ただ三菱自動車の存続に尽くした16年...益子修さんを悼む

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三菱自動車の特別顧問で前会長の益子修氏

三菱自動車の特別顧問で前会長の益子修(ますこ・おさむ)氏が8月27日、心不全のため死去した。71歳だった。葬儀は近親者で行った。故人の遺志でお別れの会は開催しない。益子氏は健康上の理由で8月7日に会長職と取締役を退任したばかりだった。

益子氏は1972年に早稲田大学政治経済学部を卒業して三菱商事に入社。執行役員自動車事業本部長だった2004年、リコール隠し問題で経営危機に陥った三菱自の立て直しのため三菱グループから派遣された。05年に社長就任。約16年にわたり経営を主導し、環境対応車の展開や東南アジア市場の深耕を推進した。

14年に社長を退き会長兼最高経営責任者(CEO)に就いたが、16年に燃費不正問題が発覚。再度経営危機に陥り日産自動車の出資を受け入れる決断をして社長職に復帰した。19年に会長職専任となった。最近までアライアンス(企業連合)を組む日産と仏ルノーとの連携拡大に力を入れていた。

責任感が強く情に厚いユーモアを忘れない人

2004年、三菱自動車は2度目のリコール隠しが発覚。筆頭株主のダイムラークライスラーが撤退を決め経営危機に陥る。三菱グループが再建チームを派遣、リーダーを任されたのが三菱商事の自動車本部長だった益子修さんだった。

書類の山とコンビニ袋を抱え、真っ赤な目で帰宅した時も、記者に丁寧に応じてくれた。次期社長候補について「(グループからの)落下傘ですか、生え抜きですか?」と問うた答えが「胆力のある人」だった。

「今はエリートより武道を究めた胆力のある人がいい。背後からバッサリやられるかもしれないし…」。東大剣道部出身の多賀谷秀保さんが、初の生え抜き社長になった。だがグループ内で異論も出たため、7カ月で退任。その後を益子さんが引き受け、多賀谷さんを異例の北米三菱自動車会長に遇した。

責任感が強く情に厚いユーモアを忘れない人だった。国内工場の閉鎖を最小限にとどめ、度重なる負の連鎖を断ち切るように日産自動車との資本提携にこぎ着けた。益子さんでなければ実現できなかった。

8月に会長を退任した直後の訃報。おしゃれなどに頓着せず、ただ三菱自の存続に尽くした16年だった。ご冥福をお祈りします。

日刊工業新聞2020年8月28日、9月2日

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