「CASE」へ直進できるか、“一つのアイシン”が抱く危機感
アイシンは、2030年度に向けた新たな経営ビジョンを策定した。CASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)対応やエネルギーマネジメントシステムなどのソリューション型商品を拡大し、事業成長につなげる。ソリューション型商品事業の売上高比率について20年度の17%から30年度に6割以上に高める計画。
安全で快適な移動に貢献できる製品として、駆動系部品の電動化対応やブレーキなどでソリューション型商品を拡大する。自動変速機(AT)などのユニット販売台数の電動化比率では、20年度の7%から30年度に6割以上を目指す。ブレーキ関連では自動運転関連商品を強化する。
ATはいずれなくなる
4月1日、アイシン精機とアイシン・エィ・ダブリュ(AW)が合併し、統合新会社アイシンが始動した。自動車業界は、CASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)が主戦場となるなど変革期にある。新会社では効率化を進めるとともに経営資源を集中させ、新潮流に立ち向かう。今回の統合はアイシングループとして次世代の成長を目指す変革の象徴だ。
「主力の自動変速機(AT)は、いずれなくなる。高付加価値なCASE事業の割合を上げるには経営資源の投入が必要だ。経営体質も強化しないといけない。経営統合はその両方に関わる」。アイシン精機社長の伊勢清貴はこう力を込める。
変速機やブレーキ、ドアなど自動車部品を幅広く手がけるアイシン精機だが、伊勢は「無駄を減らさなければCASEの波に勝てない」と強調する。その一環で、19年1月にアイシン九州(熊本市南区)とアイシン九州キャスティング(同)の社長を現社長の田中俊夫に一本化。19年4月には手動変速機(MT)のアイシン・エーアイ(愛知県西尾市)をアイシンAWに合併させるなどグループ改革を進めてきた。
一方、AT大手のアイシンAW社長の尾崎和久も「(リーマン・ショックを経た)10年ほど前から、(アイシン精機と)何かしら一緒にやっていかなくてはいけない」と感じていた。ATが減少し、電動化などの変化に単体での対応の厳しさに危機感を覚えていた。
アイシンAWは1969年、当時最新技術のAT開発のためアイシン精機と米ボルグワーナーが共同出資して設立。有力子会社としてアイシングループの発展に貢献してきた。しかし、CASEをめぐる競争が激しくなるとともに、経営環境は一変。伊勢は「いずれATはなくなる。別々に分かれている意味はない」と指摘。尾崎も「想定していたより変化が早く来た」と、経営統合への機は熟していた。19年10月末に両社は経営統合を発表。尾崎は「社内で(統合を)議論することはほぼなかった。社員からは驚かれたし、当時は否定的な意見もあった」と述懐する。
ただアイシングループでは着々と布石は打ってきた。17年4月にグループ主要14社(当時)を中心に変速機が軸の「パワートレイン」など機能別のバーチャルカンパニー制を導入。そして20年4月には6カンパニー制へ移行した。今回2社の統合は「本当にグループ経営を進める上での“象徴”だ」と伊勢は力を込める。アイシンの誕生を機に、変革への前進を加速させる。(敬称略)