ニュースイッチ

リクルートから中国ベンチャー、日南市へと職を変えた田鹿くんの就活論

社会人10年、徐々に自分にとって居心地のいい場所に
 街には就職活動中と見られる大学生が増えてきた。「きっといろんな葛藤を抱えたまま誰かが敷いた就職活動というレールを走らされているんだろうな、結局はそのレールを敷いた人が一番得をする仕組みになっていることを知らないままに」と思いながらも、陰ながら応援している。

 さて僕は2009年に大学を卒業して就職、今年で社会人生活は10年になった。10年の間で働いた場所は東京、中国(上海・北京)、宮崎。所属した組織は大企業、ベンチャー企業、地方自治体。雇用形態は正社員、フリーランス、経営者といろいろな場所・組織・形態で働いてきた。

 この10年間を振り返って、もし自分が大学生に戻り、もう一度就職活動をするのであればどのような視点で向き合うかを考えてみた。日頃、多くの大学生と交流する機会があり、就職活動の相談を受ける。そんな彼ら、彼女らにとって何かのヒント、あるいは反面教師になれば、と思いこれを書いている。

 僕には、就職活動に限らずキャリア選択の度に使う3つの基準があるので、参考にして欲しい。

① 就職先を決めるただ一つの基準。それは人生の選択肢が増えるか。

② 社会には2つの仕事がある。誰かが決めたルールを運用する仕事と、誰かが運用してくれるルールを作る仕事。

③ お金の稼ぎ方は5パターンだけ。時間か技術か人かお金か信頼か。


「自己分析」と「業界分析」は時間の無駄


 まず就職活動で誰も行うであろう「自己分析」と「業界分析」。実はそれこそ時間の無駄である。キャリアの90%は偶然で決まる、という論文もあるが、そもそも職業経験がほとんどない大学生が授業とサークルとバイトとデートの合間に少し考えたところで、想定通りのキャリアを歩む確率は1%もない。

 そして最も大きな問題は、学生が行った自己分析、業界分析を正しく評価できる面接官がいないことだ。職業経験のない学生が片手間で自己分析と業界研究をやり、学生の言う「業界の将来」を理解する面接官が合否を判定する。こんな茶番に大事な時間を費やす必要はない。

 結局、自分に向いてる仕事なんて自己分析や業界分析したところで分かるはずもなく、実際に仕事をやりながら徐々に修正していったほうがはるかに効率的だ。

 では、ここからは僕の大学時代から現在までの仕事を振り返ってみよう。

 初めてやったのは個別指導の学習塾。それを選んだ理由は時給が良かったこと。レストランのウエイターを経て、次に始めたのはバスツアーの添乗員。毎週末、バスツアーに乗り込んで九州各地の観光地を回った。ツアーが終われば担当したツアーの収支を出すところまでやらせてもらったので、ツアーごとの売上げや利益が分かった。

 どんなツアーに人気があるのか、バスや旅館の仕入れ値がいくらなのか、ビジネスモデルの基本を勉強するには良い教材だった。また観光地によっては添乗員にお小遣いをくれるところもあった。始めは「お客さんを連れてきてくれてありがとう」という感謝の意味だと思っていたのだが、これは「今度、近くを通るときはあなたの権限でうちにバスを寄らせてね」という営業だと気付いた。

 この時に分かったのは、お客さんからの評価は上々なのに、会社では全然評価をされないということだった。 同じバイト生でも飲み会に遅くまで付き合ったりうまく上司に好かれている人もいたが、僕には同じことができるとは思えず、この時、サラリーマンとして生きていくのは厳しいかもしれない、と大学生ながら感じたものだ。

 また、1日単位で完結する仕事より、もう少し長いスパンで取り組む仕事のほうが良さそうだな、とも思った。しかし高校野球経験者の僕は、3年間かけて1つの大会に臨むというサイクルが途方もない長さに感じていたので、3ヶ月くらいで一つの成果がみえるくらいの仕事がいいな、とも思えた。

 他にも派遣でクレジットカードの勧誘や、選挙の出口調査のバイトをした。成績は割と良く、派遣会社からも優先的に仕事を回してもらったり、ボーナスをもらったりもした。ひょっとしたら営業に向いているのかもしれない、と“自己分析”した。

誰のための営業?


 そして大学を卒業し入社したのがリクルートで、事業開発室に配属された。新規事業を立ち上げる部署ということで華やかなイメージを持たれがちだが、実際はテレアポ営業から飛び込み営業、ルート営業、大企業のコンペに参加したりなどさまざまな営業を経験した。

 結局、帯状疱疹を患ったり、うつっぽくなったりしながらも全力でやってみたが、同期や後輩と比べても自分が営業に向いている、上達する素質があるとも思えなかった。同じ営業でも来たお客さん向けの営業と、自分から行く営業の違いも分かった。

 また、その商品が本当にお客さんのためになるのか分からない中で、売ることにストレスを感じた。同僚の中には「そんなの売ってから考えればいい。どうせ定期的に担当は異動するから大丈夫」と言う人もいたが、僕は最後までそれが腑に落ちずにいた。

