドネシアパワーなど発電会社幹部と向き合っていた。インドネシアには運転効率の悪い中国製ボイラが多数存在し、日系企業への期待は大きい。
1カ月のうち半分近くを海外顧客対応に費やす河相。タイやインドネシアなど発電会社首脳と太いパイプを持つ。トラブル情報を即座に公開、対策・原因究明を共有し、夜行便でエンジニアを飛ばすなど、日本流の”おもてなし“サービスで信頼を積み上げた。
メーカー側視点でみると、遠隔監視などのサービスは常時顧客とつながり、不具合予兆のビッグデータの源泉。GEやシーメンスなど他社からの参入障壁にもなり、顧客囲い込みによりガスタービンなど主要機器の追加受注が期待できる。
三菱重工は約15年前の米法人開設を機に「鎖国から開国」(河相)に舵を切り、今やMHPSとして世界3000人規模のサービス人員を抱える。高砂工場(兵庫県高砂市)、米オーランドに大規模遠隔監視センターを有する。MHPS発足時に約4000億円だったサービス事業規模を1兆円に引き上げるのが目標だ。
<次のページは、西澤MHPS社長インタビュー>
同案件はMHPS設立前の07年に日立子会社が受注した。MHPS設立にあたり、同案件の資産や負債、契約に基づく権利・義務をMHPSが継承。MHPS設立以前の損失については、日立が責任を負う契約を締結していた。
今回、三菱重工が同案件の評価額を算出した結果、日立側に約3800億円の支払い義務が生じると判断。3月31日に日立側へ支払い請求を実施した。一方日立側は、契約に基づく法的根拠に欠けるとし、請求には応じない旨を三菱重工側に伝えた。両社の見解は真っ向対立している。
両社とも契約条項をもとに、協議を継続していく方針。巨額負担への対応は、両社の新たな業績リスクになりかねない状況だ。
「火力統合会社」はうまくいっているのか
日刊工業新聞2016年1月4日
製造業における国内有数の事業統合からまもなく2年。火力発電システム事業の三菱日立パワーシステムズ(MHPS)が「世界一」の旗印を掲げ、毎年1000億円ずつ受注を積み増し、階段を着実に上っている。社長の西澤隆人は三菱重工業、日立製作所から引き継いだ国内工場のトップを入れ替えるなど組織融合を急ぎ、4月の労働条件統一をもっておおむね統合は完了する。米ゼネラル・エレクトリック(GE)による仏アルストムの事業買収など競合の動きも速く、立ち止まる余裕は皆無だ。シナジー創出に成長の源泉がある。
受注、毎年1000億円積み増し
2015年8月末、南アフリカ。西澤は電力会社エスコム会長のベン・ウグバネと握手を交わし、同国最大規模の石炭火力発電所の商用運転開始を祝した。07年以降、日立が連続受注したボイラ12缶の初号機完成式典。ズマ大統領の到着が約2時間遅れたが、大統領の近くの席を用意された西澤は、蒸気タービンを担当したアルストム幹部の後方からの視線を感じながら、大統領の約45分間に及ぶ祝辞に耳を傾けた。
総額数千億円に及び、完成まであと4―5年かかるというMHPS最大級の工事。品質問題に起因する工程見直しや現地ストライキなど不運が重なり、約3年遅れで運転開始にこぎ着けた。西澤は2カ月に1度足を運び、現場を鼓舞するとともに、執行役員2人を張り付かせて進捗管理を徹底。ようやくここまでたどりついた
GE・アルストム連合、独シーメンスを追いかけるMHPS。欧米やアフリカなど競合の“シマ”に攻め込むと同時に、日本や東南アジアなど“本土防衛”に力を注ぐ。そんな攻守の要衝がフィリピンにある。
15年7月、シンガポールで開催された三菱重工エネルギー・環境ドメイン主催のアジアパシフィック(東南アジア、インド、中国、韓国、台湾など)地域拠点会議。ドメイン事業規模を17年度に2兆3000億円(14年度1兆9000億円)に、このうちアジアパシフィックで5200億円(同3000億円)を稼ぐ意欲的な計画が示された。
社長の宮永俊一以下、ドメイン長(当時)の前川篤ら大勢の経営幹部を前に、MHPSフィリピン社長の藤井宏志は一通りの説明を終えた後に一曲のポップミュージックを披露した。タイトルは「A Brand New Day」。軽快なリズムとともに、ボイラ溶接にはげむ従業員、家族や子どもも映し出され、エンドロールには「日立の樹(米ハワイ州オアフ島)」。これを聴いた宮永は絶賛したという。
<三菱重工の宮永社長(左)と日立の東原社長>
フィリピン工場「宝の山」
MHPSフィリピン(MHPS―PHL)は旧バブコック日立の流れをくむ、中小型ボイラの製造子会社。マニラから100キロメートル以上離れたバタンガス州に工場を構え、約800人が働く。事務所棟入り口には日立相談役の川村隆による記念植樹があり、所々に日立流のスローガンや改善活動が見受けられる。
MHPS―PHLの鋼材加工量はここ数年、過去最高レベル。しかし、MHPSグループ入りするに当たり、社内にリストラへの疑念もあった。そんな不安を察した藤井が、一体感を醸成するために独自の工場ソングを企画。女性従業員がわずか10日で完成させた。
フィリピンの平均年齢は約23歳。英語やITに堪能で女性が活躍し、祭り好きの気質。外資にとり即戦力として申し分ない。MHPS―PHLは多くの溶接資格を持ち、日系企業の工事を請け負える。高い語学力からエンジニアの海外派遣にも重宝するであろう同社を西澤は「宝の山」という。
「MHPSになり世界が広がった。ボイラだけではなくタービンもディーゼルもある。アジア進出に絶好のロケーション。ベースキャンプとして使ってほしい」と藤井が話すよう、MHPSは横浜工場(金沢地区)からボイラの製造を移管することを決め、さらにフィリピンに遠隔監視センターやトレーニングセンターも設置する。
15年11月、インドネシア・スラバヤ。MHPS常務執行役員サービス戦略本部長の河相健は現地で開いたO&Mセミナーに出席し、インドネシアパワーなど発電会社幹部と向き合っていた。インドネシアには運転効率の悪い中国製ボイラが多数存在し、日系企業への期待は大きい。
1カ月のうち半分近くを海外顧客対応に費やす河相。タイやインドネシアなど発電会社首脳と太いパイプを持つ。トラブル情報を即座に公開、対策・原因究明を共有し、夜行便でエンジニアを飛ばすなど、日本流の”おもてなし“サービスで信頼を積み上げた。
メーカー側視点でみると、遠隔監視などのサービスは常時顧客とつながり、不具合予兆のビッグデータの源泉。GEやシーメンスなど他社からの参入障壁にもなり、顧客囲い込みによりガスタービンなど主要機器の追加受注が期待できる。
三菱重工は約15年前の米法人開設を機に「鎖国から開国」(河相)に舵を切り、今やMHPSとして世界3000人規模のサービス人員を抱える。高砂工場(兵庫県高砂市)、米オーランドに大規模遠隔監視センターを有する。MHPS発足時に約4000億円だったサービス事業規模を1兆円に引き上げるのが目標だ。
<次のページは、西澤MHPS社長インタビュー>
日刊工業新聞2016年5月10日