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パナソニックは30年越し…“睡眠テック”市場で抜け出すのは誰か
連載・睡眠の値段(1)
センサーなどの技術を活用して良質な睡眠を促す「スリープテック」市場が活気づいている。家電メーカーや通信会社はホームIoT(モノのインターネット)サービスの普及拡大の牽引役と期待する。寝具業界も事業の幅を広げる好機と捉えて参入が活発になっているほか、ベンチャー企業も台頭している。
国内では2017年に睡眠不足が借金のように積み重なり不調を引き起こす「睡眠負債」が流行語になり「良質な睡眠」に対する需要が高まった。その中で、スリープテックはIoT活用の機運にも乗り、新たな市場として表出してきた格好だ。異業種が入り乱れる市場で抜け出すのは誰か―。(文=葭本隆太)
エアコンや照明、スピーカー、アロマ送風機、加湿空気清浄機などが備えられた寝室。各機器はWi‐Fi(ワイファイ)などで連携し、センサーで睡眠状態が可視化された個人に最適な睡眠環境を作り出す。起床時には睡眠状態を評価し、よりよい睡眠を実現するための飲み物などアイテムの提案を行う―。
パナソニックが4月に開設した多様な企業と協業を模索する拠点「&Panasonic」(東京・原宿)の一角で行われているデモだ。同社が注力するホームIoT基盤「HomeX」を活用した睡眠ソリューションのイメージをパートナー企業に紹介し、睡眠環境をよりよくするサービスや製品などについて議論する。拠点を設けることでパートナー企業を広く呼び込み、協業を加速する狙いがある。
「HomeX」において睡眠は重要なテーマに位置づけられる。パナソニックアプライアンス社の菊地真由美さんは「眠りは人生の3分の2を輝かせるための重要な人生の3分の1。〝くらしをアップデートする〟というHomeXの思想と強くリンクする」と説明する。
もっともパナソニックにとっては長年の研究が生かせる点が大きい。同社が睡眠の研究を始めたのは約30年前まで遡る。光との関係に始まり、ホテル向けに照明などを制御して快眠を促す睡眠システムを導入したこともあるが、当時は睡眠に投資する時代ではなく導入は広がらなかった。その後、厚生労働省がまとめた「健康日本21」などで睡眠による健康作りの重要性が指摘される中で、改めて13年に社内プロジェクトが動き出した。14年には睡眠状態を計測・可視化するスマホアプリを開発し、現在は計測結果を基にエアコンなどを最適に制御する機能も提供している。
そうした中で今や社会の睡眠への関心は高まり、データが価値になる時代にもなった。パナソニックにとっては取り組みを強化しない手はないというわけだ。
ホームIoTを手掛ける企業が睡眠ソリューションを提供する上で重視する知見がある。寝具と睡眠の関係だ。パナソニックも寝具メーカーの老舗である西川(東京都中央区)にその知見を求め、共同研究を進めている。パナソニックアプライアンス社の菊地さんは「眠りを良くするためにまずは寝具を変えるのが一般的。(睡眠環境の最適化を図る上では)寝具と眠りに関わる知見は欠かせない。(西川は)寝具業界でもブランド力があり、信頼できるパートナー」と説明する。
もちろん、寝具メーカーにとっても自らの知見を生かして事業の幅を広げる好機になる。西川の営業企画統括部に所属する藤ヶ森仁部長は「(スリープテックの盛り上がりは)我々にとって大きなビジネスチャンス」と力を込める。
寝具メーカーとしては新興のエアウィーヴ(東京都中央区)もスリープテックに対する関心は高い。16年に睡眠状態を可視化するアプリを開発し、17年には中部電力や楽天などの出資を受け入れ、他業種とIoT分野などでの事業開発を進めている。エアウィーヴ社長室の窪田千恵さんは「アプリのデータを活用して(ホームIoTだけでなく)保険会社などとの協業も模索したい」と意気込む。その上で「我々は米国の科学誌に論文が掲載されるなど睡眠研究に力を入れてきた。睡眠のデータを分析する力には強みがある」と強調する。
「睡眠の知見」を武器に存在感を高めるベンチャー企業も出てきた。ニューロスペース(東京都墨田区)だ。従業員の良質な睡眠を支援する法人向け睡眠改善プログラムを70社、1万人以上に導入した実績を持つ。3月にはKDDIと協業し、同社のホームIoTサービス「auHOME」で睡眠モニタリングサービスの提供を始めた。今秋にも照明やカーテンと連携して睡眠環境を最適化するサービスを展開する。
KDDIの担当者はニューロスペースとの協業を決めた理由について「法人向け領域で培った豊富な睡眠データを保有しており、睡眠改善の実績とデータ分析の知見を持ち合わせていたため」と説明する。ニューロスペースは4月に東京電力グループや東急不動産などと協業体制を構築しており、ホームIoT分野での取り組みをさらに拡大する構えだ。
