果たして産業競争力につながるのか?「DX銘柄」評価者の答え
デジタルトランスフォーメーション(DX)は企業に、そして日本経済にどんなインパクトを与えるのか。東京証券取引所と経済産業省が共同で実施する「DX銘柄2020」の評価委員会委員長を務める一橋大学の伊藤邦雄CFO教育研究センター長は「産業競争力につながる大変革プロセス」と語る。
特別なテーマではない
ー前身の「攻めのIT経営銘柄」から刷新された「DX銘柄」ですが今回、特に印象に残った企業や取り組みはみられましたか。
「グランプリに選出された1社である、トラスコ中山の経営戦略には、とりわけ評価委員の間でも新鮮な驚きがありました。およそ39万点に上る豊富な在庫商品を効率的に管理し、顧客の即納ニーズに応えるビジネスモデルを展開する同社ですが、『持たざる経営』をよしとする昨今の常識とは一線を画す、いわば逆張りの発想です。しかしDXの活用がこれを実現し、顧客からの高い満足度につながっている。しかも同社は役員の選出方法や社員のジョブローテーションも独自のスタイルを貫いており、組織のサイロ化(縦割り構造)を打破するこうした企業風土もDXとの親和性を一層高めていると感じました」
ーこれからの経営にはDXが必須。この認識は経営者の間に広がりつつも、実際には組織風土として、あるいはシステム上でも「レガシー」な部分を抱え、どう踏み出したらいいか分からない。これが実情ではないでしょうか。
「複雑化、ブラックボックス化したレガシーシステムがDXの阻害要因となることが『2025年の崖』問題として指摘されますが、もちろん既存のシステムでも業務は問題なく遂行できるので、現状をよしとする経営者がいるのも当然かもしれません。一方で、自社が持続的な成長を遂げる上で、社会や顧客に提供できる価値やこれを実現する経営のあり方を考えた時、DXはその切り札となる。そう考える経営者にとってDXは、何も特別なテーマではなく、経営の必須課題のひとつとして議論の俎上(そじょう)に載せるはずです」
ーDXは企業価値向上につながる経営戦略だからこそ、企業統治(コーポレートガバナンス)の観点からも重視されると。
「そうです。近年の企業統治改革の狙いは、日本企業の企業価値を持続的に高めるところにあり、具体的な手法として、取締役会の活性化や社外取締役の導入、投資家との対話を重視しています。企業価値は『良質の無形資産』をいかに構築できたかが影響しますが、この『無形資産』のひとつとして、投資家がとりわけ関心を寄せるのがDXです」
ーなぜDXが中長期的な企業価値の向上につながるのですか。
「これまで日本企業のIT活用の主眼は産業コストや販管費の削減に置かれ、ボトムライン(純利益)の向上が重視されてきました。ところがDXが目指す新たな価値創造はトップライン(売上高)を上げることにつながります。となれば、投資家がこの点に関心を寄せるのは当然であり、自己資本利益率(ROE)や投下資本利益率(ROIC)を予測する上で重要な情報源になります」
どんな経営を目指すのか
ーしかしITの専門家でない経営者が、DXをどう語れば。
「技術的な手法を語ることが求められているのではありません。自社の企業価値を高めるためにどんな経営を目指すのか、そのためにDXを活用してどんなビジネスモデルを構築しようとしているのか、さらにはこれら戦略が経営にどんなインパクトを与えるのかを自身の言葉で率直に語ればいいのです。ある企業の経営者は『遠い将来の夢だと思っていたことが目下、DXで実現できることが楽しくてたまらない』と語っていました。これこそ、まさに経営戦略としてのDXの真骨頂であり、逆に『この件については担当役員に説明させます』といった姿勢では、企業としてのDXの本気度が疑われかねません」
ー企業価値向上の源泉として投資家が注目する「無形資産」のひとつがDX、もうひとつが「人的資本」だそうですね。しかもこの二つは無縁でないと。
「そうです。とりわけコロナ禍において、企業はリモートワークをはじめ時間や場所にとらわれない働き方を模索していますが、こうした取り組みは、デジタル化の深度の表れでもあります。制約条件がある経済情勢下でも社員のエンゲージメント(仕事への熱意度)が高ければ、業績向上が見込まれるからです」
ーいま、業績向上に言及されましたが、DXが企業収益や財務戦略に具体的に影響を及ぼすことを示すデータや考察はあるのでしょうか。
「ええ、海外はもとより、日本でもDXと株価の相関を裏付けるデータがあります」
財務戦略に与えるインパクト
ーDXが財務戦略に影響を与えることを実証するデータや考察はあるのでしょうか。
「海外では投資先のDX戦略(の巧拙)が株式の運用実績に成果を上げていることが実証されています。日本でもこのほど選定された『DX銘柄』は、代表的な株価指数に比べて、コロナ禍局面での株価下落幅が小さく、しかも戻りが早い傾向がみられます。実はこれは非常に重要な現象です。ボラティリティー、すなわち株価の変動幅が小さいということは、企業にとって資本コストの低下につながります。こうした点からみても『DX銘柄』は企業経営にとって意味ある取り組みだと思います」
深い対話につなげる
ー企業経営に与えるこうしたインパクトを踏まえ、経営トップはDX戦略を本格化させる一方で、投資家側にもDXの本質を見極める目が問われてくるのでは。
「重要な指摘です。投資家側もDXの専門家ではありませんが、ある程度、DXに精通していなければ、同じ目線で対話できません。その上で、何をKPI(重要業績評価指標)に定め、目的や効果をどう検証するのかといった深い対話につながることが期待されます」
ーいま、投資家は企業が取り組むDXのどこに関心を寄せているのでしょうか。
「まずは各社の取り組みがどの局面にあるのかを見定めようとしています。ビジョンや戦略策定にこれから取り組む準備段階なのか、あるいは推進役としてCDO(最高デジタル責任者)やCDXO(最高デジタルトランスフォーメーション責任者)といった外部人材も登用しながら戦略を策定しているのか、さらに取り組みは進展し、外部人材の力を借りずとも『自走』する組織となっているのか。国がDX企業を認定する制度がこのほどスタートしたのも、こうした段階を経た着実な取り組みを加速する狙いがあります」
ー日本企業全体にDXを浸透させるには、中小企業の取り組みも欠かせません。
「経営資源が限られる中小企業に、理念や意義を一方的に訴えるだけでは響かないでしょう。だからこそサプライチェーンが一体となって産業界全体で取り組む必要がありますし、実際、そうなっていくでしょう」
サプライチェーンで取り組む意義
ーどういうことですか。
「これからの産業政策、企業経営のメーンテーマは脱炭素社会の実現、デジタル化、人材活用の三本柱ですが、これらは一見、異なる課題のように映りますが。それぞれが無縁ではありません。DXと人材活用が表裏一体であることは、前編でお話しましたが、実は脱炭素化とデジタル化も同様です。そもそも脱炭素化を進めるには、自社はもとより、グループ全体、さらには原材料や部品調達先も含めたサプライチェーン全体での二酸化炭素(CO2)の排出実態を瞬時に把握しなければ、有効な対策を迅速に講じることができません。そのためにはデジタル技術の活用を通じて効率的にデータの収集や分析を進める必要があるのです。大企業にとってのDXはサプライチェーン全体での脱炭素を推進する上で不可欠な手段、一方の中小企業にとっては取引先や社会の要請に応えることは商機に直結するだけにDX推進の原動力となるはずです。すなわち、DXとはオールジャパンで挑む変革プロセスであり、そのスピード、深度が日本の産業競争力強化につながる。これは決して大言壮語ではなく、実際、そうなると確信しています」