「第三の創業」実現に挑む大日本印刷、社長が社員に呼びかけていること
39年間社長の職を務めた父・北島義俊会長からバトンを受け継いで約4年。経営者として「大切にしている言葉とかはない。会社として大切にしてきたことをただ守っていくだけだ」と断言する。
約150年という歴史を持つ会社とあって、代々受け継がれてきた大日本印刷の哲学を守り抜こうという信念は強い。その中で、念頭に置いているのが「挑戦をしながら新しい事業を生み出していくということ」だ。
「当社は戦後復興期に(労働争議が頻発して生産活動に支障をきたし、業績が低迷したが、その際に)パッケージや建材など(出版以外)の事業に進出。印刷技術を生かして業容を拡大してきた。社員に対しても『小さなことでも、新しいことに積極的にチャレンジしてほしい』と呼びかけている」
同社は「活版印刷を通じて人々の知識や文化の向上に貢献したい」という発起人たちの思いを原動力に、前身の秀英舎が1876年に創業。祖業の出版印刷業を大切に守りつつ、新しい分野にも果敢に挑戦し続けてきた。
そして今、「第三の創業」の実現に取り組む。デジタル化や脱炭素化などの潮流の中で、受注型から提案型のビジネスへ。戦後復興期の「第二の創業」を超える変革に挑む。「これまで当社は、得意先から頼まれたものを開発してきた。これからは、頼まれる前から市場のニーズを直に感じて開発に取り組まないと間に合わない」と危機感をにじませる。
「第三の創業」実現に向けてカギを握るのは“人”。個々の強みを単独で生かすだけでなく「他部署のことをよく知って強みを掛け合わせてほしい」
自身の振り出しは富士銀行(現みずほ銀行)。企業への融資業務や調査リポートの執筆業務などに携わった。「銀行の手続きは細かく決められている。各ケースに応じた対応を行うため、都度、百科事典並みに分厚いマニュアルを引っ張り出してきて読んだ」。マクロ経済の知識に加え、銀行特有の業界文化を吸収したことが、大日印入社後も生きているという。
文化活動を通じて知り合った、画家の故原田泰治氏の薫陶も受けた。「原田先生は、ポリオ(小児まひ)を患い(足が不自由でも)取材などで、どこへでも行ってしまう。バイタリティーを尊敬している」
社内では「周囲の意見に常に耳を傾けてくれる」との声が多く、傾聴力が評判。会社として、人としての誠実さを大切にする。(張谷京子)
【略歴】きたじま・よしなり 87年(昭62)慶大経済卒、同年富士銀行(現みずほ銀行)入行。95年大日本印刷入社、01年取締役。03年常務、05年専務、09年副社長、18年社長。東京都出身、57歳。