スリープテックは世界でも注目を集めている。1月に米ラスベガスで開かれた家電・IT見本市「CES」では専用エリアが設けられた。スリープテックの情報をまとめた「スリープテックレポート」を18年12月にニューロスペースと共同で発刊したneumo(ニューモ、東京都渋谷区)の若林龍成社長は「18年のCESで(オランダの電機メーカー大手である)フィリップスが個人向けのスリープテック端末を披露して市場が一層盛り上がった。フランスや中国のスタートアップなどが睡眠を計測したり、よりよい睡眠を促したりする端末を発表している」と明かす。
市場調査会社の富士経済(東京都中央区)は、睡眠状態を可視化するセンサーやそれに基づき助言などを行う睡眠改善サービスの国内市場について17年の1億円から22年に20億円まで拡大すると予想する。ただ、この数字にはホームIoTによる睡眠環境改善サービスなどは含まれていないため、さらなる拡大も見込まれる。
一方、学界からはスリープテックの盛り上がりに警笛を鳴らす声も上がる。睡眠ブームの火付け役の一つとされる書籍「スタンフォード式最高の睡眠」の著者でスタンフォード大学医学部精神科の西野精治教授は「CESでの展示を見たが、(スリープテックの製品は)エビデンスが不確かでいい加減なものも多かった」と懸念する。スリープテック市場で抜け出すサービスや製品にはその足場となるエビデンスの確かさは当然、問われる。
スリープテックの海外動向についてneumoの若林龍成社長に聞いた。
―世界のスリープテック市場の現状を教えてください。
18年に急速に盛り上がった印象です。その年の1月のCESで大手のフィリプッスが個人向けの製品を披露し、同6月には米国でベータ版を発売した影響が大きかったのではないでしょうか。フランスのスタートアップなどは盛んで、今年のCESでは中国の企業も多く出していました。
―具体的にはどのような製品が出てきているのでしょうか。
多種多様な製品がありますが、やはり現状で多いのは睡眠の状態を計測する端末です。計測方法は脈拍や体圧など色々です。面白い製品としては睡眠に直接介入する端末が出ています。フィリプッスがCESで披露した製品「スマートスリープ」がそれで、睡眠状態を把握した上で音刺激により深い眠りを促すというコンセプトです。私も米国で購入して試しました。精度はまだまだこれからという印象を受けましたが、市場に出して消費者の声を聞きながら良くしていくという段階のようです。
―今後はどのような製品が登場しそうでしょうか。
端末からの刺激などによって、より深い睡眠を促すだけでなく、記憶力や仕事の生産性を向上させるといった製品があり得ると思います。例えば、寝る前に何かを覚え、起きた時にどの程度を記憶していたかテストする実験を行ったところ、(脳波計によって計測される)デルタ波が多く出る睡眠の方が記憶力が上がったという研究があります。フィリップスがスマートスリープを開発する際にも基にしている研究です。そうした研究を生かして発展していく可能性があると思います。
睡眠ビジネスをテーマに連載を始めます。「睡眠負債」という言葉が流行語になって以来、快眠を促す製品やサービスなど睡眠ビジネスがブームの様相を呈しています。睡眠ビジネスに挑む人たちやその舞台裏、はたまた睡眠研究の権威による睡眠ビジネスに対する懸念などについて取材、執筆した記事を毎日配信します。
【01】パナソニックは30年越し…“睡眠テック”で抜け出すのは誰か(2019年7月8日配信)
【02】吉野家と出会い飛躍、睡眠テックベンチャーの雄が実現したいこと(7月8日配信)
【03】寝具業界は劇的に伸びない…危機感の老舗「ふとんの西川」広げる“相談所”(7月9日配信)
【04】豪州で“バカ売れ”の寝具メーカーが日本市場を最重要視するワケ(7月10日配信)
【05】珈琲で仮眠と街の価値上げる「睡眠カフェ」開設の舞台裏(7月11日配信)
【06】銚子電鉄の“あきらめない経営”支える「究極の宿直室」の正体(7月12日配信)
【07】睡眠研究の権威語る、最高の眠り方と睡眠ビジネスの懸念(7月13日配信)
国内では2017年に睡眠不足が借金のように積み重なり不調を引き起こす「睡眠負債」が流行語になり「良質な睡眠」に対する需要が高まった。その中で、スリープテックはIoT活用の機運にも乗り、新たな市場として表出してきた格好だ。異業種が入り乱れる市場で抜け出すのは誰か―。(文=葭本隆太)
長年の知見生かすとき
エアコンや照明、スピーカー、アロマ送風機、加湿空気清浄機などが備えられた寝室。各機器はWi‐Fi(ワイファイ)などで連携し、センサーで睡眠状態が可視化された個人に最適な睡眠環境を作り出す。起床時には睡眠状態を評価し、よりよい睡眠を実現するための飲み物などアイテムの提案を行う―。
