巣ごもり需要で絶好調の「亀田の柿の種」、亀田製菓を支える入社30年の工場長の信念

雑誌『工場管理』10月号連載 「拝聴!ニッポンの工場長」

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亀田の柿の種

米菓生産量で日本一を誇る亀田製菓。200種以上の商品の中でも1966年に発売した「亀田の柿の種」は国民的ロングセラーとして知られ、今なお進化を続けている。亀田工場工場長の石本達也氏は、入社以来約30年にわたりこの亀田の柿の種の製造に関わり続けた、亀田の柿の種製造のスペシャリスト。会社の成長期に味わった労苦から、工場長の仕事は「現場の人を楽にさせること」と言い切る。コロナ禍の巣ごもり消費で需要が伸びる中、「楽に生産させる」ための知恵を絞りつつ、理想の工場づくりに挑む。

売上げが急拡大する時代に入社 忙しさのあまり何十回も「辞めてやろう」と思った

―物理が好きで料理が得意だった高校時代の石本氏。地元新潟の高校卒業時に、「近いし地元の有名企業だから」という理由で亀田製菓に入社。当初その仕事のきつさに何十回も「辞めよう」と思ったが、気がつけば主力商品である亀田の柿の種の製造に30年関わることになっていた。

新潟の普通科の高校に通っていて、地元で就職しようと考えていましたが、特にこれといった希望先はありませんでした。ただ地元の有名企業の亀田製菓ならいいかなと思いました。CMも打っていたし、米菓は馴染みがある。なんと言っても家から近かったですね。車で5分くらいのところに工場がありましたから。

母親に相談したら「いいね」と。でも担任の先生に相談したら「成績的に無理じゃないか」と。でも受かった。嬉しかったですね。後でその先生に聞いたら「すぐ辞める」と思われていたらしいです(笑)。

1週間ほどの新人研修後配属されたのが現在の亀田工場。主力商品の亀田の柿の種の生産工場です。当時亀田製菓は、世がバブル前ということもあり、売上げが伸び、勢いがありました。だからきつかった。2交代で毎日3時間くらい残業していて、その後3交代、24時間になりました。忙しくてトイレにもいけなかった。だから当時はずっと「どうしたら楽できるかな」と考えていました。もう何十回も「辞めたい」と思いました。その分給料は上がりましたが(笑)。

早番は朝5時から始まるので、私は朝が苦手で、週3回くらい遅刻していました。よく先輩から「お前が毎日遅刻するからみんな迷惑するんだ。辞めちまえ」と言われてました。その時は「辞めてやるもんか」と思うんですが、次の日も遅刻していました(笑)。夜勤も前もって睡眠してから行くのですが、慣れるまで朝方は辛かったですね。

亀田製菓 生産本部 亀田工場 工場長 石本 達也氏

21歳で班長に。100人ものメンバーとのコミュニケーションの苦労から“世界一の協調性”を磨いていく

―「いつでも辞めてやる」と思っていた会社だったが、気がつくと30年に渡って主力商品の亀田の柿の種の製造に関わることに。肩書が上がるたびに、石本氏は仕事の面白さに取り憑かれていった。21歳で班長に。班長時代には7ライン3シフト100人のメンバーの調整を図った。自身が「世界一の協調性を培った」と自負する時期でもある。

21歳で班長になりました。それまでは「班長って楽そうでいいな。早く楽したい」と思っていましたが、なってみたら全然違う(笑)。自分は遅刻していたのに班長になったらそういうことは見逃せないんです。お昼が終わって開始時間にちょっとでも遅れたメンバーがいると指摘するわけです。現場は私より年上の方が多く、50代の大先輩の方もたくさんいました。パートの方と喧嘩して泣かれたりもしました。私の上司に「この人がいじめるんです」と言われたり。その時はその上司の方が「息子みたいな若いヤツに言われて恥ずかしくないの」と庇ってくれました。言い方も優しかったですね。

上に立つ人というのは、人の話を聞いてくれる、いい人が多いんだなと思いましたね。班長は白根工場と亀田工場で12年務めましたが、この時代に「誰とでも関係を構築できる協調性」を磨きました。今では街を歩いている見知らぬおじさんにも話を合わせられますよ(笑)。

班長というのは現場では結構重要なポストで、毎日朝礼で話をしなければならない。最初の頃は「俺の話を聞け」という意識で話していたんですが、それだと皆聞き流す。それで話題のつくり方とか話し方とか、かなり勉強しました。もともと無口なんですよ。でもだんだん話せるようになった。みんな、仕事の話はしたくないんです。楽しい話を聞きたいし、したい。相手の気持ちに入って溶け込むという方法を常に考えていました。

