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リカバリーウエアに人気爆発の予感

デサントが新製品、そして“開拓者”ベネクスの知られざる起業ストーリー
リカバリーウエアに人気爆発の予感

デサントのモデル・北島康介選手


“助かった命”使い起業


 社長の中村太一の起業の決意は高校生の時のある出来事にまでさかのぼる。中村は1980年6月、神奈川県小田原市に生まれた。幼少のころから文武両道で、中学は慶応義塾中等部に進む。そこでラグビーに出合い、のめり込む。才能はすぐに開花し、高校2年生でレギュラーの座を獲得するまでになった。

 しかし、突然の悲劇が中村に襲いかかる。全国高校ラグビー出場への切符がかかった神奈川県大会決勝の試合中に、他の選手と激突し脳内出血を起こしてしまう。「一度死にかけて助かった命。やれるだけのことを全力でやらないといけないと思った」と中村は当時を振り返る。そして「ほかの人がやらないような面白いことをビジネスのテーマとして起業したい」と思うようになった。

 【知識と経験積む】
 そのビジネスは何か―。慶応義塾大学商学部に進学した後も中村の模索は続いた。ちょうどそのころ、00年4月に介護保険制度が創設。同時に民間会社の介護分野への参入が始まる。中村も「これからは介護の時代が来る」と感じ、介護関連の会社を立ち上げたいと考えるようになる。ただ、知識もなければ経験もないという状態では起業は難しい。結局、知識と経験を得るために3年間だけ働くことを認めてくれた介護関係の会社に就職。03年の春のことだった。

 その会社では有料老人ホームの新規立ち上げと、入居者営業を担当。途中からホームに住み込み、営業の傍ら、ヘルパー2級の資格を取得するなど自らも介護の経験を積む。中村は寝たきりになっている高齢者の床ずれや、足腰へ重い負担がかかるヘルパーの相次ぐ離職を目の当たりにし「この人たちを助ける製品を作りたい」と考えた。

 【箸にも棒にも…】
 ほどなく会社を退職し、05年9月、ベネクスを小田原市で創業。中村が25歳の時だった。社名はクリエーティブとネクストから取り、「新しいことを創造するような会社にしたい」との意味を込めた。また、創業時のメンバーは、中村のほかに中村の父が経営する会社で働いていた当時40歳の片野秀樹と、同じく35歳の星繁信の合わせて3人。歯科技工士の資格を持つ片野を研究開発担当、営業経験の長い星を営業担当に据えた。中村は「小田原から生まれた小さな会社だが、いずれは世界を代表する企業にしたい」と夢を掲げ、「大手企業に就職した大学の仲間を見返してやる」との思いを抱いた。

 しかし、創業後3カ月も経つと壁に当たってしまう。オリジナル製品を持たないだけに、他社製の健康関連商品を主に介護・福祉向けに当面売り込むことにしたが、営業先に全く相手にされず、やることがなくなってしまったのだ。中村は「自分は何だってできると思っていただけに、この結果をどう受け止めていいか悩んだ」と話す。箸にも棒にもかからない現実に、動揺が隠せなかった。

スポーツ界の目にとまる


 他社製品の代理店販売に早々、限界を感じたベネクス社長の中村太一は「早急に介護向けのオリジナル商品を作る」と決意した。介護関連の会社で働いていた時、寝たきりの高齢者が背中の血行不良により床ずれを起こすのを何度も見てきた。中村は背中の血行を促進することで、床ずれを軽減するベッドパットを開発することにした。

 【ナノ材料を開発】
 しかし、素材に関する知識など全くない。インターネットで朝から晩まで関係する会社を調べ上げて、ようやくある素材商社とコンタクトを取ることができた。その素材商社がナノ(ナノは10億分の1)メートル単位の先端材料を開発する会社を紹介してくれ、ほぼ飛び込み同然で訪問した。

 すると、会社の会長に開口一番「来るのが遅い」としかられてしまう。すでに大手企業が先端材料に注目していて、数々のオファーが来ていたのだ。ただ、先端材料はまだ用途がほぼ工業に限られていた。中村は介護関係への展開を見込み、「ここで大手には負けていられない」と共同研究を依頼し、受け入れられる。2005年暮れのことだった。

 【夢に見るほど】
 ここから研究の日々が続く。来る日も来る日もナノメートル単位に加工された白金と数種類の鉱物をさまざまな割合で配合し、血行への効果を確認する。そのような毎日を送っていると、ついには研究の場面が夢に登場するほどになってしまった。中村は「いいアイデアが夢に出て、目が覚めた瞬間にメモを取るが、大事なところを忘れてしまい悔しい思いをした」と苦い思い出を話す。

 4カ月ほどたち、中村は血行を促進する効果が見込めるオリジナル素材「DPV―576」を完成させる。次の工程として、素材をポリエステルに練り込み繊維を作る必要があるが、ここでも問題が起きる。素材が二次凝集を起こし繊維内に分散しないことで、繊維が途中で切れてしまったのだ。

 2カ月間の格闘の末、ポリエステルに素材を練り込んだ直径6ミリメートルの球を作り、これを繊維にする際にポリエステルの中に混ぜて溶かすことで繊維内に素材を分散させる方法を発見。ゴールが見えた瞬間だった。
 この繊維を用いた「床ずれ防止ベッドパット」を06年秋に完成、ヘルパー向けの応用商品として、着ると疲労回復を促すTシャツ「ケアウェア」を07年秋に完成。中村は「これで展望が開ける」と胸を躍らせた。

 【出会い】
 しかし、中村の思惑は外れ、思いのほか商品は売れなかった。中村は「介護業界は新参者が参入するのは難しいのか」と途方に暮れる。そんな折、東京ビッグサイトで開催された「国際ホテルレストランショー」に出展。参考出品程度に展示していたケアウェアがたまたま来場していたスポーツジム大手のゴールドジム関係者の目にとまる。「今、アスリートは体がぼろぼろだ。このウエアをアスリート向けに使ってみたい」―。ジム関係者が発した言葉から光が差し込んできた。

日刊工業新聞2015年10月23日 生活面
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
先日、某人気アイドルグループがコンサート終わりに着ている映像がテレビで流れていた。最初は何このウエア?と思ったが、着実に愛用者は増えているようだ。

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