国産初のベーキングパウダーメーカーが115年貫く開発者精神、次はメッキ薬品で

奥野製薬工業「コマは回っている間は倒れないが、回っているだけでは面白くない」

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922年には初の国産ベーキングパウダーを開発

コマのようにずっと回り続ける企業でありたい-。奥野製薬工業はこうした創業当時の思いを受け継ぎつつも、時代の変化に対応しながら付加価値の高い技術開発を続けている。メッキ薬品などを手がける表面処理部門、品質改良剤に代表される食品部門、ガラスへの焼き付けインクなどを扱う無機材料部門を3本柱に据える。アルミニウム表面処理剤の開発製造、前処理から後処理まで全プロセスを提供できるのは国内外で同社だけだ。アルミニウム上に「色を創り出す」技術が世界で認められている。主力拠点の放出工場(大阪市鶴見区)には技術開発と営業部隊を集結させ、きめ細かい顧客フォローを実践する。

創業は1905年。創業者の奥野藤吉氏は、くすりの町として知られる大阪・道修町で漢方薬の取り扱いを始め、まんじゅうの皮をしっとりふっくらとさせる膨張剤を開発。1922年には日本初となるベーキングパウダーの国産化を図った。これが、食品部門の源流となる。

アイデアマンだったという奥野社長の祖父、奥野清六氏は、より良い食品を作るための試行錯誤を繰り返した。奥野社長は「幼い頃は祖父によくお菓子を与えてもらったが、今振り返ると当時の試作品だったと分かった」と懐かしむ。

転機が訪れたのは、60年代だ。奥野社長が小学校高学年の頃、当時社長だった父の奥野義一氏が米国に出向いた。現地では自動車の軽量化に向け、従来の金属に代わり樹脂部品の採用が進みつつあり、これら樹脂部品向けのメッキ技術が求められていた。米国の先進的な化学工業を目の当たりにし、感銘を受けた義一氏は「帰国後、訪問した場所それぞれについて、山ほど話をしてくれた」(奥野社長)と振り返る。

奥野社長も大学を卒業後、義一氏の勧めで米国に渡る。だが「以前付き合っていた企業は、まるで風前の灯火だった」と驚いた。表面処理分野は、企業の合併・買収(M&A)が活発で、常に時代の流れに応じて変化しなければ負けてしまうと感じた。

5代目社長となる奥野和義氏

76年の入社後、開発部を創設。飲料メーカーによって形状が異なるガラス瓶が普及し、ビール瓶などの加飾インクを手がけるようになった。またコンビニエンスストアが各地に出店し、食品を長持ちさせる日持向上剤も開発してきた。近年は食品のおいしさを保つだけでなく、パンや麺のもっちりした食感を引き出したり、粉がまとまりやすくなり作業性を向上させる添加剤を展開している。表面処理部門は、無電解メッキ、プリント配線用処理薬品などおよそ2800種類もの薬品の製造販売を行う。

「表面処理」「食品」「無機材料」の3本柱

そしていま。売上高約300億円のうち、主力の表面処理が70%、食品は25%、無機材料で5%を占める。「技術革新の流れに追いつかなければならない」。将来への危機感に背中を押され大学を回り、スカウトしたのが大塚邦顕常務だ。二人は奥野製薬工業一筋で苦楽を共にし、会社の成長を支えてきた。

本社機能や技術開発、営業部隊は徐々に放出工場にシフトした。「メーンの拠点に集約して意思疎通が円滑になってきた」(奥野社長)と肌で感じるようになった。放出工場には2016年、総合技術研究所として2研究棟を新設した。顧客とのオープンイノベーション拠点としての機能を果たしている。

「見せる研究所として顧客に足を運んでもらえることに加え、社内で仕事をする人のやりがいを高められる」(同)と意義を強調する。大塚常務は「実験室で顧客に当社の技術を伝え、そのアイデアから製品化に結びつく流れに持って行ける」と好循環を期待する。

