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リーマン・ショックから10年。トヨタ元副社長「危機への対応力、道半ば」

新美篤志氏インタビュー「あっという間に市場がなくなった」
リーマン・ショックから10年。トヨタ元副社長「危機への対応力、道半ば」

「国レベルで議論するのも今からやるべきこと」と新美氏

 世界が震撼(しんかん)したリーマン・ショックから15日で10年。米国発の信用収縮の流れは世界を駆け巡り、金融・経済危機を引き起こす。その余波は日本の産業界を直撃、急激な在庫削減と生産調整を迫られ、大きな痛手を被った。当時、トヨタ自動車の調達や生産担当役員だった新美篤志氏(トヨタ自動車元副社長、ジェイテクト元会長)はどのように危機を乗り越えたのか。

 ―リーマン・ショックの時期はトヨタの調達や生産担当役員でした。
 「あっという間に市場がなくなった。日本は早く生産を止めたが、海外は少し出遅れた。影響の大きさの判断が難しく、できれば作りたいという意識もあった。止めるのが1週間でも遅れると、それが3―4倍にもなって跳ね返る。結局、米国は3カ月以上、止めることになった」

 ―どのように対応しましたか。
 「(原価低減活動の)『緊急VA』に取り組むなど、あらゆる努力をした。人数を絞って生産性を向上させ、生産台数が増えてもできるだけ補充しないで頑張った。部品メーカーにも危機意識があった。販売店には現有顧客のサービスなどで耐えていただいた」

 ―リーマン・ショック後の変化は。
 「トヨタは00年代に生産台数がものすごいペースで伸びた。だが、同じペースで人が育ち、仕組みを変えていけたかという思いがあった。そのため、世界中の工場の能力をフルに使い、効率を上げて有効活用するようにした。知恵を出し、生産性を高める中で人も育つ。変動性も上げないといけないので1ドル=90円、稼働率7割でも採算の取れる体質にしようと新たなスローガンをつくった」

 ―今も残る課題は。
 「人的な能力として、危機への対応力がどれだけ備わっているかというと道半ばだろう。忙しければ目の前の対応に必死になるので、着実にレベルを上げる努力が必要。企業や業界がそれぞれ経済の先行指標を決めるのも大事で、それらを持ち寄って国レベルで議論するのも今からやるべきことだ」

 ―自動車産業は大変革期です。
 「クルマの『保有』から『利用』への動きは工場の稼働率を上げるのと一緒。トヨタもモビリティー会社になろうとしている。機会損失は損ではない。各社の体力や先行指標を見ながら、何が起きてもいいように下降弾力性などを極めておくべきだ。市場が拡大する中国は電動化に向けて技術が変化するので、現地で管理できるくらいは追いかけていい」
(聞き手=名古屋・今村博之)
日刊工業新聞2018年9月12日
後藤信之
後藤信之 Goto Nobuyuki ニュースセンター
 09年に就任した豊田章男社長は、「会社の成長スピードに人材育成が追い付かない無理な拡大だった」と反省し、「もっといいクルマをつくろうよ」と繰り返すようになった。09年を底に自動車市場は回復し、17年の世界販売台数は約5割増の9680万台まで伸びた。“エンジン”は09年に世界トップに躍り出た中国で、17年の販売は2912万台まで成長した。この10年で多くの日本メーカーも中国で事業展開を強化し、200万台規模だった販売台数は17年には倍以上に成長した。ただ日本メーカーの販売シェアはそれほど伸びていない。  米国での事業展開も難しい局面を迎えている。米国市場は15年に販売台数1700万台を回復してから頭打ちだ。需要も大型車にシフトしており、セダンなど中小型車が得意な日本メーカーの収益力は低下した。トヨタは「課題が浮き彫りになった」(小林耕士トヨタ副社長)とし、対策を急ぐ。北米自由貿易協定(NAFTA)再交渉や輸入車への追加関税検討など米トランプ政権の動向も懸念材料だ。かじ取りが難しさを増す米中市場、そしてCASEを背景に台頭する米IT企業。リーマン・ショックを克服した日本メーカーなら危機を乗り越えられるはずだ。

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