ニュースイッチ

セラミックスが空を飛ぶ日

GEが認めたニッポンの素材力 セラミック繊維複合材「CMC」の可能性とは
 重工業製品をはじめ世界の多くのものが合金で作られている。しかし、世界の素材・材料研究者たちは常に「もっと優れた新素材」の探求を続けてきた。

 彼らが “合金に代わる新素材”として夢見てきたのが、金属より耐熱温度が高くはるかに軽いセラミックスを使った新素材。しかし割れやすいセラミックスの「強度」克服という難問が、世界中の研究者や企業を泣かせてきた。

 特に、高温環境に晒され軽量化が求められる航空機エンジンへの適用は何十年も切望されてきたものの、米国・防衛分析学会 が2001年に発行したレポートの題名「Will Pigs Fly Before Ceramics do?(セラミックスよりも先に豚が空を飛ぶ?)」からも、その実現は困難を極めてきた。

 しかし、米ゼネラル・エレクトリック(GE)は20年を費やした研究の末、2015年にCMC(セラミック・マトリックス複合材)を使った次世代航空機エンジン「LEAP」の飛行テストに成功。合金に比べ熱膨張や変形が少ないCMCは、航空機エンジンの設計を一新する。

 空冷が不要になり燃料ロスを大幅に抑えられるなど革命的なメリットをもたらすこの新素材、GEは今後、世界最大の航空機エンジンとなる「GE9X」にも使用する計画。

30年以上も粘り続けたニッポンの技術者たち


 砕けやすいセラミックスを合金に勝る素材に変貌させる決め手になったのは、日本カーボンが開発した炭化ケイ素連続繊維「ハイニカロン」。耐熱合金より強度がありながらも軽いこの繊維をセラミックスに埋め込んで焼成することで、セラミックスの弱点を解決した。

 “空飛ぶセラミックス”実現に無くてはならない存在であったニッポンの技術者たち。その一人が、かつて日本カーボンの研究所所長であった市川宏氏である。同社を退社してから現在に至るまで日本の素材開発企業の支援を続けている。「ようやく夢が叶いました。やっと我々の生活を変えていく材料になったのかなぁ、と思っている」と市川氏。

 炭化ケイ素繊維そのものは、東北大学金属材料研究所の故・矢島教授らのグループによって、今から40年前、1975年に発明された。金属や樹脂、プラスチックなどの強化用繊維として極めて有望で、日本カーボンは“夢の繊維”の製造権をすぐに取得。この時、量産化プロジェクトのリーダーに任命されたのが当時34歳だった市川氏だった。

 「本格製造するというので、東北大の研究室で数か月過ごしました。そこでの製法を見た時、気が遠くなる思いがした」と振り返る。目にしたのは、ポリカルボシランをベンゼン溶剤で溶かして煮詰めたところにガラス棒を突っ込んで、粘っぽく糸を引くタイミングを見計らってその棒を持って“びゅーん“と走って糸を引くという光景。しかも、繊維と言っても普通の糸とは違って飴細工のようにもろい。手で触ろうものなら、粉状に砕けてしまう。

 いわゆる”化学屋“であった市川氏とチームメンバーは、紡糸の知識がなかった。紡いだ糸を蒸し焼きにして炭化しようにも、蒸す過程で糸が溶けてしまい不融化の加工技術が必要だった。あちこちの大学を訪ね歩き、専門外の知見や協力を総動員した。

 そうしてチームは、シャーレとガラス棒では懸命に走っても2~3メートルにしかならなかった炭化ケイ素繊維を、わずか3年で1000メートルの連続繊維として紡糸する製造技術を編み出した。

 その後、社長命により1983年には月間1トンの生産能力をもつプラントを完成。製品名を「ニカロン」として商業生産を開始したものの鳴かず飛ばずで、長い戦いが始まる。

 スペースシャトルが地球に帰還する際の摩擦熱に耐えるためのタイルの目地補強に使われるなど、素材特性が輝く応用事例もあったものの、市川氏の在籍中、十分な収益を得られるほどに発展することはなかった。

 市川氏は「最初のロットから在庫になった。それはもう重圧でしたよ。でも、最初に量産したことが良かった。世界中にサンプルをばら撒いて、とにかく使ってみて下さい、と応用の可能性を探ってもらった」と話す。

明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役ブランドコミュニケーション担当
SiC繊維を手掛けられるのは世界で日本カーボンと宇部興産の2社。GEは日本カーボンを組んだ。 一方の宇部興産は「チラノ繊維」の名で、エンジン部品を手掛けるIHIと組んだ。

編集部のおすすめ