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妄想は人生の原動力!採用改革は楽天球団の優勝と同じプロセスにある

ビズリーチ・南社長が語る“ダイレクトリクルーティング”にたどり着くまで
 「スイッチを入れる人たち」の4回目はビズリーチ社長の南壮一郎さん。東北楽天イーグルスの創業メンバーを経てビズリーチを立ち上げたのが2009年。採用する企業と求職者を直接結びつける“ダイレクトリクルーティング”は徐々に広がりつつある。帰国子女としての戸惑い、楽天の三木谷さんとの出会い、大リーグの球団オーナーになる夢・・。「妄想が大好き」という南さんの頭の中を覗いてみた。

フットサル場管理人だったから三木谷さんに採用された


 ―幼少期からカナダで育って大学も米国です。高校時代を過ごした日本に違和感などはなかったですか。
 「親父がヤマハ発動機で中学は磐田、高校は浜松でした。もう、違う惑星に来たような。学ランって何?体操着は囚人服にしか見えないし(笑)。当時、通っていた公立高校から米国の大学に行くのは100年の歴史上初めてで、先生には反対されました。でもうちの両親は『自分で決めなさい』というのが教育方針で、今の自分があるのも両親のおかげで感謝しています。昔から直感で物事を決めるタイプで、これまでの選択には、ひとかけらも後悔していません」

 ―大学卒業後、最初はモルガン・スタンレー証券に入社されましたが、金融業界に興味があったのですか。
 「単純に格好いいなと。ユダヤ人が多く通う大学で数量経済学を学んでいて、アルバイトは邦銀のトレーディングルーム。19歳の時に何千億円が飛び交う世界を見たんですよ。それが原体験にあって、日本に帰国してモルガン・スタンレーに入ったもの直感ですね。直感というのは、自分の中で基本的に面白いか面白くないかという判断。やりたくないのは、結局、興味がないからなので」

 念願だったスポーツの仕事を辞めた本当の理由

 ―4年ほど金融の世界にいて、そこから楽天球団の立ちあげに加わりました。野球、あるいはスポーツ経営も面白そうだと?
 「子どもの頃はとにかくスポーツばかりやっていて、小学校から大学まで体育会のサッカー部でした。10歳の時にニューヨーク・ヤンキースのオーナーだったスタインブレナーをみて、『この人が球団のいろいろな事を決めているんだ・・』とスポーツ少年として魅力的に映ったんです。スポーツはやるだけでなくて、いろいろな関わり方があることを知った。当時、ベースボールカードを集めていて、選手編成して戦わせたりしてましたね。僕、ドン引きするくらいオタクなんですよ(笑)」

 「モルガン・スタンレーから投資会社を経て、そこからフリーター。1年ほどあらゆるスポーツの仕事のお手伝いをしました。最初はフットサル場の管理人。テニス大会の通訳、K1選手の丁稚奉公とか。そしたらちょうどプロ野球の再編問題(2004年)が起こって楽天が新規参入すると聞いて、『これだ!』と思ったんです。知り合いのツテを使って三木谷(浩史楽天社長)さんを紹介してもらい、20分間だけ時間を頂き面接を受けました。後から聞いたんですが、採用の決め手は金融マンの退路を断って、スポーツの仕事がしたいという意気込みが新鮮に映ったからだそうです」

 ―準備室から球団に入って念願のスポーツのビジネスに携わることになったのに、3年で辞められました。クビですか?
 「最初は新手のリストラですか?って思いましたよ(笑)。当時、僕は31歳。球団社長の島田(亨)さんから、『お前は30代をどう過ごすんだ?』と問われ、『ここでの経験を生かして外の世界で学んでみてはどうか』って背中を押してくれたんです。球団経営って狭い世界なんですよ。商圏は限られているし、毎年同じことの繰り返しです。このまま自分のキャリアを終わらせていいのかと1週間くらい考えて決断しました。三木谷さん、島田さんのお二人は僕のことを考えてくれたのでしょうけど、やっぱりあの人たちから言われると説得力がありますよね。一緒に仕事をしていてビジネスパーソンとして圧倒的な差を感じますから」

明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
自分も妄想する方だがなかなか実現しない。地道な努力も足りないのだろうが、どうも「ニヤニヤ力」を磨く必要がありそうだ。

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