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欧州の牙城に日本が風穴か、2兆円の水素市場を掴むカギは材料研究

水素液化技術「磁気冷凍」実用化へ
欧州の牙城に日本が風穴か、2兆円の水素市場を掴むカギは材料研究

川崎重工業の液化水素運搬船。LNGタンカーと同様に蒸発する水素を航行燃料に使う(川重提供)

 水素を冷やして液化する。水素をエネルギーキャリアや燃料として使う水素社会では不可欠になる技術だ。だが30年近く、液化の原理は変わっていなかった。この原理が覆ろうとしている。強力な磁力を用いる磁気冷凍技術が実用レベルに上がってきたためだ。欧州2社がほぼ独占してきた液化装置市場に風穴を開けるかもしれない。液化技術のブレークスルーの背景には日本の材料研究がある。(文=小寺貴之)

50年に2兆円市場、水素社会到来迫る


 「2030年に900億円、50年に2兆円の水素流通が掲げられている。この水素市場を日本がリードするためには液化技術が欠かせない」と日本大学の西宮伸幸特任教授は強調する。政府の「水素基本戦略」では30年に水素1ノルマル立方メートル当たり30円で30万トン、50年を視野に入れて将来は1ノルマル立方メートル当たり20円で1000万トンの供給が目標として掲げられている。それぞれ国内だけで9000億円と2兆円の水素市場ができる計算になる。この巨大市場の獲得のため開発競争が進んでいる。

 水素をエネルギーキャリアとして使うため、有機ハイドライドとアンモニア、液化水素の三つの技術が開発されている。中でも液化水素は摩擦や熱損失などを無視した理論的な最大効率が98%と試算されている。他の2種は化学反応を介して液体を作るが、液化水素は液化と気化の物理現象を利用する。名久井恒司東京理科大特任教授は「物理プロセスはエネルギーを機械的に回収しやすい」と説明する。液化の排熱を回収し、気化する際の膨張を利用できれば飛躍的に効率が上がる。

現状は3番目


 ただ現状は液化水素の効率は3技術の中では3番目だ。水素の沸点は20ケルビン(マイナス253度C)と低く、装置を作る上で厳しい制約がある。水素の液化装置は欧州2社が独占し、プラントの液化効率は25―35%に留まる。技術開発は効率化よりも、システムの信頼性を上げる方向に投資が振り向けられ、劇的な改善は見込みにくい。川崎重工業水素チェーン開発センターの森本勝哉理事は「液化は水素チェーンのコストの多くを占める。基礎的なブレークスルーが起きれば、民間で開発競争が起きる」と期待する。

             

 物質・材料研究機構は磁気冷凍技術でブレークスルーを起こそうとしている。物材機構の沼澤健則液体水素材料研究センターNIMS特別研究員らは液化効率40%を実現した。この磁気冷凍技術をもとに科学技術振興機構の未来社会創造事業として10年間で33億円を投じる大型プロジェクトが動きだした。目標は冷凍効率50%の液化装置の開発だ。沼澤特別研究員は「既存技術は欧州2社が特許を固めてしまった。だが基本原理は30年前のものを使い続けている。磁気冷凍は新しい技術。日本で知財を囲い込む」と意気込む。

           

 磁気冷凍は磁性体に強力な磁場をかけて磁気モーメントを強制的にそろえる。磁場がなければモーメントはバラバラな方向を向く。強制的にモーメントをそろえる過程で磁性体から熱が排出され、磁場から解放されてモーメントがバラバラな方向を向く過程で周囲から熱を吸う。この発熱と吸熱を繰り返して水素ガスから熱を移す。

磁性材、AI・データ科学活用で低コスト化


 カギとなるのは磁性材料だ。磁気モーメントの変化量が大きいほど効率が上がる。沼澤特別研究員らはホルミウム・アルミニウム合金などの有望材料を開発済みだ。さらに原材料コストを下げるため、未来社会創造事業ではレアアース(希土類)を含まない磁性材料を探す。候補物質をリスト化して磁性を計測し、データベースを構築する。人工知能(AI)技術やデータ科学を活用して、データからの性能予測や絞り込みを繰り返す。

