「町工場でも二酸化炭素排出量を半減」―脱炭素で成長する中小企業たち
日崎工業 脱炭素、町工場に人材呼ぶ
「町工場でも二酸化炭素(CO2)排出量を半減できた」。日崎工業(川崎市川崎区)の三瓶修社長は6月7日、面会した西村明宏環境相に胸を張って報告した。同社は2014年の排出量172トンを21年に73トンまで減らした。温室効果ガス(GHG)排出量を実質ゼロにする「脱炭素」という言葉がなかった14年から削減に着手していた。
同社は商業施設の看板を制作する板金加工業で、社員約30人の「町工場」だ。脱炭素にかじを切ったきっかけが、11年3月の原子力発電所の事故だった。福島県内に暮らす親族が避難生活でバラバラとなり、「やるせない思いになった」(三瓶社長)。
電力問題を考えるうち、エネルギーを自給する「オフグリッド」に挑戦しようと工場屋根に太陽光パネルを設置した。再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT)を活用すると発電した電気を高値で売れるが、自家消費にこだわった。消費電力を抑えるため照明を水銀からLEDに変え、遮熱塗料も塗った。蓄電池も活用し、工場の消費電力の3分の1から4分の1を太陽光由来の電気で賄えるまでになった。
三瓶社長のスマートフォンの画面には発電量と工場の消費電力が表示されており、時間帯によっては再生エネだけで操業していると分かる。「自己満足かもしれない」(同)と謙遜するが、電気の購入量削減と省エネ効果で電力コストが下がった。
社員にも環境に貢献する商品を提案するように呼びかけており、太陽光パネルの電気で稼働するオフグリッド型トレーラーハウスを開発した。中学校などで環境学習の教材に活用している。
「環境への取り組みが評価され、人材を獲得しやすくなった」と採用面での手応えも語る。排出量半減では満足せず、30年には排出量ゼロを目指す。農作物の栽培と太陽光発電を両立するソーラーシェアリングを計画しており、発電した電気を工場で使ってCO2をゼロ化する。町工場が再生エネ100%による脱炭素化を実現する先例となりそうだ。
宮城衛生環境公社 脱炭素宣言、ゴミ収集車にバイオ燃料
廃棄物の収集・処理を担う宮城衛生環境公社(仙台市青葉区)は2018年末、経営会議で脱炭素を成長戦略にすると決定した。19年4月には社外にも公表し、宮城県で最も早く脱炭素宣言をした一社となった。
主導した砂金英輝社長は18年に入社したばかり。前社長から「経営を任せたい」と見込まれ、保険会社を辞めて転じた直後だった。新天地の経営基盤はしっかりしていたが「当時150人超の従業員がいて、それぞれの方に家族もいる。いつまでも順調な経営が続くのかという漠然とした不安があった」(砂金社長)と振り返る。
そこで持続可能な開発目標(SDGs)を経営に取り入れようと考えると「脱炭素ならできると思った。直感だったが、脱炭素経営が当たり前になると思った」という。だが、何から着手して良いか分からず、行政などに問い合わせた。そして、中小企業などが再生エネ100%を目指す団体「再エネ100宣言REAction」を知って19年に加盟した。宮城県で第1号だ。
早速、本社の隣接地を購入し、太陽光発電設備の導入を決めた。発電した電気は電力会社に売らず、自社で使う。自家消費のために道路を越えて太陽光発電の電気を送電する例が県内になく、行政にかけ合って許可を得た。
「先に進めば、従業員も理解してくれるはずだ」(同)と踏んでいた通り、従業員の意識も変わった。環境に配慮して作られた事務用品を選ぶようになり、少しでも廃棄物の発生を減らそうと職場のゴミの重さを計測するようになった。「脱炭素に取り組む企業だと、自信を持って言える」と誇らしげだ。課題はゴミ収集車の脱炭素化だ。手段を悩んでいると、取引先からバイオ燃料を紹介してもらい、5月から収集車1台で使い始めた。
社内の変化は社外からも評価され、既存の取引先からの発注量の増加や新規顧客の獲得もあった。従業員も増えており、脱炭素を成長につなげている。