挑戦しないで何が人生だ!“全裸監督”村西とおるの“狂熱”に迫る
「人類が相まみえたことのない映像を撮る」
―『全裸監督』の配信や『「狂熱の日々』も上映されて話題です。監督は今なお挑戦を続けています。もう、愚か者丸出しですよ。気は確かかと(笑)。僕はね、自分を客観視できないんですよ。非常に閉塞した日々を送っているから。ウチの会社に行って社長にお叱りを受けて、鞭でたたかれて、それでようやく解放されて家に帰ってくる。その行き帰りの日々なんです。
まあ、ともかく、(元日本兵の)横井庄一さんじゃないけど、急にジャングルの穴から引きずり出されたような感じですね。でも、道を歩くとね、「あ!監督ですか、一緒に写真撮ってください」と、180cmくらいのがたいのいい中学生ぐらいの息子を連れてる奥さんが声をかけてくれることもある。息子はびっくりして離れちゃうんだけど、「じゃあ一緒に軽く抱き合いましょうか」と写真を撮ると、中学生が唖然としますね。「どうなっちゃってんだ、父ちゃんに言ってやろう」とか思ってるんじゃないかな。そんな風にいまでも気づいて声をかけられることは多いですよ。自分のマンションにタクシーで帰ってきたときでも、運転手が「お客さんこのマンションにAV監督の村西とおるが住んでるんですよ」って言うんですよ。「この野郎!そんなことみんなに言ってるのか」と。運転手は俺のことよく分かってないくせに(笑)。
―ジャングルの穴から引きずり出された感じということですが、再び注目が集まっていこの機会に、やってみたいことは何でしょうか。
僕は、かつて人類が相まみえたことのない映像を提供することでしか生きてきていない。まあはっきり言えば、ノーベル賞なんかちょこざいだと。人類のノーベル賞は何やってんだと。どこ行ったんだと。僕のアイデアが特許だったら、ビルの20、30棟は建っていてもおかしくない。それなのに毎日資金繰りで僕は「アヘアヘ、アヘアヘ」言ってる。鉄板の上で裸踊りさせられるような日々を送ってる。それはまあいいですよ。でも世のため人のために、こんなならず者の薄らバカ、人でなしが生きてきたご恩を返せるとすれば、それはかつて人類が相まみえたことのない映像を撮ることです。村西とおるがいた時代に生きてて良かったと思ってもらえるように。そういうことだね。
―すでに映像は世の中にあふれかえっていますが、それでも人類が相まみえたことのない映像はあるのでしょうか。それはまだあるよ。例えば、私と人気女優さんとか、政治家さんとだって分かんないよ。「2丁目に捨てるくずなし」という言葉もあるが、私も嫌いな女性は1人もいない。どんな女性でもウエルカムだ。ファンタスティック。ナイスですね。そういうことですよ。
「俺みたいな人間を知らなきゃいけない」
―監督は発明家でもありますよね。企業の経営者もいつもイノベーションを起こせないかと悪戦苦闘しています。監督はいろんなアイデアで業界に革新を生み出してきましたが、何かコツや信念があるのでしょうか。やっぱり発明やアイデアは、「こんなモノを作って、考えて世に送り出そう」と思ってみても出てこないんだよ。もう追い詰められちゃって、ギリギリのところで苦し紛れに出てくる、先走り液みたいなもんですよ。やり続ける中から出てくる。希望だとか逆境を乗り越えてとか言ってみても、そのヒントなんか何もない。ただ一生懸命ボートを漕いで、漕いで、漕いで、漕いで。やり続ける中からしかかすかな灯台は見えてこないんだよ。
―『狂熱の日々』の中で制作している映画『北の国から 愛の旅路』の撮影でも、直前まで試行錯誤を繰りかえしているようでした。『北の国から~』は素晴らしい作品になってる。完成版のDVDを今度発売するんだけど、ものの見事に素晴らしい作品になってる。よくこういう作品作りあげたなと。ドキュメンタリーに出てくる様子だけ見てると、どうにもならない感じだけどね(笑)。 やり続けているウチに、ふっと違うモノができてくる。ここで死ぬわけに行かないと、荒波の中を板1枚にしがみついて必死こいて漕ぐ、これでいいんだよ。
武者小路実篤先生はこう言っている。「人間は最後の最後の最後の瞬間まで、ひょっとしたら助かるかもしれないと空想する力を与えられている」と。余命宣告なんて大きなお世話なんだよ。希望を失わずに何でもポジティブに考えることがDNAに刻まれているからこそ、疫病、貧困といった人類のあらゆる困難を乗り越えて来られたんですよ。いずれにしても俺みたいな人間を知らなきゃいけない。トルストイなんか読んだって、いくら武者小路実篤を読んだって、本1冊で分かるようなら人生を生きる意味は無い。肌で感じないといかん!