拍手音、眼球モデル...三井化学の「ロボット部品を製造・販売する」ビジネス
労働人口減少や少子高齢化などの社会問題、働き方改革などを背景として、ロボットを実社会へ導入し、人の生活をサポートさせる取り組みが加速している。人手不足が深刻な中小製造現場では、人と身近に協働できるロボットの導入が期待され、作業の負担を軽減する各種パワーアシストスーツの開発も進む。また医療・介護現場でもさまざまな形でロボット技術が活用されており、その中で人との共存に向けたレベルの高い安全性、機能向上などのニーズが顕在化してきた。
そこで総合化学メーカー・三井化学は、2016年に「ロボット材料事業開発室」を設立し、材料提供に留まらずロボット部品の加工まで手がけるソリューションビジネスを展開している。同開発室はラテン語で「架け橋」を意味する「Arcus」をロゴとし、材料開発力を必要とするロボットベンチャーと素材技術をつなぐ架け橋として、同社グループの材料技術、成形加工技術、分析技術を結集する横断型の開発体制をマネジメントしている。
ロボット開発の材料面での課題をワンストップで解決
三井化学の「ロボット材料事業開発室」は、現在は少数の営業開発スタッフからなる部署だ。通常、同社の事業は1事業テーマに対して1研究所の1グループが対応する形をとるが、同開発室はこの営業開発スタッフと、設計や材料開発、評価、製造など社内のあらゆる部署・グループが横断的に加わり、製品開発を行うスタイルをとっている。
原材料の販売を行う同社の中にあって、この部署では「部品を製造し販売する」ビジネスを行っている。たとえば強度や柔軟性など、顧客が求める部品特性を実現するため、開発段階では材料の開発から部品としての設計、測定・評価、部品製造に至るまで、一連の工程をソリューションとして有償提供する。そして最終的には開発物を部品として製造、販売する。
『ロボットメーカーは中小ベンチャー企業が多く、機構やプログラムなどロボットのシステムには精通していますが、材料にはあまり詳しくないケースが多いです。一方、軽くて高強度の材料など、材料の見直しがロボットの課題解決に直結するケースは少なくありません。そこで「開発中のロボットにこういう性能を付与したい」という相談をいただいたら、それを実現する開発をワンストップで行おうというのが、このビジネスモデルの根幹です』と同開発室の田和努室長。
材料開発はもちろんのこと、“部品として提供する”ビジネススタイルも、製造ノウハウを持たないロボットメーカーにはメリットとなる。サンプル的な少量生産を行う頃までは、主に3Dプリンターでの部品製造に頼ることが多いが、事業が本格化するにつれ製造方法の変更を余儀なくされる。金型を用いた成形に切り替えれば製品単価は下がるが、金型製造に大きな初期費用が掛かるなど、圧倒的に多品種少量生産が前提となるロボット産業においてその判断は難しい。そこで、いかにコストをかけずに生産量に見合った成形方法を選択していくか、そうしたコンサルティング的な面も加味しながら部品製造を請け負う専門家の存在は、ロボットメーカーにとっては心強いものとなる。
設計・材料・製造までをセットで考え課題解決
こうしたビジネスモデルは同社にとっても大きなメリットがある。
まず一つ目に、今後が期待される分野でありながら、大きな市場に育てていくことが難しいロボット分野において、量産が見込めない初期段階から、設計や材料開発のコンサルティングなど社内のリソースを活用して収益を上げつつ、顧客から喜ばれることができる。
二つ目に、期待される機能を実現する上では、材料の開発のみならず、部品そのものの設計・製造過程も含めて対策を施していくことが必要となるケースがある。たとえばプラスチックでより強度を出すためには、高強度の材料を選定するのと並行して、設計段階において強度の必要な個所にリブを立てるような構造にしておけば、より高い効果が期待できる。同様に製造段階においても、同社が保有する金属樹脂一体化技術「ポリメタック」が活用されているケースなどもあり、材料供給者側が製品製造の一連のプロセスに関与することができれば、課題解決はより容易になる。
三つ目には、材料選定の自由度が高いというメリットがある。たとえば樹脂単独では強度が満足できない場合には、金属やCFRPのような複合材料を選択することもある。開発の中心はあくまでもプラスチック材料だが、必ずしも樹脂、必ずしも自社材料だけにこだわらず、幅広い選択肢の中から材料を選定し、時には組み合わせ技術で要求性能を満足させることもあるという。
2012年頃から水面下でロボット材料に着手
