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Cygames研究部門のトップが考えるAIの生かし方

サイゲームスリサーチの倉林修一所長インタビュー

人工知能(AI)研究は基礎研究と実用化が密接な分野だ。Cygames(東京都渋谷区、渡辺耕一社長)の研究部門サイゲームスリサーチの倉林修一所長はRaaS(研究のサービス化)を掲げる。ユーザーの行動データとAI技術を駆使して、システム改善を高速に進める。ゲーム会社の研究所は事業部門の隣で、大規模なデータを使って研究できる。RaaSのマネジメントについて聞いた。(聞き手・小寺貴之)

-AI研究はデータが命です。ソーシャルゲームはデータを集めやすい分野です。
 「ゲームユーザーのデータを自由自在に扱えるわけではない。ユーザーに同意を得て、個人情報がまったく含まれないデータを作って、研究ができるように環境を整えている。個人情報保護法が研究の幅を狭めているという意見もある。だがAI研究のためにデータがあるのではない。研究や開発、企画など、目的に応じてデータパイプラインを整えることが重要だ。成果を得るためにエンドユーザーのデータが必要ならその時初めて同意を得るべきだ。自由に使えるデータがあるから研究できるというのは本末転倒になる」

-どのようにデータを作るのでしょうか。
 「AIがゲームをしてプレーデータを作っている。AIには個人情報などない。たくさんのAIがゲームをしてバグを探す。発生確率が100万分の1のバグを特定するためにAIにはひたすらゲームをしてもらっている。例えばカードゲーム『シャドウバース』はカードが2500枚以上ある。ここから40枚を選んでデッキを組み対戦する。総当たりで検証すると2500の40乗の組み合わせがある。検証に3カ月ほどかかることになる。だが3カ月に一度カードパックを追加するため検証と修正が間に合わない。そこでAIが人間のプレーヤーが選びそうな手を学ぶ。検証範囲を人が選びうる範囲に絞りつつ、人が選ぶよりも広い範囲を検証してバグを探す」

-囲碁や将棋などのゲームAIは、人間を超えることが一つの目標になっていました。
 「ゲームが強いAIを作っても、ゲームが面白くなるとは限らない。それならばAIとゲーム環境をつくる。例えば五輪会場のコートに不備があり、試合が台無しになったらどうだろうか。eスポーツの選手は人生かけてプレーしている。100万分の1のバグが世界大会の決勝にあたる可能性もゼロではない。現在は900人分のAIが24時間365日テストしている。これはゲームAIを作るだけでは運用できない。ゲームシステムのミラー環境をAI用に構築する必要があった。AIにテストフィールドを用意するのだ。これは開発版でなく、実際に運用している本番とまったく同じ環境だ。AI技術だけでなく大量並列処理や仮想化技術が重要になった」

-AIの効果は。
 「ゲームデザイナーの狙った通りの強さや弱さになっているか数値で把握できる。デザイナーの感覚でなく、裏付けがあるとゲームをデザインしやすい。またAIのプレーデータが大量にあると正常なプレーの範囲がわかる。チート(コンピューターを用いた不正行為)しているプレーヤーの検出に役立つ。社内の技術者はプログラムを書くと次の日にはそのコードのバグ数が報告される。コードの品質を肌感覚でわかるようになった」

「副次的な効果もある。例えばバグの数を人に報告されると技術者もイラッとしてしまう。システムが数字を表示するだけならストレスになりにくい。また達成感も生まれた。最後の最後まで残るバグは原因特定が非常に難しい。苦労して直しても小さなバグでしかない。ただ数字で出てくるとバグをゼロに追い込む達成感がある。技術者のモチベーションに貢献できた」

-カードゲームとロールプレーイングなど、同じ手法を他のゲームにも展開できますか。
 「育成ゲームはよりヒューリスティクス(経験則に基づいた試行錯誤)な手法を選んでいる。プレーヤーが取りそうな行動をあらかじめ登録しておく手法だ。オープンワールドのような世界を走り回るゲームでは強化学習で開発中だ。宝箱や扉は鍵を使って開けるなどゲーム内の常識を押さえつつ、さまざまな行動をとるようにしている。並列化して走らせ手応えは得ている」

-RaaSを掲げ、現場がほしいときに技術を出せる迅速な研究所運営をしています。
 「研究者に二種類の技術者を付けるチーム編成を基本単位としている。一人が実用化系の技術者でまずは動くものを作る。理論よりも、まずは面白いかシステムを作って試すタイプだ。もう一人が実証系の技術者だ。とりあえず動くシステムは、バグなどの技術負債が積み上がっていく。そこで理論やコードの正しさをしっかり作り込むタイプだ。研究者は実用化系の技術者と実用化、実証系の技術者と基礎研究を並行して進める。これで現場の求めるスピードで基礎研究の成果を実装まで持っていく」

-10人と小規模な組織だからできる面もあるのでは。
 「研究所を分社化せず、研究機能を事業部門の中に組み込んである。予算と人員、ガバナンス、情報共有、知財の五つの観点で事業部門と一体的に動いている。研究と事業との並列実行が可能になっている。例えば大学の医学部は、研究と臨床の循環がうまくいっている。工学部でうまくいかないのは、医学部には付属病院があるが、工学部には付属企業がないからだ。現場と研究の距離が問題だ。大学に付属企業は作れないため、企業に付属大学院を作ればいい。これがサイゲームスリサーチだ」

「なにより研究所のトップが実践してみせることが大切だ。すでに若手研究者の意識は変わっている。技術シーズありきでなく、社会のニーズとシーズが交わるところで研究したいという若手が増えた。以前は実用志向の若手は企業の技術者になっていた。大学の中でも実用を志向する研究者というポジションが明確になった。そして技術者の仕事も泥臭い働き方が限界に来ている。科学的にアプローチしないと結果がでない。以前は基礎研究と実用化の両方をやりたい人を集めることが第一関門だった。だがマインドは変わっている。体制を整え、トップができることを示せば人は集まってくる。スイス連邦工科大学ローザンヌ校出身の研究者は2カ月で深層学習を使ったモーション生成技術を開発した。ベテランのモーションデザイナーが協力して数テラバイト(テラは1兆)の学習データを作成した。フィンランドのヘルシンキ大学からも新卒を迎えた。日本のアニメゲームは世界で評価されている。優秀な人材を集める求心力になっている」

サイゲームスリサーチの倉林修一所長
日刊工業新聞2021年3月26日記事に加筆
小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
研究者1人に現場に通じた技術者2人の3人体制は恵まれた環境にみえる。現在の大学に整えるのは難しいかもしれない。ただ企業の研究チームにはもっと豊かな環境もある。少数精鋭でも論文などの成果が出ているのはゲーム開発の現場が協力しているからだ。倉林所長がAI技術で開発業務を変え、信頼関係ができた。大学にとって企業付属大学院に類する仕組みは垂ぜんの的になるだろう。

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