揺れる東芝「不適切会計」の起源を考える
「西田―佐々木―田中」体制で引き継がれてきた重し
佐々木体制にも引き継がれた“トップダウン”
05年6月に社長就任後、4年間、全力で駆け抜けてきた自負がある。就任前、5兆円台で停滞していた売上高を一気に7兆円後半まで引き上げた。そして昨年、2011年3月期に売上高10兆円を目指す中期経営計画を策定。ライバルである日立製作所を射程に入れたまではよかった。
「ここまで半導体が悪いとは…」。この1年、西田社長から何度となくこの発言が繰り返された。03年以降、半導体が東芝の営業利益の5割以上稼ぐ年もしばしば。昨年、NAND型フラッシュメモリーの2工場同時着工を表明したのは、新世代光ディスク「HD―DVD」からの撤退という悪材料をかすませた。商機を見込んだ決断だった。
「リスクとならないことが最大のリスク」―。この言葉が“西田経営”の極意を端的に表している。社長時代に半導体の設備投資に1兆円以上を注ぎ込み、二つの新工場では総額1兆7000億円の投資を計画していた。業績悪化は世界同時不況の影響としても、財務の悪化はリスクをとっての結果だ。
【追記】NAND型フラッシュメモリーは値崩れを起こさないよう生産調整するなどで立て直し新工場も稼働。首位サムスンに肉薄するほど今は収益の柱になっている。
半導体の不振と対照的に存在感を高めてきたのが社会インフラ事業。社長の座を射止めた佐々木副社長は、WH買収で実務を取り仕切った。買収当時、WHの税引き前利益は1800万ポンド(当時レートで約38億円)。のれん代を含めても企業の評価額は2000億円程度で、東芝が買収に注ぎ込んだ5000億円に「信じられない」(国内原子力メーカー幹部)という声も多かった。
「縮小均衡では事業の発展性がない。この機を逃せば逆に買収されると思った」。西田社長にWH買収を強く進言したのが、佐々木氏だった。原子力畑一筋の経歴を不安視する向きもある。しかし「西田さん以上に懐の深さがある」(東芝関係者)。
【追記】上記の佐々木評と、佐々木氏の社長時代の幹部人事や管理などは随分と異なるものだった。
早くから西田社長の才能に気づき社長候補として育ててきた西室泰三元社長(現東京証券取引所会長)はかつて「西田君は頭が良すぎる」とよく口にしていた。自分の目で確かめないと気が済まない性格で決断もトップダウン。
西田社長は3月18日の交代会見で「業績悪化の責任は感じているが今回の交代とは関係ない」と引責を否定。今後は経団連副会長に就任し財界活動にも力を入れる。西田氏は御手洗冨士夫経団連会長と「気軽に電話する間柄」(財界関係者)で、次の財界総理候補の一人。それには自社の業績回復が大命題だ。「喫緊の課題は収益改善」(佐々木氏)―。佐々木体制は、いろいろな重荷を背負ってスタートする。
【追記】西田氏は経団連会長に就くことなく、逆に佐々木氏が経団連副会長や政府の経済財政諮問会議のメンバーになるなど対外活動を積極的に行うようになる。13年の佐々木社長交代時には、西田氏と佐々木氏の路線対立が先鋭化。その副産物として本命候補ではなかった田中久雄氏が社長に就任した。西田氏は佐々木社長の4年間と、田中社長の最初の1年間、取締役会長を務めた。
日刊工業新聞2009年04月06日「企業研究」より