同社がロボット分野に参入を考え始めたのは、2012年の下期頃からと田和室長は言う。その頃、産業用ロボットは中国市場の台頭により世界規模での成長を記録し、2000年のホンダ・ASIMOで現実味を帯びたパーソナルロボットは、2014年にソフトバンク「Pepper」の登場で、一気に人々の生活に入り込んだ。もともとは機能樹脂事業本部(現モビリティ事業本部)のなかに設置された分野横断タスクフォースが水面下で約2年間の調査を行っていたが、感触をつかんだのちに開発室として独立した。田和室長もそれ以前はウレタンの事業を手がけていたが、半ば誘われる形でロボット材料の開発に加わることになったという。
「まだまだその頃は、時期尚早という感がありました」と田和室長は当時を振り返るが、現在は中小製造業の労働者不足を背景に、産業用ロボットには安全柵を取り払い、人と協調して作業を行う「協働ロボット」のニーズが急速に高まっている。パワーアシストスーツもさまざまなタイプのものが開発され、徐々に実際の現場で試験運用が行われ始めた。ソフトロボットも進展するIoTやAI技術と融合しながら、形を変えて医療・介護やエンターテインメントの分野で導入が進み、必要とされるタイミングでうまくビジネスが花開いた。
実に多様なロボット材料開発のニーズ
田和室長によれば、現在、相談が寄せられるもののうち、おおよそ「ロボット本体の軽量化」と「柔らかい材料による高機能化」の2つに大別される。しかし各事例を細かく見ると、寄せられるニーズは実に多様だ。機密保持契約のため公開できない事例も多いが、同開発室がどのような部品開発に携わったか、いくつかの事例を元に見ていこう。
和歌山大学発ベンチャー「パワーアシストインターナショナル」の開発は、人が装着する部分への縫製品の適用や、モータと足の動作アシスト部をつなぐ部品についての高強度プラスチック代替を支援した。骨格部品はほぼすべて同社で開発を行い、ジュラルミン製の部品を樹脂に代替するなどして、7kgあった重量が19年モデルでは4.7kgへと軽量化を果たした。ただ軽量化するのではなく、強度の必要なところには高強度に適した材料、強度がそれほど必要とされないところにはできるだけ軽くて安価な材料を選定し、コストダウンにも寄与する開発を心がけたという。
一方、ソフトロボット・サービスロボット分野では、エンターテインメントロボットの企画開発を行うメーカー、㈱バイバイワールドの拍手ロボット、「ビッグクラッピー」の拍手ハンドの開発を手がけている。詳しくは後述するが、より人間に近い拍手音の再現を目指して、音響テストに基づいた定量的評価に基づき、開発を行ったという。
医療用途では、緑内障の手術方式を練習するために、人間の目の構造を再現した「手術練習用眼球モデル」(後述)などの開発事例がある。
製品開発事例
■ロボットの拍手音を、人間に近づける
ここで、ロボット用の部品開発が具体的にどのように行われたか、2つの事例を見てみよう。
拍手ロボット「ビッグクラッピー」は、「カンパーイ!」「今日もお疲れ様です!」など、声かけしながら頭の上で拍手をし、場所を問わず盛り上げるコミカルなエンターテインメントロボット。ウレタン製の柔らかい手が打ち合わされる際の音を、なるべく人間の拍手に近づけたいとの要望を受け、開発が進められた。Youtubeで「ビッグクラッピー」と検索すれば公式動画も見ることができる。柔らかいウレタン材料の「パスッ、パスッ」と乾いた音を想像していた方は、高いレベルで人間の拍手を再現されたその音に、さぞ驚かれることだろう。
開発された手の部品は、金属製のプレートを両面から挟み込むようにして、ウレタン製の手が成形されたもの。設計からこの状態に成形し納品するまでの一連の工程を三井化学が手がけている。その中では同社内の合成化学品研究所がウレタン材料の設計を、機能材料研究所が部品としての設計を、高分子材料研究所が音響評価をそれぞれ担当する形で、研究所をまたいでの協業が行われた。
ウレタン材料のハンドリングは実績のある領域だ。これまでは硬い材料としての用途が多く、柔らかい材料としての利用は比較的未開拓でもあった。しかもそれを“音”という官能評価的な指標で評価し、目的とする性質に近づけていかなければならない。一方、音響評価についても、これまでは遮音や吸音、雑音の抑制など、音に対して消極的方向で操作することが多かった。しかし今回は“狙った音を出す”という、今までとはまったく正反対の開発であり、これまでのノウハウが活かせないという難しさがあった。手探りでの研究となったが、未開拓の領域が多いロボット開発だからこそ、積極的に取り組みノウハウを積み重ねていけば、他社に対して大きなアドバンテージとなる。
実際にはさまざまな条件に振った数多くの材料で部品を製作、人海戦術的に一つ一つ拍手した音をマイクロホンで収録しながら周波数解析などを行い本物の拍手音と比較した。その結果、人の拍手は比較的高い周波数までパーンという音が鳴り、その上音の切れも良い。それに対して開発品は、比較的低い周波数の音が伸びていることがわかった。そこで多数の試作品の中から、高周波まで音圧が大きくなり、しかも音の減衰が早いものを見出し、実際の拍手音に近いことを定量的に評価していった。
