揺れる東芝「社長交代」過去3回の会見で語られたこと

企業が変化・変質していくヒントが見え隠れ

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2年前の社長交代会見。左から西田氏、田中氏、佐々木氏
 1990年代以降、東芝の社長は4年周期で交代することが多い。田中久雄社長は21日に記者会見を開き辞意を表明するとみられるが、過去のトップ交代の時とはまったく違う会見になりそうだ。

 どこの企業でも、ごく一般的な社長交代の会見はそれほど面白くない。後任の人は「●●社長の路線を引き継ぎ・・」、現社長は人選理由について「リーダーシップを評価した」という定番の台詞を繰り出す。あまり本音が見えない。社長になった時点で後継を考えると言われるが、「こいつだ」と本命を決めていたとしても、最後の最後まで後任人事は迷う。“天の声”が聞こえてくるケースもある。新社長にしても「路線継承」と建前では言いながら、本音では自分のカラーを何とか出したいと思っている。

 ただ、交代会見には、現社長の就任期間中の総括や次期社長の「素顔」など、企業が変化・変質していくヒントも見える。東芝の過去3回の社長交代会見では、何が語られてきたか。10年前の西田厚聰氏(現相談役)、6年前の佐々木則夫氏(現副会長)、2年前の田中久雄氏(現社長)のケースを日刊工業新聞の記事から振り返ってみたい。

西田氏が昇格「強力なリーダーシップと抜群の行動力を持つ」


 <2005年2月23日付>
 東芝は22日、6月下旬の株主総会後に岡村正社長(66)が会長になり、西田厚聰専務(61)が社長に昇格する人事を正式に決めた。構造改革にめどをつけたうえ、創業130周年の節目を迎えたことを理由に新体制を発足させる。

 岡村氏は「強力なリーダーシップと抜群の行動力を持つ」と西田氏を社長に選んだ理由を説明した。西田氏は「プロセスの革新を絶え間なく続ける」と抱負を語った。
 
 04年半ばに西田氏の社長昇格の目がなくなるとの見方もあった。西室氏が会長にとどまって財界活動を継続し、岡村氏は05年度も社長を続ける可能性があったからだ。だが、西室氏は取締役を退いて相談役に就任し、財界活動を岡村氏に譲って経営陣を若返ることにした。

 同社は中期経営計画で06年度に営業利益2800億円(04年度1600億円見込み)を目標に掲げている。しかし、稼ぎ頭である半導体の市況悪化によって05年度の収益は伸び悩む。スピードを重視してパソコン事業を立て直した西田新社長が、どのようにして全社の収益力を高めていくかが注目される。

 会見要旨「業績回復へ改革加速」
 ―西田氏を選んだ経緯は。
 岡村 委員会等設置会社なので指名委員会を置いている。指名委員とは日ごろから情報を交換し、次期社長のイメージを共有してきた。西田氏には社長候補に決めたことを先週伝えた。
 ―経営上の課題は。
 西田 さらに選択と集中を進める。残念ながらいくつかの赤字事業がある。業績回復に向けて改革を加速する。あらゆる事業でグローバル化が進んでおり、世界で競争相手にどう立ち向かっていくかが課題だ。
 ―パソコン事業再建にめどはついたか。
 西田 戦いはまだ始まったばかり。今回の構造改革を通じて市場の変化に対する免疫ができた。コモディティー(一般化した)製品は台湾メーカーに任せ、脱コモディティー化に力を入れる。これからは重要な部品は社内に囲い込む戦略もとる。

【素顔】「象牙の塔に戻らないか」を判断され東芝本社に採用


 東芝のパソコン事業を軌道に乗せた。90年代には米国に赴任し、激しい価格競争に巻き込まれた現地販売を立て直した。危機を迎えたときに頼りにされる。ある中堅社員は「カリスマ性がある人」と評する。

 03年度には急速な価格下落にコストダウンが追いつかず、パソコン事業の営業損益が赤字に転落した。再建を任されたのはやはり西田氏だ。04年1月にPC&ネットワーク社社長に就任、すぐに社内プロジェクトを組み、業務のスピードアップと徹底したコストダウンを図り、04年度黒字化にめどをつけた。

 早大第一政経学部卒業後に東大の大学院へ。欧州政治思想史を研究した。いったんは博士課程に進んだが、イランにあった東芝の合弁で働き「象牙の塔に戻らないか様子を見られた」うえで75年に本社採用となった。持ち前の鋭い分析力が実業界でも大いにいかされている。
 <略歴>
 1970年(昭45)東大院政治学修士課程修了、75年5月東京芝浦電気(現東芝)入社。97年取締役、98年常務、00年上席常務、03年取締役執行役専務。三重県出身。
 (肩書き、年齢は当時)

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明豊
デジタルメディア局
局長

ニュースが時系列で連なるとストーリーになり、ストーリーを束ねると背景などが見える「洞察」に変わる。

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