課長に昇進後「見てろよ、楽させるから」と辞める覚悟で現場の環境改善に取り組む

―徐々に“世界一の協調性”を磨いていった石本氏。やがて自分の経験も踏まえ、昇進する度に「楽にさせることが上の役割」との思いを強くした。

ずっと亀田の柿の種製造の現場にいて、途中から「わさび味」と「梅しそ味」が加わったんですが、このわさび味の製造が大変でした。わさびのパウダーが現場の人の目に入って「目が開けていられません」と報告が来る。すぐには対処できなかったので、私は「頑張れ、とにかく頑張れ」と言うしかなかった。その後防塵マスクを買って対応するなど、徐々に改善したのですが、当時はまだまだ厳しい作業環境がありました。湿度の基準があるので、夏場に暖房を入れることもある。「暑いんです」と言われるけど、冷房がかけられない。「頑張れ、我慢だ。もうすぐ秋だから」と言うしかなかった。

残業も多くてみな疲れていた。だから生産性も上がっていかなかった。やっぱり、モノづくりって現場の人を楽にさせることを考えないとダメだと思う。その後係長、課長になるにつれ、そういう思いが強くなりましたね。

課長になった時には、大きなラインの更新があって、ロボット化など億単位の投資を任させてもらいました。工場のみんなには「見てろよ、全員今よりもっと楽させてやるからな!」と言いました。「そんなことができるの?」と返されましたが、「やれなかったら辞める」とまで啖呵を切ってました(笑)。自分が生産現場の苦労を一番わかっているという自負もありましたし。

それに課長くらいになると、実際ラインのことが全部わかる。安全の課題、生産の課題やこれから増えるバリエーションなども全部頭に入っているし、設備のつくり込みなどもわかるんです。それから課長になるとやはりお客様のことも見えてくる。お客様が何を求め、将来どうなっていくのかを予測し、現場で働く人をどう楽にさせていけばいいのかを考えれば、あとは結構簡単なんです。

カリッとした食感が人気の「亀田の柿の種」。その秘密を解き明かそうとCTスキャンを使った分析などに取り組んでいる

―現場の人をいかに楽にさせる環境をつくり上げるか……課長という役職の中で奮闘していた石本氏。ある時、懇親会の席で当時の社長が「パスポートをすぐ取れ」と言ってきた。それから間もなく、社長と中国出張に出向くことに。それはどうやら海外勤務の伏線だったようだ。

課長になると泊まり込みで行う中堅社員研修などがあるんですが、忙しさを理由に行かなかったんです。今でもそうですけどマネジメントとかPDCAとかという言葉が嫌いなんです(笑)。

「そんなことは別に言われなくても普段からやっている」と思っていました。それがないとできないですから。そんな時に懇親会で当時社長だった今の会長が「パスポート持ってるか」と聞いてきたんです。「持ってません」といったら、「すぐ取れ!」と怒鳴られた。

取ったら間もなく社長と一緒に中国に出張することになった。どうもその後のタイ子会社への赴任の伏線だったようです。中国から帰りの便が天候が悪くて飛ばない様子だったので「状況を聞いてきてくれ」って言われたんです。英語だって満足にできないのに中国語なんて当然できないから「嫌です」って断ったんですが、「いいから行け」と。片言の英語と身振り手振りで聞いて「こうなってます」と報告したら、「やればできるじゃないか」と。それから2年後タイの子会社に工場長として赴任しました。

「お前は仕事をしていない」と言われ「そんなことはありません」と社長と言い合いに

―タイの工場経験は、石本氏をひと回り大きくした。400人ほどの工場で現場を担当する工場長として1人、奮闘した。

海外赴任は予想していませんでした。人事から言われた時に「断る選択肢もあるんですか」と言ったら「その選択肢はない」と言われ、「まあ、いいか」と受けました(笑)。現地に日本人は副社長と現場の私だけ。少しでもコミュニケーションを取れるように最初はタイ語を学ぼうと現地の学校にも通ったのですが、そこが英語でタイ語を教える学校だったんで、通うたびにグレードが下がって、タイ語は諦めました(笑)。

タイは私を成長させてくれました。相手を尊重することと、度胸がつきましたね。とにかく勝手が違う。製造プロセスもこちらが設定したものと違うし、「こうやって」と言っても、仕上りが全然違うこともしょっちゅう。泣きそうでした。でも、われわれ日本人のほうが悪いのではないかと思う時もあった。プロセスが違ってもちゃんとできている。こちらの原理原則にこだわると逆に進まない。いろいろ教えてもらいました。

タイでは怒ってはダメなんです。当たり前ですが、プライドがあるわけです。口で言うだけでなく、こちらがやってみせないと納得はしません。海外では自分たちの前提にこだわらず、相手の気持ちや事情を知った上で、お互いの最適なことを見出すことが大事なんです。

でもそういったことが会社にうまく伝わっていなかったのか、日本に出張で帰った時に社長から「お前、働いてないだろう」って言われたんです。「そんなことはないですよ」と言い返したら、言い合いとなりました。思えば、そのくらい自分に自信と度胸もついたんだと思います。

