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日付のない辞表を懐に。旭化成・伊藤一郎名誉会長の決意

「覚悟と辛抱」退路断ち挑戦の道

「経営企画担当の常務となってから、いつも引き出しに日付のない辞表を入れ、経営トップの山口信夫会長(当時)との際どいやりとりの時は懐に入れて臨んだ。『まず私の話を聞いてほしい』という思いだった」

旭化成の伊藤一郎名誉会長は自ら退路を断つ思いで仕事に取り組んできた。

「経営者に必要なものは『創造力』と『想像力』、そして『覚悟』『辛抱』だ。覚悟は自分の出世や保身のためでも、精神論でもない。成長や発展のためにやるべき事を見つけ出し、具体的な図を描き、やり遂げようとすることだ」

伊藤名誉会長の仕事人生は、長年経営を引っ張ったカリスマで、日本商工会議所会頭も務めた山口氏と関係が深い。会長就任を打診された時、大病の手術をした直後のため断った。だが山口氏は諦めず、伊藤名誉会長の主治医に「2―3年は大丈夫でしょうか」と食い下がり、医師からの「そこまで言われたら受けたらどうか」との言葉で引き受けることにした。

2010年4月に山口氏の後を継ぎ会長となり、山口氏は名誉会長に就いたものの同9月に亡くなってしまう。山口氏の思いは引き継がれ、その後、伊藤名誉会長は藤原健嗣社長(当時)らとともに旭化成を売上高2兆円超の企業にまで育て上げた。

「(初の大型買収となった)12年の救急救命機器大手の米ゾール・メディカル買収は、相当なリスクを覚悟する必要があり、しんどい判断だった。乗り越えなければ成長はないと腹をくくった」

一つひとつの仕事に妥協せずとことん向き合い、勉強するのが伊藤名誉会長の持ち味。特に経営企画を担当した時は、全社のことをあらためて勉強した。

「この時ばかりは、大好きなマージャンを1年間止めた。経営判断に必要な『創造力』と『想像力』も、事業の内容と課題を深く知ることがはじまりだ。これを身につけるには努力しかない」

ウイルス除去膜「プラノバ」の事業化を進めていた時、計画が遅れ中止を言い渡されたことがある。だが、自分では成功の可能性を感じ「責任は俺が持つ」と開発を続行させた。

「将来を見通して成功が難しければ引き際を決めるのも重要だが、経営者がリスクを恐れて挑戦しないのはよくない。これからの人たちには、新型コロナウイルス問題を含め苦難を乗り切る覚悟を受け継いでほしい。挑戦という旭化成のDNAを忘れないでほしい」(梶原洵子)

【略歴】いとう・いちろう 66年(昭41)東大経済卒、同年旭化成工業(現旭化成)入社。01年取締役、03年常務、同年取締役兼専務執行役員、06年副社長、10年会長、18年名誉会長。東京都出身、78歳。

日刊工業新聞2021年6月22日

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