人の拍手音を再現するには、人の手の構造をそのまま再現するのが近道ではないのだろうか? 素朴な疑問をぶつけてみた。合成化学品研究所の景岡正和さんは「人の手の構造や肌の質感に近づけるというのは、確かに一つの考え方です。ただ人の肌というのは、骨格の上にそれぞれ異なる物性を持った皮膚組織が四層に重なっており、そうした四層構造を再現するのは、成形上、コスト的にもあまり好ましくありませんでした」と語った。
“ロボットは必ずしも人間の模倣である必要はない”とはよく言われるが、こうした部品開発においても、人間の構造をどの程度模倣するかは用途によってさまざまだ。本件では“音”に価値を見出しているため、なるべくシンプルな構造で音が再現できるよう開発が行われたが、目的が異なれば、その作り方もおのずと異なってくる。
■人体構造を高度に再現した手術練習用眼球モデル
人の構造を高度に再現する必要が生じた例が、名古屋大学・東京大学との共同開発の「手術練習用眼球モデル」だ。中空の球状に成形され、薄切りや縫合などを行っても、ちぎれることはないという。緑内障の術式の一つである「強膜剥離」に対応し、医師が早期に手技を体得するための手術シミュレータとして開発された。力や位置などの計測機能、動作駆動機能を備えた眼科手術専用の精密人体モデル「バイオニックアイ」と組み合わせて活用される。
従来、眼科の手術訓練にはブタの目が使われていたが、衛生的な観点などから、現在はゴム製の人工眼が使われる傾向にある。強膜剥離の手技では、白目にコの字の切り込みを入れ、コラーゲン繊維でできた人体の眼の層状構造を剥離していく工程があるというが、単純構造のゴム製人工眼では、そうした手技は行えない。そこで、人の眼のコラーゲン繊維による層構造を再現した、剥離可能で柔軟な人工強膜の開発が求められた。
人の眼と同様の質感で、剥離可能な層構造を工業的にどう再現するかという点が、開発上の大きな課題となった。そこで、布などさまざまな物を検討・評価し、最終的に柔らかいウレタンを積層させた不織布に含侵させたところ、非常に高い再現性を得た。不織布の種類やウレタンの硬さを微妙に変えたものを多数作成し、医師による官能評価で最も再現性の高い条件を絞り込んでいった。
この眼球モデルは強膜剥離の訓練に最適化されて作られているため、他にもあるいくつかの術式に対しては、術式ごとに新たな眼球モデルを開発する必要があるという。「それらをすべて揃えるのは、ビジネス的には大変な面もあります。そこをしっかりやっていかないと、顧客である先生方にとっては意味のないことになってしまいます。またモデルの数を揃えていくのは、最初は大変ですが、続けていけば、後発企業の参入障壁となり、ビジネスとしては強くなると考えます。そのため顔の部分などのプラットフォームは共通化し、眼球部分だけを取り換えるなどコストを下げる工夫を行いつつ、進めていければと考えています」(田和室長)。
この2例から見ても、三井化学ロボット材料事業開発室の技術の奥深さが垣間見えるように感じる。
【MEMO】三井化学株式会社
ロボット材料事業開発室〒105-7122 東京都港区東新橋1-5-2
汐留シティセンター
TEL 03-6253-4277
URL https://jp.mitsuichemicals.com/jp/special/arcus-robot/index.html
【販売サイトURL】
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【雑誌紹介】
雑誌名:工業材料 2020年10月号
判型:B5判
税込み価格:1,540円
【内容紹介】
工業材料 2020年10月号 Vol.68 No.10
【特集】SDGsの達成に向けた新たなプラスチックの技術開発と課題
プラスチックは安価、軽量、自在な成形性による高い意匠性・デザイン対応性などの特徴を生かして幅広い分野で利用されている。しかし最近では、マイクロプラスチックに代表される難分解性プラスチックにより生じる環境問題がクローズアップされており、特に廃プラスチックによる海洋汚染が深刻化していることから、グローバルで早急に解決しなければならない最重要課題として認識されている。
国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)達成も視野に、国内でもプラ袋有料化をはじめプラスチックごみの削減に向けた動きが活発化してきた。その解決策の1つに考えられているのが「バイオマスプラスチック」、「生分解性プラスチック」である。
本特集では、それらの新たなプラスチックの技術開発の動向と普及に向けた課題を専門家とメーカーの技術者がわかりやすく紹介する。