新棟の役割は、人材採用にも主眼を置いている。総合技術研究所の1階には表面処理のパイロットラインが並ぶ。入り口には大きな吹き抜けに木目調の階段が伸びる。上の階に進むと、各事業の製品展示に加え、広い窓から研究活動の風景を見渡すことができる。太陽光を取り入れて日中は明るく、清潔感が漂う。オフィスはフリーアドレス制を導入し、整理整頓を徹底。研究棟の雰囲気が入社の決め手となったという若手社員も相次ぎ、優秀な人材獲得につなげている。

研究棟は顧客とのオープンイノベーション拠点でもある

加えて、大塚常務が強調するのは人材育成の重要性。同社では、顧客ニーズに沿って与えられた研究テーマに加え、自ら研究テーマを設定する風土が根付いているが、さらに「自発的・能動的な人材になってもらいたい」(大塚常務)と期待する。

近年は各研究員が学会やセミナーに頻繁に出席し、発表する機会が増えた。奥野社長は「宣伝を打つよりも効果がある」と実感する。19年度には、同社として初めてスマートプロセス学会エレクトロニクス生産科学部会などが主催する、MATE2020シンポジウムで奨励賞を受賞した。小型化・高機能化する電子部品などに対応したメッキ薬品が高く評価されたのだ。

身近な研究員がこうした快挙を成し遂げ、周囲に刺激を与えている。受賞者らが若手研究員にノウハウを伝授し、研究の道筋を立てるサポート役を担う。社内だけでなく、学会に来場する企業にも技術をアピールする大きな機会となる。「学会がきっかけで新規取引につながるほか、訪れた学生にも発信できる」(奥野社長)と手応えを得る。

さらなる成長への布石

海外展開にも精力的に取り組む。16年には東南アジア諸国連合(ASEAN)地域のハブとなるタイ子会社を設立した。タイの工場はメッキ薬品の製造に特化しており、現在、月産200トンの能力を21年には同400トンに倍増する計画だ。日系企業の東南アジア進出が活発化しているのに合わせ、「当社の社員が顧客を最適にサポートする」(奥野社長)狙いがある。

タイをはじめ、今後も海外拠点の拡大が続くと予想されるが、あくまでも中心となるのは放出工場だ。「メッキ分野は、技術のイノベーションが絶えず起こっている」と奥野社長は表現する。電気自動車や第5世代通信(5G)、その先の通信技術の進化・普及にも対応した技術が求められるだけに、成長の可能性を秘めている。

2025年頃には、放出工場に新たな薬品製造工場を建設する。約64億円投資する大型プロジェクトとなるもので、新棟には、微細な電子回路向けメッキ薬品の製造などに適したクリーンルームを整備する。今後5年間は高付加価値のメッキ薬品に注力し、電子部品向けメッキ薬品の表面処理部門に占める売上高を現状の25%から50%まで引き上げる計画だ。

新素材の表面処理方法に関する要望に応えたり、環境に配慮した表面処理技術に取り組むなど、顧客や社会の求めるメッキ薬品を追求し続ける。これまでのメッキは、自動車の外装に使われる樹脂部品の加飾向けなどが主力だったが、電子部品向けなど微細で付加価値の高い技術に磨きをかけ、成長の布石を打つ。

さらに、従業員の交流拠点の整備も検討している。以前、放出エリアは工業地帯だったが近年は住宅が増加。昼休みに利用していた食堂も減少した。手狭となった既存の食堂をリニューアルし、新たな棟に食事スペースを確保して福利厚生の充実につなげる案を練っている。

同社のブランドシンボルである「TOP」は「コマ」と「ナンバーワン」の意味合いが込められる。奥野社長は「コマは回っている間は倒れないが、回っているだけでは面白くない。さらに上を目指したい」と抱負を述べる。大塚常務は「顧客ニーズをいち早くキャッチして、開発につなげてほしい」と研究部隊を鼓舞する。メッキ薬品の新工場を建設する5年後を一つの節目に、売上高を現状比約1.3倍の400億円に拡大する目標に挑む。

ずらり並ぶパイロットライン
【企業概要】
▽所在地=大阪市中央区道修町4-7-10▽社長=奥野和義社長▽創業=1905年▽売上高=約300億円(2020年3月期)

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