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国内シェアトップ!巨漢にスキンヘッドな社長の”細やかな”営業力
自動車整備用リフトなどを製造するスギヤス
スギヤスの杉浦安俊社長は133キログラムの巨漢にスキンヘッド。この際立つ個性をキャラクターにした「シャンプーくん」のイラストが、「ビシャモン」のブランドで自動車整備用リフトやパレット搬送用の物流機器などを事業展開する同社のカタログや各種販促グッズに登場する。イラスト入り棒付きキャンディーを年間1万個以上配り、着ぐるみや名刺立ての卓上の置物まで作る徹底ぶり。どれも社長自身のアイデアだ。
「良くも悪くも覚えてほしい。今までは製品の良さで売ってきた。今後は『ビシャモン』のブランド力を高めたい」と杉浦社長は自社のイメージキャラクターを買って出た理由を説明する。そして「初対面の方に『やっと会えた』と言われるようになった」とイメージの浸透にはにかむ。
スギヤスは安俊社長の祖父、杉浦安雄氏が1949年に立ち上げたグリースポンプ生産会社がルーツ。1959年に油圧技術を生かし自動車整備用リフト市場に参入した。後発だが、安全のため他社製より厚い鋼材を使う品質重視のモノづくりと「形ある限り永久保証」と安雄氏が唱えた手厚いサービスで顧客を増やした。
1971年には支柱2本式のリフトを製品化し、競争力をより高めた。従来の支柱4本式より設置スペースが小さく設置も容易だ。また自動車からバスやトラックまで様々な車両に対応するなど品ぞろえも豊富。現在の国内シェアは60%以上だ。
さらに1971年には物流機器事業にも参入した。工場や流通、小売りなどの現場で人手による荷役搬送の負荷を軽減するパレット搬送機器や昇降機を手がける。また安俊社長の父の杉浦康成現会長は、椅子式階段昇降機などの住宅福祉事業、圧縮減容梱包機や空気清浄機などの環境機器事業も立ち上げた。
そして2011年に就任した安俊社長が推し進めるのが「ユーザーの声をもとに製品をつくる」という顧客志向への転換だ。以前は商品力の高さとアフターサービスにより「市場に出せば売れた」(安俊社長)同社。しかし「受注は待ちの姿勢」(同)だった。しかも標準仕様が中心で特注品への対応には消極的だった。
安俊社長は学生時代を米国で過ごした。米国で人気が出始めたトレーディングカードを当時は日本に1軒だった販売店に卸した。1993年に帰国し自ら日本で2軒目の販売店を浜松市で開業した。無名だった同カードの普及に野球雑誌に解説コラムも連載した。
「開業した月の売り上げは290円。会話下手なオタクのお客さんにどう売るか必死で考え、それが楽しかった」と安俊社長。寝室で浮かんだレイアウト案を試すため深夜に店に戻ったこともある。1997年のスギヤス入社前には「当日の売り上げで毎晩夜の街で豪遊した」ほど儲かった。顧客の事を考え抜いて試行錯誤した4年間が安俊社長の原点だ。
そんな安俊社長は、顧客志向の一環として販売代理店との関係強化に努める。「かつては欧米を含む他社製品を真似るか販売代理店の言うままの製品を高品質に作れば売れた。今は高品質は当たり前。何を作るべきか、答えはユーザーの現場にしかない」との危機感からだ。特別仕様にも積極的に対応する。
今は自ら年間の3分の1は出張して代理店の営業所や出張所にまで訪れ、顧客の声を集める。ライバルメーカーの代理店さえ訪ねる行動力は「社長は広告塔。俺がここまで動くのだからオマエたちも動け」という社員へのメッセージでもある。
自動車整備用リフトは国内シェア60%以上ながら「まだまだ深掘りできる」と安俊社長は言う。ビシャモンのブランドを生かし、整備工場向けに困りごとを解決するリフト以外の製品も売り込む戦略だ。「整備工場全体をビシャモン製品でいっぱいにする」と安俊社長は夢を語る。
10万円前後の単価が安い製品も多い物流機器事業では、新規顧客の開拓にも力を入れる。中国フォークリフト大手のEPや米国リフトメーカーのジーニーとの協業で電動アシスト式搬送機器などを投入し、品ぞろえも拡充する。
そして社員の意識改革にも取り組む。「継承と挑戦 輝く未来を自分の力で切り拓け」と唱え、社員に自ら考えて行動するよう求める。個々の仕事ぶりを知るため、工場の技能者を除く社員250人分の日報を毎日約4時間かけて読むのもその一環だ。また2019年3月期から管理職には、営業利益率による業績賞与も導入した。
厳しさの一方で、社員を家族と考え、従業員満足「ES」も重視する。全工場に設置した温水式便座の導入、50円で購入できる飲料自動販売機、年間6カ月を越える賞与など、処遇や福利厚生の充実に取り組む。もともと残業は少ないが、従業員が一定期間、残業の有無や残業時間を選べる制度も7月から試験導入する。目指すのは「楽しい会社」(安俊社長)。社員一人ひとりの活力でさらなる成長を目指す。
