バブル崩壊、リーマンショック…。大和証券グループ本社会長の危機の乗り越え方
「大体10年に1回、危機が訪れる」。そのたびに、大和証券グループ本社の日比野隆司会長は座右の銘「艱難汝を玉にす」を思い出し乗り越えてきた。
1997年はバブル崩壊後の影響で北海道拓殖銀行や山一証券が相次いで破綻。また、アジア通貨危機や金融機関の総会屋利益供与事件への関与が表面化し日本中に膿が噴出した。大和証券も経営陣が一掃され、財務状況が大幅に悪化する中、日比野氏は経営企画部門に作られた社長直轄の特殊部隊で社会的な信頼回復への道筋と危機を乗り越える経営戦略策定に取り組んだ。当時は防弾チョッキを試着するほど緊張感があり「十二分に地獄を見た」が、一つずつ対応に当たっていった。
「苦労が人を鍛えるように企業も困難を乗り越えることで成長する。逆風が吹いたときに前向きに受け止めるのか逃げるのか、そこでの対応がその後の会社を形成していく」
2011年の社長就任時はリーマン・ショック後の厳しい事業環境や三井住友フィナンシャルグループとの提携解消で信用が担保されないというマイナス要因があり、赤字に陥っていた。前年も赤字だったため業績回復を最優先課題と位置付け、13年3月期に黒字転換を果たした。「むしろ厳しい環境はチャンス」と捉え、コスト削減や構造改革を断行。「逆に言うとそこを逃すとできない」と前向きに取り組み、社員には「冬来りなば春遠からじ」「明けない夜はない」といった言葉をかけて鼓舞した。
厳しい時期を乗り越えてきたからこそ、日比野氏の考えはシンプルだ。
「利益追求は目的ではないが、企業存続の条件である。赤字は悪としか言い様がない」
もちろん悪いことばかりではなく、安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」で株価が上昇し、証券業界に追い風が吹いたこともあった。だが、決して浮かれない。
「ケネディ元大統領が『屋根を直すならよく晴れた日に限る』と言っていたように、良いときに悪いときへの備えをするのが経営だ」
株式売買の委託手数料が収益の大半を占める事業構造を見直し、他社に先駆けて預かり資産残高を積み上げるなどストック事業に力を入れ新たな収益基盤を築いた。
多くの経験をしてきただけに「何とかなるという根拠のない自信が身についている」と何事にも泰然自若と構え、冷静沈着に物事に臨んでいく。(高島里沙)
【略歴】
ひびの・たかし 79年(昭54)東大法卒、同年大和証券入社。04年大和証券グループ本社取締役、09年副社長、11年社長、17年会長。岐阜県出身、66歳。