「賃上げ」表明相次ぐ、企業トップたちの声・声・声
大手企業で賃上げ機運が高まっている。物価高騰に加え、賃上げを実施しないと優秀な人材を確保できなくなるとの危機感が背中を押す。日本は30年間にわたり賃金上昇が停滞する。この状況を打破し、成長と分配の好循環へと舵(かじ)を切れるか。例年に増して、春季労使交渉(春闘)が注目される。(特別取材班)
DMG森精機は4月入社の新入社員の初任給を引き上げる。新卒初任給の大幅改定は19年以来4年ぶりで、基本給は博士課程卒の場合で47万5000円(引き上げ率30・7%)となる。森雅彦社長は「欧米に比べて日本人社員の賃金は低過ぎる。『これではいけない』と経営者の責務として考えた」と理由を説明した上で、今回の給与改定を機に「社員みんなでもっと生産性を上げてやっていく」と意気込む。
いすゞ自動車はベースアップ(ベア)を含む賃上げについて「(インフレ率を超える形で)対応したい」(片山正則社長)とする。アドバンテストの吉田芳明社長も「インフレ分に相当する3―4%の基本給底上げ(ベア)を検討している」と話す。
日本の賃金の伸びは世界の先進国と比較して低い。経済協力開発機構(OECD)によると、この30年間で米国の賃金は1・5倍に、韓国は2倍に増えた。これらに対し日本の上昇率は5%程度に留まる。
こうした状況に変化の兆しがみえてきた。背景にあるのは物価高騰だ。ロシアのウクライナ侵攻によるサプライチェーン(供給網)の混乱や円安により生活必需品も含め値上がりしており、22年11月の消費者物価指数(コアCPI)は前年同月比3・7%上昇。実質賃金は同11月まで8カ月連続のマイナスとなった。
岸田文雄首相は「この30年間、企業収益が伸びても期待されたほどに賃金は伸びず、想定された(富裕層から低所得層に富が滴り落ちるという)トリクルダウンは起きなかった。私はこの問題に終止符を打つ」と述べ、産業界に「インフレ率を超える賃上げ」を求め、継続的に賃金が上がる「構造的な賃上げ」の実現を目指す。
企業も呼応する。三井住友フィナンシャルグループ(FG)の太田純社長は「これまでデフレ下でベースアップ的な発想はなかった」とした上で「過年度では約2%のインフレになっているので、ベア的な発想が必要になってくる」と話す。また大和証券グループ本社は23年度に4%の賃上げを実施する方針。中田誠司社長は「生活コストが上がっている分の賃上げはしなければならない」と語る。
住友電設の谷信社長は「物価が上昇する中で、足元の生活に影響が出ている。従来の上げ幅である2000―3000円より大きい幅での賃上げを検討したい」とする。東京製鉄の西本利一社長は「賃金は若年層には厚くしているが、全体に抑え気味。中高年層を含めて見直しに着手したい」と話す。
一方、企業には思い切った賃上げを実施しなければ優秀な人材が確保できなくなるとの危機感もある。パナソニックホールディングス(HD)傘下でIT事業を手がけるパナソニックコネクトは、22年4月に初任給を大卒で従来比1万1000円、同修士過程卒で1万7000円引き上げた。樋口泰行社長は従来の初任給では「我々の業界において競争力がない」と説明する。
アイリスオーヤマ(仙台市青葉区)は22年12月期業績(速報値)が、現行の集計を始めた13年12月期以降で初の減収減益に陥った。それでも正社員を対象に約3・5%のベアを4月に実施する。定期昇給を含めると約5%増となり、平均で月1万2000円程度に相当するという。大山晃弘社長は「さらに優秀な人材を確保したい。人口減の中では社員の採用が企業成長の原動力になる」と力を込める。
生命保険業界では、最大手の日本生命保険が営業職員5万人の賃金を23年度から7%程度引き上げる方針を打ち出した。同業他社に先駆けての賃上げ表明となり、生保関係者は「さすがガリバー。打ち出し方が上手」。業界首位が動いたことで、同業他社にも賃上げムードが広がる。
春闘、5%引き上げ ハードル高く
一方、継続的に賃上げを実施していくには、持続的な企業成長が不可欠であり「賃上げと企業成長をセットで考えなければならない」(ホンダの三部敏宏社長)との声が挙がる。企業成長には社員一人ひとりの稼ぐ力の向上が欠かせず、人材育成や賃金制度への関心が高まる。
住友電設の谷社長は「社員数が限られる中で、社員の能力の向上が必要。分厚い教育体制を作り、生産性を高めるような好循環を作りたい」とする。東京製鉄は、国の支援策を活用しつつ教育訓練を拡充する考えで「高炉材に比べ環境負荷の少ない電炉鋼板の販売を強化するため、優秀な人材の確保・育成は欠かせない」(西本社長)という。
また賃金制度に関しては「(賃上げは重要だが)それ以上に、がんばった人の給与が上がる制度が重要だ」(レゾナック・ホールディングスの高橋秀仁社長)との声も挙がる。
政府は個人に着目したリスキリング(学び直し)支援や職務に応じてスキルが評価され賃上げに反映される日本型職務給の確立、成長分野への雇用の円滑な移動を三位一体で進める方針だ。
春闘は23日に開かれる経団連と連合のトップ会談で事実上幕を開ける。連合はベアを含めた賃上げの要求水準について、16年春闘から続いた「4%程度」から「5%程度」に引き上げる方針。芳野友子会長は5日の年頭会見で、「今年はターニングポイント(転換点)の年。実質賃金を上げ、経済を回していくことが今まで以上に大切だ」と強調した。
一方の経団連も会員の大手企業などに対して「物価動向」を重視した賃上げを促しており、十倉雅和会長は「できるだけベアを中心に取り組んでほしい」と訴える。
ただ業種によって大手でも業績に差があるほか、原材料高によるコスト上昇に苦しむ中小企業は多く、「インフレ率を超える賃上げ」の実現へのハードルは高い。日本経済研究センターが公表した賃上げ率の民間予測平均は2・85%に留まる。
23年春闘を成長と分配の好循環を生み出すスタート地点にできるか。まずは「労使が今までの慣例にとらわれず、前向きにオープンな議論をすることが必要」(IHIの満岡次郎会長)になる。