ゲノム解読が「ゼロ円」に、生物を扱う産業を一変させるポテンシャル

クオンタムバイオシステムズの仕掛ける未来

 全遺伝情報(ゲノム)は人類にとって最も価値のあるデータの一つだ。クオンタムバイオシステムズ(大阪市淀川区、本蔵俊彦社長)は、1本のDNAの配列を読み取る1分子DNAシーケンサー(解析装置)を開発する。メチル化など、DNAへの化学修飾状況(エピゲノム)を読み取れ、2021年に試作機の提供を始める。がんや感染症対策、農畜産物の開発など生物を扱う産業を一変させるポテンシャルを持つ。(取材・小寺貴之)

 「データから得られる利益がDNAを読むコストを上回れば、読み取りは無料になるだろう」と社長の本蔵は予測する。米グーグルなどのIT巨人はゲノム研究に熱心だ。DNA配列だけでも膨大なデータを扱うが、その化学修飾の時間変化を含めると爆発的にデータが増える。そしてゲノムは創薬や農産物の開発など、生き物を扱う産業には不可欠になった。データから得られる利益が、いつ読み取りコストを上回るか。投資家やIT企業は見守っている。

 この中心にあるのがDNAシーケンサーだ。クオンタムバイオは微細電極で電気的にDNAの配列を読み取る。大阪大学の研究成果をもとに起業した。電気式の利点はエピゲノムを安価に読み取れることだ。細胞の中ではメチル化でDNAの働きが調整され、メチル化の異常はがんにつながる。がん研究では細胞の時系列変化を調べるニーズがある。

 エピゲノムは一度読んだら終わりにはならない。本蔵は「定期的にエピゲノムを読んで健康をチェックするビジネスが構想されている」と話す。現在の研究用シーケンサーの機能を絞り、小型化・低価格化して「将来はシーケンサーは個人持ちになる」と予測する。クオンタムバイオは1時間で1万円のフルゲノム解読を目指す。

 現在は競合から技術者を引き抜き米国で開発を進める。DNA読み取りチップの製造技術は半導体大手と連携し、自社の開発負担を抑えた。一つのチップに数億個のセンサーを集積化させる。21年に研究者にエピゲノムシーケンサーを提供、22年や23年に用途を絞った機体を製品化する。

 本蔵は「シーケンサーが1社独占の現状ではコストが下がらない。我々のようなベンチャーの台頭をIT企業は歓迎している」とパートナーシップは順調なようだ。クオンタムバイオがデータのコストを下げ、IT企業はデータの価値を最大化する。価値とコストが逆転した瞬間にゲノム解読ゼロ円の世界が誕生する。(敬称略)

本蔵俊彦社長インタビュー


本蔵俊彦社長

-起業のきっかけは。
 「展示会で阪大川合知二教授と谷口正輝教授らの研究に出会ったことがきっかけだ。当時は産業革新機構のディレクターとしてバイオベンチャーの投資育成に携わっていた。成果をみて、これは面白いと思い、面談を申し込んだ。川合先生たちもベンチャーを作りたいとベンチャーキャピタルなどと話をしていたが、難しいと断られていたところだった。2012年9月に阪大産学連携部門と谷口先生たちと面談して状況を伺った。産革機構としては会社になっていなければ投資はできない。やりとりをする中で私がスタートアップを作ることになった。設立は13年の1月7日。面談から約3カ月で会社が始まった」

-もともと経営者になりたかったのですか。
 「簡単に経歴を振り返ると東京大学森下真一教授のもとで助手としてバイオインフォマティクスの研究に携わっていた。助手になった01年にヒトゲノムの解読が宣言された。国際共同プロジェクトと同時に米セレラというベンチャーが解読したことが象徴的だった。セレラ社はショットガンシーケンス法を武器に学術界を上回る速度で解読を進めていった。これを機に私はアカデミアの研究者の立場から、より広い視点でバイオ研究を見るようになった。03年に証券会社に転職し、製薬企業担当のアナリストに混じってバイオベンチャーの銘柄を見るようになった。財務諸表と格闘しながら一つ一つ勉強していった。バイオベンチャーの上場ブームも経験した」

