世界との距離で分かる“宰相の器”
中曽根康弘元首相の持論は「日本に第二の明治維新が必要だ」。元経済同友会代表幹事でウシオ電機会長の牛尾治朗さんは「私が米国の留学から戻り、中曽根さんがこれから政界で活躍しようという頃に知り合った。米国がどう変わっていくかに深い関心を持っていた」と述懐する。
後にレーガン米大統領と“ロン―ヤス関係”を築いた基盤にも、米国への深い尊敬と関心があった。
牛尾さんは晩年まで中曽根さんと年に何度か会う仲だったが、共通の知り合いとして劇団四季創設者の浅利慶太さん(故人)がいる。「中曽根さんも僕も浅利さんの芝居が好きで、3人で食事をすると話が弾んだ」というのは、あまり知られてないエピソードだ。
元特許庁長官で中曽根平和研究所副理事長の荒井寿光さんは、中曽根さんの晩年について「勉強会に必ず出席され、自ら資料に線を引き、熱心に耳を傾けられていた」と、100歳近い年齢でもなお学ぼうとする姿が忘れられないという。
同研究所には「韓国、台湾、中国などさまざまな国の有力者が訪れ、中曽根さんの考えを聞こうとしていた」とも。日本だけでなく世界の情勢を最後まで心配していた。“宰相の器”を持ち続けた中曽根さんを悼みたい。
日刊工業新聞2019年12月2日