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東急会長がアイデアを他人に話す理由

野本弘文氏の経営哲学

入社直後から14年間、神奈川県厚木市の開発に携わった。20代後半のころだ。当時係長の先輩と飲んでいたときに言われた一言が心に刻まれた。

「仕事で大事なことは何か分かるか。何が正しいか、何が本来あるべき姿かをとことん追求することだ」

指示されたことを正しくこなすだけでは駄目で、自分の仕事は正しいのか、常に問いかける必要がある。データ偽装など不祥事が起きるのは、指示されたことを正しくやってはいるが、仕事自体は正しくないことをしているからだという。

厚木の若手時代から今に至るまでがむしゃらに仕事に打ち込みながらこの言葉を心掛けてきた。しかし、何が正しいかを判断するのは容易ではない。

「正しい判断を日頃から訓練することが大事だ。正しい判断をするためにはどうすれば良いか。私自身にも周囲にも問いかける」

正しい判断をするためだけでなく、頭に浮かんだアイデアは周囲に話す。間違えていたら指摘するよう促す。他人の反応を聞くことでアイデアは大抵レベルアップするという。

「今一番大切なことは密を避けることだよ」。コロナ禍で緊急事態宣言下にあった渋谷駅の構内アナウンスで、野沢雅子さんら人気声優が感染予防を呼びかけた。アニメキャラクターの声で通行人の注意を促すこのプロジェクトは会員制交流サイト(SNS)でも話題になったが、娘との会話から実現したものだ。他人にアイデアを話すのは、アイデアがアイデアを生む「気付きの連鎖」を狙っているため。この考えはライフワークである街づくりにも反映されている。

「1人で考えてもアイデアは広がらない。(再開発中の渋谷など)街づくりには人が集まる広場を取り入れる。人と人とのコミュニケーションがなければ創造は進化しない」

何事も自ら実践する。実践しないと他人に伝授する際の説得力がなくなるからだという。その実践を「アウトプットする時期に来た」として、会長に就いてから野本塾を開講した。

野本塾ではリーダーに必要な三つの要素として、将来のビジョンを示せる構想力、正しい方向を見つける判断力・決断力、リスクに対する対応力を提唱する。教える立場だが「その通りにやれとは言わない。いろいろな視点から自分で考え自分で正しいことを導き出すことが大事だ」という。原点はあくまでそれぞれが考える正しさにある。(編集委員・池田勝敏)

【略歴】のもと・ひろふみ 71年(昭46)早大理工卒、同年東京急行電鉄(現東急)入社。04年イッツ・コミュニケーションズ社長、07年東京急行電鉄取締役、08年常務、専務、11年社長、18年会長。福岡県出身、74歳。
日刊工業新聞2022年3月15日

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