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リケジョの歩みは多様性の理解とともに

連載・理系女性のキャリア-文系女性、理系男性との違い #04

今回は理系女性を増やすカギとなるリケジョ、学部と大学院修士課程の理系女子学生についてです。教員をはじめ大学・科学技術分野の関係者がみな「理系女性を増やさなくてはいけない」とリケジョを応援し、後押しするイベントや情報提供が学内外で盛んに行われています。「女子は男子より元気で優秀」との感想を多く耳にして、私はこの世代のことを何も心配していません。

もちろん「工学部の女性学生比率の低さなど、日本は世界からみるとこんなに遅れていて大問題だ」という指摘はあります。確かに数値的にそうなのですが、変に後ろ向きになる必要はありません。社会全体を変えていくきっかけとして、問題点を指摘しているのですから。女性活躍関連で「以前より悪くなっている」という指標は、何一つないのではないかと私は感じています。育児とキャリアの両立に悩む人の数は増えていますが、それは少し前までは多くの女性が早々に両立を諦めていた(どちらか一方に人生の重心が寄っていた)からであって、前進の途上にある大変さだと理解してください。

今回、私はこの20歳前後の世代に向けて、多様性時代の意識の育て方をお伝えしたいと思います。実は私が執筆する文章に対して、「理系女子の形を、あなたこそ決めつけているのではないですか」と、ちょっと意地悪な問いかけがあって、「正しく理解してもらいたい」と考えたからです。

まず、ほぼすべての事柄に共通する現象として、「集団としての傾向」と「個人差」(その差も大きい)があります。ある集団に属する人たちの能力を評価する場合、統計的に「成績は上から下まで釣り鐘型の分布をしている」「平均値はこのあたり」という結果が導かれます。平均値や中央値のあたりに多くの人が集まりますが、「上位1%の人」は必ずいるわけですし、時には釣り鐘型分布からかけ離れた才能(統計学の異常値)を示す人も見られます。

数値分布で語れない、嗜好や習慣も含めて、「いろいろな人がいる」という認識が、多様性を理解する最初の一歩なのだと思います。このことを忘れて「理系はこうに決まっている」「女性だからこのようにふるまわなければいけない」と、一つの型にはめてしまい、それ以外を想像せずに、決めつけてしまう行為が「偏見」なのだといえるでしょう。

そのため私は「理系は」「女性は」などと記す時、なるべく「一般的には」や「傾向として」と入れるようにしています。私の話に対しては、まず「理系にはこんな傾向があるのだな」「女性はそういう人が多いらしい」と受け止めて、そのうえで「自分には当てはまらないけれど、そのように考えがちな周囲に配慮をしておこう」「彼女は理解者が少ない中で頑張っているのだな、応援してあげなくちゃ」などと、柔軟に対応してもらえれば、嬉しく思います。

このような感受性を高める上で大事なのは、多様な人との交わりです。例えば中学・高校から大学、大学院といった学びの環境で、「男女が半々」「男性の中の少数派」「女性が多い場」とそれぞれ経験できると、見方が広がるのではないでしょうか。国際的な経験も、「発展途上で勢いのある東南アジア」や、「組織より個人を重視する米国社会」など、日本と違う環境の人々と接することで、「どのような社会でも共通の大切なことと、社会によって異なる価値観と両方がある」ことを実感するでしょう。

もしかしたら異性との付き合いなどもあまり早くに一人に、絞りこまない方がいいかもしれませんね。実験や演習が多く学業は多忙でしょうが、意識してあちこちに目を向けるとよいでしょう。きっと「どうやら男性はみな、こんな考え方をするようだ」「スポーツ好きと、アーティストタイプは、こんなふうに価値観が違うのか」「意外だけど理学は人文科学系と、工学は社会科学系と思想が近いみたい」など、さまざまな思いが芽生えてくるでしょう。多様性社会を理解する姿勢をぜひ、学生時代に身に付けていって欲しいと思います。

連載・理系女性のキャリア-文系女性、理系男性との違い

#01 理系女性に共通して潜むキャリア構築の落とし穴
 #02 大企業の上級職に理系女性はこんなにいる!
 #03 若手理系女性から中堅へ、苦しい時代が正念場
 #04 リケジョの歩みは多様性の理解とともに

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