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サーフィンと生きる町 千葉・一宮町の決断、五輪の大波に

大会初となるサーフィン競技の舞台
サーフィンと生きる町 千葉・一宮町の決断、五輪の大波に

五輪初のサーフィンが行われる一宮町の釣ヶ崎海岸。志田下ポイントは良質な波が押し寄せる

 千葉県外房には太平洋に面して60キロメートル以上の長さを誇る砂浜海岸「九十九里浜」が広がる。その南端に位置する人口約1万2000人の小さな町が、大きな転換期を迎えている。2020年東京五輪・パラリンピックで大会初となるサーフィン競技の舞台となる一宮町だ。競技会場となる釣ヶ崎海岸の「志田下ポイント」には時期を問わず押し寄せる良質な波を求め、年間約60万人のサーファーが訪れる。五輪開催でサーフィンによる経済効果“サーフォノミクス”加速の道を探る町に迫った。(取材・前田健斗)

一宮町の位置(google map)

人口が増加した一宮町


 一宮町は古くから地引き網漁や農業のほか、別荘地として発展するなど、サービス業の拠点として栄えてきた。一方、1970年代頃からは郊外大規模店の台頭などで町内の商店街での日常消費は減少の一途をたどってきた。ただ、最近では町のシンボル「玉前神社」がパワースポットとして注目を浴びたことによる観光消費の取り込みや、サーファー需要で海沿いにはサーフショップやカフェ、レストランなど合わせて40軒程度が連なる盛況ぶりを見せている。

 千葉県で人口総数が減少傾向にあるのは県内54市町村のうち7割程度。銚子・九十九里・南房総地域は軒並み減少するなかで同町は18年に42人の増加を記録した。ちばぎん総合研究所(千葉市美浜区)の水野創社長は「社会増(人口流入超)で人口減少をいかに食い止められるかに注目したい。日本全体からみてもいずれは人口が減少に転じると考えられるが、転じ方が他の地域とは異なっていくだろう」と分析する。

サーフィンで地域活性化目指す


 町は15年に策定した総合戦略で、サーフォノミクスで19年度に600人の転入を目指す目標を掲げるなど、サーフィンによる地域の活性化に取り組んできた。その加速が期待されるのが五輪のサーフィン競技開催だ。来訪者の利便性向上のため、町の玄関口のJR上総一ノ宮駅では五輪開幕直前の20年6月の完成を目指して新たに東口の開設工事が進められている。
JR上総一ノ宮駅前の案内所にはレンタル用の自転車24台とサーフボード10枚を用意

 五輪会場となる釣ヶ崎海岸には町が約8500万円を投じて多目的ルームを併設した温水シャワー付きトイレを整備中だ。町の担当者は「満足度の向上で来訪者の増加につなげたい」と話す。18年4月には地方創生交付金を活用し、上総一ノ宮駅前の町有地で「上総一ノ宮観光案内所」を開所した。1日100人以上訪れることもあるという案内所では、サーフボードや自転車のレンタル、農産物の直売なども行い、町の魅力を広めている。

 サーフォノミクスに弾みをつける狙いで、16年8月に同町が民間企業と共同出資し、地域活性化を目的にした企業、一宮リアライズ(一宮町)を設立した。同社は“サーフ・アンド・ワーク”をコンセプトに商店街にある空き家を活用し、飲食店やオフィスの集合体「SUZUMINE」をオープン。これまでに企業が2社と飲食店などが入居している。若手人材の流入が進めば新たな産業の創出や農林水産業の6次産業化なども期待される。

五輪開催、胸躍らせる地元


 五輪開催はサーファーの胸も踊らせている。釣ヶ崎海岸でサーフィンを楽しむ千葉県君津市在住の小西聡さん(46)は、「五輪開催は誇らしい。サーフィンの素晴らしさが多くの人に伝わってほしい」と話す。東京都江東区在住の藤村司さん(42)も「海岸沿線に店が増えてきている。五輪で一層盛り上がってほしい」と期待する。一方、地元の老舗サーフショップのカルホルニアハワイプロモーション(CHP)の中村新吾社長は、「サーファー人口が増えるのはうれしい。ただ、近年は海難事故が多い印象があるので、安全に気を配って楽しんでほしい」と訴える。