 ある時はもうすぐ契約、というタイミングで自ら破談にしたこともあった。どう考えてもお客さんに価値を返せるイメージができず、このままお金を受け取ったらお客さんを不幸にするのではないか、目の前のお客さんを裏切るくらいなら自分の営業成績を犠牲にしたほうがましだ、と考えるようになった。

 先の同僚は社内で高い評価を受け表彰され、出世していったが、それを見て自分も同じようになりたいとは思わなかった。組織内の評価で左右されるサラリーマン人生は長く続かない、と自覚した。

本当の新規事業


 そしてリクルートを退社、次に挑んだのは中国のベンチャー企業。停滞する日本ではなく、高度経済成長の現場に身を置きたかったということが理由だ。僕に課せられたミッションは北京に新しく事務所を作り、インターネット広告の代理店事業を軌道に乗せる、というものだった。

 ぐんぐん市場が成長しているがゆえに世界中からめちゃくちゃ優秀な人達が大きな資本を投じて新規参入し、常にライバルとの戦いだった。多くのコンペにも出たが、基本的に競争が好きではない性格で、ライバルの雰囲気に飲まれながら、異国の地で一人で戦うことの熾烈さを身をもって知った。

 収穫もあった。ちょうど日本を訪れる外国人観光客が増え始めたころで、日本の企業や観光庁がアジア各国に広告を出稿していた。日本の企業から広告予算を預かり、アジア各国でプロモーションを請け負う新規事業を立ち上げ、比較的順調に伸びていった。

 当時の日本にとって外国人観光客誘致は国を上げた「新規事業」。それに携わっているという実感は非常に強いモチベーションになった。マーケットとモチベーションが噛み合えば事業は伸びることを体感したのだ。

 そして中国でいろいろな経験を積んで、日南市役所のマーケティング専門官として宮崎に戻ってきた。日南市の人口動態を持続可能なモデルに変える、というミッションで、これはWEBマーケティングをやっていた時の知見が役に立った。

 例えばECサイトの売上げを伸ばそうとした時、「どこからサイトに流入してきているか」、「どこからサイト外に流出しているのか」を分析する。「サイト」を「日南市」に置き換えれば日南市に入ってくる人口と出ていく人口の要因を分析することができる。他業界の知見を導入することで、これまでの自治体にはない新しい考え方が生まれることを実感した。

不安定だが不満はない


 日南市ではフリーランス(個人事業主)として働いている。正社員時代と違って雇用の安定はなくなったが、働き方を自分で決められることから仕事の生産性はものすごく上がった。正社員時代、「不安」は無かったものの「不満」は多かった。

 それに比べてフリーランスは不安定だが、不満はない。自己決定権が幸せに直結するという調査データがある。僕はその傾向が強いのかもしれない。大企業の正社員で働くよりも個人事業主として働くことのほうが向いているのだろう。

 そして、最近は「株式会社ことろど」を設立して会社経営もしている。人類が生み出した法人という概念を使って個人ではできないことをやってみたい、また自治体の仕事は「富を正しく分配すること」が大きな役割だが、民間企業として「富を生み出すこと」も忘れてはいけない、という理由からだ。

 まさか10年前には自分が社長をやることになるとは微塵も思っていなかったが、やってみるととても面白い。社長として意思決定をする機会は多いが、その小さな決断の一つ一つの積み重ねが結果につながる。「他責にできない環境」は非常に充実感を与えてくれる。

 10年を振り返ると本当に一貫性のないキャリアを歩んできたが、徐々に自分にとって居心地のいい場所、成果を上げやすい仕事、バランスのとれた働き方に近づいてきたとも言える。

 「誰か」が決めた就職活動のルールに焦ることもあるかもしれないが、まずは選んだ仕事に集中して取り組み、そこから分かったことを軸に次のキャリアを選んでいこう。そもそも学生と企業という圧倒的な情報の非対称な条件下の就職活動である。しかも働く場所、職務内容は企業が一方的に決めるルールの中で、自分に最適な企業や職種に最初から出会えるはずがない。

 野球に例えるならば、空振りしたり詰まったりしながらが、自分が得意なコースや球種を理解していく。一度も打席に立たずに想像だけで自分の得意なコースと球種を決めることはできない。

 就職活動も同じ。机やパソコンに向かって自己分析や業界研究に唸っているよりも興味のあることにどんどんチャレンジして、軌道修正しながら自分に合った仕事や働き方を見つけていくほうが、圧倒的に効率的なのだ。
(文=田鹿倫基<日南市マーケティング専門官>)
田鹿倫基
田鹿倫基 Tajika Tomoaki 日南市 マーケティング専門官
就職活動や転職活動で悩むこともあるかもしれませんが、人生100年時代。いま大学生の人は60年ちかく働く人生を送るでしょう。であれば始めの20年くらい、つまり40歳くらいまでは興味のあること、自分が得意そうなことにどんどんチャレンジして随時軌道修正しましょう。逆にはじめから決め打ちで仕事を選んで疑問をもつことなく20年間も同じ会社、同じ仕事をしている人はちょっと人生の機会損失をしているかもしれません。

編集部のおすすめ