「仕込」の中の生地の練り工程。仕込みで形状や重量が揺れるとその後の工程すべてに影響が出る

困ったことを話すのが現場の仕事 それを受け止め、楽にさせるのが工場長の仕事

―タイから戻ってからは、再び亀田工場の製造課長に。数十億の規模の投資で人気商品のハッピーターンの新ライン整備などを担当した後、4年前から亀田工場工場長に。「現場で働く人を楽にさせること」の信念は、一層深くなっている。夢は今のリードタイムを半分にすることだ。

製造課長になってからは、新ラインばかりつくっていました。6ラインぐらいつくりました。夜中に呼び出されることもしょっちゅうで、本当に大変でした。でもこれで現場が楽になると思ったら頑張れました。

工場長になってからは、現場を楽にするという思いは一層強くなりました。赴任最初の日に、マイクで言ったんです、「困ったことを話すのがみんなの仕事、何でも話してほしい」と。上司となる中間管理職には「現場の声は聞き逃さず、素通りしないでほしい」と伝えました。そして「後は俺に任せろ」と。そしたら、出るわ出るわ、いろんな声が(笑)。さすがに、ちょっとそれはダメだろうというのもありましたけれども……。でも言ってもらうことが大事なんです。そうでないといつまでもみんなが苦労することになる。品質向上、トラブルの削減、人員不足の解消につながっていかない。だから声を受け止めて自分なりに変換し、みんなが楽になる、喜ぶことをいつも考えています。亀田製菓の人はみなさん、結構笑ってくれるから反応もわかる。

それと管理職の人には、自分が考える未来のビジョンを持つことが大事だと言ってます。数字も大事ですが、自分がやりたいこと、こうしたいというビジョンがないと、会社って成り立たないと思うんです。そこがずれていると仕事が別の方向に行ってしまうので。考えていることを描いて見せてほしいと言ったら、みんな発想豊かにいろいろ考えていることがわかった。それを知れば、なんとかしたいと思うじゃないですか。

私の今の夢は、亀田の柿の種の製造リードタイムを半分にして、ラインを半分にすること。亀田の柿の種に限らず、米を原料にする米菓は手間がかかる。特に仕込みに時間がかかるので、亀田の柿の種だとでき上がるまで24時間かかります。

技術で言えば、亀田製菓には技術学校があり、技術伝承はうまくいっていると思います。原料や素材の物性など、ベテランが細かく教えてくれています。ただ今後を考えると、そこをいかに新しい考えで変換できるかが大切になる。今ある標準を守るだけというのはつまらないじゃないですか。それぞれが自分のビジョンを持って、それを尊重しながら、新しいアイデアを実現する。そこがモノづくりの楽しさ、醍醐味だと思うんです。

切断工程。冷やした生地を高速カッターで約1.6mmの厚さにカット。毎秒約1,500粒の柿の種形状の生地ができ上がる

※部署や役職は9月18日発刊当時のものです。
(取材・文 佐藤 さとる)

プロフィール

石本 達也氏(いしもと たつや)
1965年新潟県新潟市生まれ。84年地元の高校卒業後同年亀田製菓入社。主力商品である亀田の柿の種を生産する亀田工場に配属、以後約30年にわたり、主に亀田の柿の種の生産に関わる。93年白根工場班長。2005年亀田工場ブロック長。06年亀田工場課長。09年海外業務室課長、タイ子会社SMTC(現 THAI KAMEDA)に工場長として出向。11年に帰国し、亀田工場製造課長。17年より現職。社内では全国で必要な亀田の柿の種の需要を当てる「占い師」と呼ばれる。

亀田製菓㈱ 亀田工場
1987年操業開始。同社主力工場の1つで主力商品の「亀田の柿の種」シリーズを生産。生産アイテムは亀田の柿の種など約50品種。従業員数400名(派遣社員等含む)。敷地面積約90,000㎡(敷地内には本社棟があり、工場の敷地面積は別)。
所在地 〒950-0198 新潟市江南区亀田工業団地3-1-1

【販売サイトURL】

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【雑誌紹介】

雑誌名:工場管理 2020年10月号
 判型:B5判
 税込み価格:1,540円

【内容紹介】

工場管理 2020年10月号  Vol.66 No.12
【特集】コロナ時代のモノづくりはどう変わるのか ~現場強靭化へのシナリオ~

新型コロナウイルスの感染拡大は、依然として製造業全体に甚大な影響を及ぼしている。ウィズコロナ、アフターコロナとも表現される“コロナ時代”の中、生産現場ではさまざまな変化が起こり始めている。こうした変化に柔軟かつ俊敏に対応できる企業こそが、コロナ時代のさまざまな逆境を乗り越えるアドバンテージを得る。

特集では、新型コロナが製造業にどのような影響を与えてきたかを概観するとともに、それによって生産現場はどのような変化にさらされるのか、さらにその変化の波を捉え、スピード感を持って適応するために経営戦略、生産現場の仕組み、従業員の意識などをどのように変えて進んでいくべきかを提言。コロナ時代を生き抜くヒントを示す。

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