 同海岸では8月にサーフィン大会「オークリートライアウト2019」が開催された。町内に住み、同大会に出場した若手サーファーの河野真ノ彩さん(13)は、「サーファーとして育ててもらった場所が五輪競技の会場になるのは感慨深い。将来は五輪出場を目指す」と意気込む。

 五輪開幕まで1年を切り、競技運営や機材、音響のテストなど準備が着実に進められている。歴史と新たな文化の融合で地域を成長・発展へと導いていく。


        (一宮町のサーフィンのPR動画)

インタビュー/一宮町長・馬淵昌也氏/ 町民挙げてサポート役に


 少子高齢化によって過疎化が進む地域は今後も全国で増える。国内外で若年層を中心に根強い人気があるサーフィンは、地元の活性化や発展につながる新たな波を起こす重要な地域資源だ。一宮町の馬淵昌也町長に町づくりについて聞いた。

―五輪初のサーフィン競技が地元で行われます。
 「わが町が誇るビーチが会場として正式決定し、大変光栄でうれしい。一方、設営やマネジメントなどは東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会が担ってくれるため、我々町民はサポート役に徹する。ただ、一人でも多くの町民に五輪を肌で感じてもらうためにも、できる限り関与してほしい。そのため、会場内で開く競技以外のイベントへの参加など、町としての接点が少しでも多くなるよう掛け合っていきたい。地元で開催したと誇りを持ってもらえるように円滑な準備を展開していく」

―地元住民からは歓迎と不安の両方の声が聞かれます。
 「会期中は国内外から観戦客など多くの来訪が予想される。治安のほか、路上駐車、渋滞など確かに不安を抱えている住民はいる。町民宅に直接訪問するなどして意見を聞き、それを真摯(しんし)に受け止める。千葉県警察や大会組織委とも共有し、普通に暮らせる環境を確保することで、皆が前向きに五輪を迎えられるように努める」

―観戦客らの消費による経済波及効果などの期待は。
 「16―19年と4年連続でプロサーファーが技を競い合うワールドサーフリーグ(WSL)主催の国際大会を五輪会場と同様の場所に招致してきた。4回目の19年の大会では来訪者が約2万5000人あり、うち150人程度に消費に関するアンケートに協力してもらった。その結果、平均4600円ほど消費しているとのデータがそろった。五輪というさらに格別な大会であることからも、サーフィンによる経済効果に大きく期待している」

―サーフィンのほか、一宮町には史跡などの歴史、そして出荷額21億円以上の基幹産業の農業といった多くの魅力もあります。
 「農業など異分野とサーフィンとの連携強化が今後の課題だ。関係を深めてもらい、相互に補完し合いながら展開していけるような構造を目指したい。これらの融合が実現すれば五輪開催の大きなレガシー(遺産)になる。一方、町の全人口のうち8割程度はサーフィンと縁がないと考えられる。現段階ではサーフィンの影響が及ぶのは限定的な地域だ。さらに浸透させることでサーフィンの経済力を意識して戦略的な町づくりを目指す。極めて格別なチャンスの五輪を最大限に生かしていきたい」
馬淵昌也町長

日刊工業新聞2019年9月3日(トピックス)
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
五輪のサーフィン競技開催に、あるプロサーファーは「ファッションではなく、スポーツとして認められた」と喜ぶ。これを具現化させるのが一宮町の〝志田下〟だ。五輪開催で、一層の盛り上がりが期待される一方、古い文化とサーフィンに代表される若者文化は、一見相容れないようにもおもえる。ただ、かねてよりサーフィンによる町作りに力を入れてきた一宮町なら、時間をかける中で、それらを一体化させ、新しい形の〝一宮〟を誕生させるのではないか。期待を胸に、今後も町政運営の行方に注目していきたい。(前田健斗)             

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