【企業情報】
▽所在地=愛知県高浜市本郷町4-3-21▽社長=杉浦安俊氏▽創業=1949年▽売上高=105億円(2018年3月期)>
社長がイメージキャラクター
「良くも悪くも覚えてほしい。今までは製品の良さで売ってきた。今後は『ビシャモン』のブランド力を高めたい」と杉浦社長は自社のイメージキャラクターを買って出た理由を説明する。そして「初対面の方に『やっと会えた』と言われるようになった」とイメージの浸透にはにかむ。
スギヤスは安俊社長の祖父、杉浦安雄氏が1949年に立ち上げたグリースポンプ生産会社がルーツ。1959年に油圧技術を生かし自動車整備用リフト市場に参入した。後発だが、安全のため他社製より厚い鋼材を使う品質重視のモノづくりと「形ある限り永久保証」と安雄氏が唱えた手厚いサービスで顧客を増やした。
1971年には支柱2本式のリフトを製品化し、競争力をより高めた。従来の支柱4本式より設置スペースが小さく設置も容易だ。また自動車からバスやトラックまで様々な車両に対応するなど品ぞろえも豊富。現在の国内シェアは60%以上だ。
さらに1971年には物流機器事業にも参入した。工場や流通、小売りなどの現場で人手による荷役搬送の負荷を軽減するパレット搬送機器や昇降機を手がける。また安俊社長の父の杉浦康成現会長は、椅子式階段昇降機などの住宅福祉事業、圧縮減容梱包機や空気清浄機などの環境機器事業も立ち上げた。
ユーザーの声を重視
そして2011年に就任した安俊社長が推し進めるのが「ユーザーの声をもとに製品をつくる」という顧客志向への転換だ。以前は商品力の高さとアフターサービスにより「市場に出せば売れた」(安俊社長)同社。しかし「受注は待ちの姿勢」(同)だった。しかも標準仕様が中心で特注品への対応には消極的だった。
安俊社長は学生時代を米国で過ごした。米国で人気が出始めたトレーディングカードを当時は日本に1軒だった販売店に卸した。1993年に帰国し自ら日本で2軒目の販売店を浜松市で開業した。無名だった同カードの普及に野球雑誌に解説コラムも連載した。
「開業した月の売り上げは290円。会話下手なオタクのお客さんにどう売るか必死で考え、それが楽しかった」と安俊社長。寝室で浮かんだレイアウト案を試すため深夜に店に戻ったこともある。1997年のスギヤス入社前には「当日の売り上げで毎晩夜の街で豪遊した」ほど儲かった。顧客の事を考え抜いて試行錯誤した4年間が安俊社長の原点だ。
そんな安俊社長は、顧客志向の一環として販売代理店との関係強化に努める。「かつては欧米を含む他社製品を真似るか販売代理店の言うままの製品を高品質に作れば売れた。今は高品質は当たり前。何を作るべきか、答えはユーザーの現場にしかない」との危機感からだ。特別仕様にも積極的に対応する。
今は自ら年間の3分の1は出張して代理店の営業所や出張所にまで訪れ、顧客の声を集める。ライバルメーカーの代理店さえ訪ねる行動力は「社長は広告塔。俺がここまで動くのだからオマエたちも動け」という社員へのメッセージでもある。
「楽しい会社」目指す
自動車整備用リフトは国内シェア60%以上ながら「まだまだ深掘りできる」と安俊社長は言う。ビシャモンのブランドを生かし、整備工場向けに困りごとを解決するリフト以外の製品も売り込む戦略だ。「整備工場全体をビシャモン製品でいっぱいにする」と安俊社長は夢を語る。
10万円前後の単価が安い製品も多い物流機器事業では、新規顧客の開拓にも力を入れる。中国フォークリフト大手のEPや米国リフトメーカーのジーニーとの協業で電動アシスト式搬送機器などを投入し、品ぞろえも拡充する。
そして社員の意識改革にも取り組む。「継承と挑戦 輝く未来を自分の力で切り拓け」と唱え、社員に自ら考えて行動するよう求める。個々の仕事ぶりを知るため、工場の技能者を除く社員250人分の日報を毎日約4時間かけて読むのもその一環だ。また2019年3月期から管理職には、営業利益率による業績賞与も導入した。
厳しさの一方で、社員を家族と考え、従業員満足「ES」も重視する。全工場に設置した温水式便座の導入、50円で購入できる飲料自動販売機、年間6カ月を越える賞与など、処遇や福利厚生の充実に取り組む。もともと残業は少ないが、従業員が一定期間、残業の有無や残業時間を選べる制度も7月から試験導入する。目指すのは「楽しい会社」(安俊社長)。社員一人ひとりの活力でさらなる成長を目指す。
▽所在地=愛知県高浜市本郷町4-3-21▽社長=杉浦安俊氏▽創業=1949年▽売上高=105億円(2018年3月期)>