 物質探索と並行して材料としての加工技術を開発する。磁性体と水素ガスの接触面積を増やすため、磁性体は直径200マイクロ―300マイクロメートル(マイクロは100万分の1)の球状の粉にしてカラム(筒状容器)に詰める。この粉の真球度や粒径分布は充填率を左右するため、均一な磁性粉体の製造技術を開発する。また金属系材料は水素を内部に浸透し、劣化の原因になる。そこで水素を遮断するコーティングを開発する。アルミナや窒化チタンなどが候補になる。水素は遮断しつつ、熱は伝えやすい材料を探す。

            

 磁気冷凍システムは2種類開発する。液化プラントでは超電導磁石で5テスラという強力な磁場を作り集中的に冷却して液化する。水素ガスと超電導磁石を同時に効率的に冷やす設計が求められる。問題は水素ガスを77ケルビンから液化温度の20ケルビンまで冷やすため50度以上の温度幅がある点だ。超電導材の転移温度と水素の温度に差ができる。超電導コイルはできるだけ高温で動作させたいが、コイルが水素を温めてしまう。反対もしかりだ。断熱と冷却、排熱をうまく設計する必要がある。これは誰でも扱える技術ではない。物材機構の橋本和仁理事長は「超電導材料や極低温材料の開発ノウハウが生かせる」と自信を見せる。

100V電源で稼働


 もう一つが運搬時に液化水素の気化を防ぐ冷凍システムだ。液化水素が気化する20ケルビンの狭い温度帯で効率を追求できる。だが可搬性を重視するため、永久磁石で発生させられる1テスラで稼働させる必要がある。現在約5%の冷凍効率を15%に高め、100ボルト電源で動く小型冷凍システムを開発する。

 ただし気化は完全に抑える必要はない。気化した水素は運搬する燃料電池車やタンカーの燃料になるためだ。LNG輸送タンカーも気化する天然ガスを燃料として利用する。川崎重工業の神谷祥二上席研究員は「液化水素の優位性はLNGの技術を利用でき、国際的に流通制度が整備されている点」と指摘する。液化水素を国境をまたいで流通させる際に、世界的に安全基準や輸出入などの制度が整っている。

 50年に2兆円と目される水素市場で液化装置は最重要技術の一つだ。磁気冷凍技術は物質探索から材料開発、液化システム、社会実装まで、険しくも確かな道がある。水素社会が実現したときに欧州勢の独占を打ち破れているだろうか。日本の底力が試される。

トヨタ自動車の改良型の燃料電池(FC)大型商用トラック(トヨタ提供)
日刊工業新聞2019年5月3日
小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
戦略通りに進めば、国内だけで2兆円の水素市場ができるため、液化装置は負けられない戦いの一つだと思います。物材機構の磁気冷凍で液化効率が現行の1.5~2倍になるかもしれません。早めにプラントをつくれる企業がプロジェクトに参加して欲しいところです。液化装置は海外から買ってくればいいという考えはありますが、国内企業が加わらないとこのプロジェクトチームも海外に技術を売りに行くことになってしまいます。肝となる部分をプラントや装置だけでなく、材料レベルから囲い込めるチャンスです。また液化水素や燃料電池はドローンの長距離飛行や大容量化に欠かせなくなるのではないかと思います。稼働率を高めたい場合は急速充填できる液化水素は有利です。またプロペラの破損などで墜落する場合、水素を大気中に放出すれば被害を抑えられます。水素で気球を膨らませて落下衝撃を緩和することも可能かも知れません。有機ハイドライドなどと比べると液化水素は蒸発するのが難点ですが、それなら液化天然ガスのように蒸発分を燃料として使ったり、発電して消費したり、売電すればロスをぐっと減らせます。その頃には電力を受け入れる送電網も高度になっているのだと思います。

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