 「アナリストとして会社を取材すると、大学発ベンチャーは技術の良しあしだけでなく、経営者が経営を左右することがわかってくる。いい経営者は優れた研究者を集め、事業面でも優秀な人材が入ってくる。アナリストの仕事は面白いが、会社の中に入って自分もやってみたいと思うようになる。そこでマッキンゼーに転職してコンサルタントに就いた。大手製薬などの案件ごとにチームを組み、約3カ月単位で経営戦略やアドバイスを作る。大企業の運命を左右するような意思決定に携わることになる。企業の役員クラスと同じような経験ができた。所属した6年間のうち2年間はMBAをとりに行かせてもらい、実働は4年間。製薬やヘルスケア以外はやりたくないとわがままを言わせてもらったが、結果を残せば次があるよさがあった」

 「マネージャーとしてチームをまとめ、経営課題を解いていくのは面白かった。ただマネージャーの次の職位はパートナーという、外から案件をとってくる仕事になってしまう。そこで産革機構に転職した。研究者からアナリスト、コンサルタント、投資育成ディレクターと移る中で、技術や事業計画、チーム作り、資金調達などビジネスを学んでいった。そんな中、阪大川合先生たちの研究に出会った。DNAを読み取るセンサーなどのハードウエア技術と森下先生のデータ解析などのソフトウエア技術が組み合わされば面白いと、プライベートな立場で関係者と議論しながらプランを膨らませていった。12年10月にベンチャーを創業することを決めた。1カ月での決断だった」

-米国法人を立ち上げて開発機能を移しました。阪大の研究がいまも続いているのですか。
 「じつは当時のコンセプトはもうない。基礎的な成果は利用しているが、クオンタムバイオとしては阪大の技術だけでは実用化は難しいと判断した。大学では1000回試行錯誤して1回成功すれば論文になるが、企業はユーザーの試行錯誤を支える。100回、1000回と計測しても常に同じ結果にならなければならない。阪大の成果だけでは安定性を確保できなかった。そこでコンセプトを大きく変えた。出資を受けて15年から16年にかけてクオンタムバイオとしての開発体制を整えた。ただ1分子・電気計測のコンセプトは変えていない」

 「米国にはシーケンサーベンチャーをいくつも輩出しているベンチャー支援機関がある。この施設に入居し技術者を引き抜いた。20年以上シーケンサーの開発に携わり、各技術の良しあしに精通しているエンジニアをリーダーに据えている。給与やストックオプション、保険は競合と同等の水準で、通勤は駐車場が変わるだけ。我々の手法で1分子・電気計測のDNAシーケンサーが実現できれば社会へのインパクトは大きい。そこに賭けないかと口説いた。このエンジニアのもとでなら勉強になる、人脈を作れると優秀な若手が集まってくる。ベンチャーは成功も失敗もあるが、若手にとっては成長の機会になる」

 「米国法人を設けたことで、半導体大手との提携も進んだ。DNAを読み取るチップを工場で製造している。カリフォルニア大学デービス校やスタンフォードとも共同研究を進めている。他のシーケンサーメーカーとも議論するが、ワン・フィッツ・オール(1企業がすべての用途に対応する)な市場ではない。現在は米イルミナの独り勝ちだが、後発であっても読み取り速度や精度、コストのすべての面で上回る必要はない。自社のユニークな部分を最大限引き出せる用途を見つければ戦える」

-現在の開発状況は。
 「NDAを結んでいる関係でほとんど話せることはないが、21年にプロトタイプを完成させ、特定の大学研究者に使ってもらう。この段階では我々の計測コンセプトを形にして、適した用途を探る。研究者からのフィードバックを受けて22年や23年に機能を絞った製品を出す計画だ。我々の手法はメチル化などのDNAへの化学修飾情報(エピゲノム)が読める。DNAとRNA、そのエピゲノムまで読めるシーケンサーは存在していない。エピゲノムは遺伝情報の発現をコントロールしており、メチル化の異常はがんにつながる。研究にも産業にもインパクトがある」

 「大手半導体とは一つのチップに読み取りセンサーを数億個集積化する研究を進めている。プロトタイプではこの数は必要はないが、安価に提供できる状態にしておく。フルゲノムをエピゲノムを含めて1万円での解読を想定している。シミュレーション上は可能になっている」

