日産「ダットサン」撤退の背景事情
日産自動車は新興国向け専用ブランド「ダットサン」事業から事実上撤退する。これまでインドで唯一、同ブランド車を生産していたが終了を決めた。同社はカルロス・ゴーン前会長が主導する拡大戦略の一環として2012年に同ブランドを復活。低価格帯の車両をそろえ、拡大する新興国需要の取り込みを狙ったが、販売が低迷していた。異業種の参入などで競争が激化する電動車の開発に経営資源を投入し、日産ブランドの強化を図る。
日産はインド南部の仏ルノーとの合弁工場でダットサンのエンジン車3車種を生産。21年までに2車種の生産を止め、このほど小型車「redi―GO(レディ・ゴー)」の生産も終了した。在庫がなくなり次第、販売も終え、補修部品の供給などアフターサービスは続ける。
調査会社のマークラインズによると、インドと同国からの輸出車両を販売する南アフリカでダットサンを販売し、21年の販売台数は前年比75%減の約6400台だった。日産は14年の販売開始から約10カ国でダットサンを展開。16年の世界販売台数約8万7000台(前年比14%増)をピークに低迷が続き、20年までに車両を生産していた3カ国のうち、ロシアやインドネシアでの生産と販売も終えていた。
日産は10年代に新興国での販売拡大を目指しブラジルなどで相次ぎ工場を新設。ダットッサンも手がけたが販売が伸び悩み、工場稼働率が低迷した。20年にスペインでの工場閉鎖などを盛り込んだ24年3月期までの中期経営計画を発表。車種数を19年3月期比2割削減する方針も示していた。
構造改革の進展もあり22年3月期に3年ぶりの当期黒字を見込む中、21年11月に30年までの長期ビジョンを策定。27年3月期までに電動車の開発などに約2兆円を投じ、電動化を加速して成長を目指す方針を打ち出した。