-エピゲノムシーケンサーはどんな産業に使われますか。
 「生き物を扱うならすべてだ。ヒトなら医療や犯罪捜査、畜産なら良質な肉や乳製品、農作物や感染症対策にも利用されるだろう。ウイルスや細菌の遺伝子変化をモニターすれば、天気のように地域別にリスクを予報できるだろう。腸内細菌をモニターし、食べ物を選ぶなど、広い応用が期待される。そしてエピゲノムは変動する。タイミングや細胞によって化学修飾の状況が変わる。一生に一度、自分のゲノムを読んだら終わりではなく、細胞ごとにタイミングによっても状況が変わっていく。例えばがんの組織はさまざま細胞が混じり合ってできている。どのがん細胞は増殖能力が高いかなど、細胞一つ一つを調べるニーズもある」

-天文学的なデータ量になってしまいます。
 「ビッグデータの中でもゲノムが最も増えるという予測もある。動画やメッセージ、天体観測データなどと比べても、桁違いの増加が見込まれている。すでに東大では電源を入れていないと記録が失われる揮発性のストレージでは、データを置いておくだけでも電気代がかかるため磁気テープに保存しているほどだ。エピゲノムとなると、その蓄積や解析には巨大な情報インフラが必要になる。そのため米グーグルやアマゾンなども期待していて、ゲノムの応用研究を進めている。データから引き出せる価値がDNAを読むコストを上回れば、Gメールのように無償でゲノムを読むことも考えられている。我々は読み取りコストを抜本的に下げ、IT企業ではデータの価値を伸ばす研究が進む。いつか費用と効果が逆転して、無償モデルが実現すると信じている」

-イルミナの独占状態を破らないといけません。
 「IT企業にとって我々のようなベンチャーの挑戦は歓迎されている。独占されている間は値段は下がらず広がらない。そしてエピゲノムの読み取りが実現すると、一度読めば終わりでなく、定期的にエピゲノムを読んで健康をチェックするビジネスが構想されている。そのためにはパーソナルシーケンサーが必要になる。コンピューターがメインフレームからパソコンになったように、現在の研究用シーケンサーも機能を絞って、小型化・低価格化を進め、個人用のシーケンサーが登場すだろう。このためには抜本的なコスト低減が必要で、それを実現するのは我々の計測コンセプトであり、装置であると信じている」

-グーグルなどへのM&Aという出口もありえますか。国産シーケンサーベンチャーが外資に買われると嘆く人もいると思います。
 「視野に入れている。川合先生たちには創業時に外資に買われる可能性を含めて理解頂いている。日本の企業に技術移転することが目的でなく、人類がこの技術を使えるようにすることが目的だ。そのためには最も成功確率の高い方法を選ぶ。大手半導体に計測チップの開発を頼み、できるだけリスクや負担を極力抑えている」

-国境や企業を超えて活躍するには何が必要ですか。
 「シンプルに自分がやりたいことをやりたい人とやりたい場所でやることだ。どんどん外に出て発信しないと、優秀な人が入ってこない。人材流出を嘆くよりもインパクトのある発信をして人を集める方が大切だ。私自身はキャリアの選択肢があれば、わくわくする方を選んできた。大航海時代に船乗りがエキサイティングな職業だったように、バイオテクノロジーにみせられてこの道に進んだ。私はコロンブスになれるかわからないが、船には乗っていたい。きちんとキャリアを作ってきたように聞こえたかもしれないが、面白そうな方に進んできただけともいえる。国境など気にせず、やりたいことをやればいい」

日刊工業新聞2019年7月15日 (政治・経済)に加筆

小寺 貴之

小寺 貴之
07月18日
この記事のファシリテーター

 フルゲノムゼロ円の時代になれば、自分の会社は何で噛むか考え始めるにはいいタイミングかもしれません。DNAシーケンサーに挑戦するのはクオンタムバイオシステムズだけではなく、技術的な風穴が空き次第、IT巨人や投資家たちの投資レースが始まります。そのときには連携すると実現できるビジネスモデルを最初に提案しに行きたいところです。


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