パナソニックが4月に開設した多様な企業と協業を模索する拠点「&Panasonic」(東京・原宿)の一角で行われているデモだ。同社が注力するホームIoT基盤「HomeX」を活用した睡眠ソリューションのイメージをパートナー企業に紹介し、睡眠環境をよりよくするサービスや製品などについて議論する。拠点を設けることでパートナー企業を広く呼び込み、協業を加速する狙いがある。
「HomeX」において睡眠は重要なテーマに位置づけられる。パナソニックアプライアンス社の菊地真由美さんは「眠りは人生の3分の2を輝かせるための重要な人生の3分の1。〝くらしをアップデートする〟というHomeXの思想と強くリンクする」と説明する。
もっともパナソニックにとっては長年の研究が生かせる点が大きい。同社が睡眠の研究を始めたのは約30年前まで遡る。光との関係に始まり、ホテル向けに照明などを制御して快眠を促す睡眠システムを導入したこともあるが、当時は睡眠に投資する時代ではなく導入は広がらなかった。その後、厚生労働省がまとめた「健康日本21」などで睡眠による健康作りの重要性が指摘される中で、改めて13年に社内プロジェクトが動き出した。14年には睡眠状態を計測・可視化するスマホアプリを開発し、現在は計測結果を基にエアコンなどを最適に制御する機能も提供している。
そうした中で今や社会の睡眠への関心は高まり、データが価値になる時代にもなった。パナソニックにとっては取り組みを強化しない手はないというわけだ。
寝具メーカーに存在感
ホームIoTを手掛ける企業が睡眠ソリューションを提供する上で重視する知見がある。寝具と睡眠の関係だ。パナソニックも寝具メーカーの老舗である西川(東京都中央区)にその知見を求め、共同研究を進めている。パナソニックアプライアンス社の菊地さんは「眠りを良くするためにまずは寝具を変えるのが一般的。(睡眠環境の最適化を図る上では)寝具と眠りに関わる知見は欠かせない。(西川は)寝具業界でもブランド力があり、信頼できるパートナー」と説明する。
もちろん、寝具メーカーにとっても自らの知見を生かして事業の幅を広げる好機になる。西川の営業企画統括部に所属する藤ヶ森仁部長は「(スリープテックの盛り上がりは)我々にとって大きなビジネスチャンス」と力を込める。
寝具メーカーとしては新興のエアウィーヴ(東京都中央区)もスリープテックに対する関心は高い。16年に睡眠状態を可視化するアプリを開発し、17年には中部電力や楽天などの出資を受け入れ、他業種とIoT分野などでの事業開発を進めている。エアウィーヴ社長室の窪田千恵さんは「アプリのデータを活用して(ホームIoTだけでなく)保険会社などとの協業も模索したい」と意気込む。その上で「我々は米国の科学誌に論文が掲載されるなど睡眠研究に力を入れてきた。睡眠のデータを分析する力には強みがある」と強調する。
「睡眠の知見」を武器に存在感を高めるベンチャー企業も出てきた。ニューロスペース(東京都墨田区)だ。従業員の良質な睡眠を支援する法人向け睡眠改善プログラムを70社、1万人以上に導入した実績を持つ。3月にはKDDIと協業し、同社のホームIoTサービス「auHOME」で睡眠モニタリングサービスの提供を始めた。今秋にも照明やカーテンと連携して睡眠環境を最適化するサービスを展開する。
KDDIの担当者はニューロスペースとの協業を決めた理由について「法人向け領域で培った豊富な睡眠データを保有しており、睡眠改善の実績とデータ分析の知見を持ち合わせていたため」と説明する。ニューロスペースは4月に東京電力グループや東急不動産などと協業体制を構築しており、ホームIoT分野での取り組みをさらに拡大する構えだ。
世界も注目するが…
スリープテックは世界でも注目を集めている。1月に米ラスベガスで開かれた家電・IT見本市「CES」では専用エリアが設けられた。スリープテックの情報をまとめた「スリープテックレポート」を18年12月にニューロスペースと共同で発刊したneumo(ニューモ、東京都渋谷区)の若林龍成社長は「18年のCESで(オランダの電機メーカー大手である)フィリップスが個人向けのスリープテック端末を披露して市場が一層盛り上がった。フランスや中国のスタートアップなどが睡眠を計測したり、よりよい睡眠を促したりする端末を発表している」と明かす。
市場調査会社の富士経済(東京都中央区)は、睡眠状態を可視化するセンサーやそれに基づき助言などを行う睡眠改善サービスの国内市場について17年の1億円から22年に20億円まで拡大すると予想する。ただ、この数字にはホームIoTによる睡眠環境改善サービスなどは含まれていないため、さらなる拡大も見込まれる。
一方、学界からはスリープテックの盛り上がりに警笛を鳴らす声も上がる。睡眠ブームの火付け役の一つとされる書籍「スタンフォード式最高の睡眠」の著者でスタンフォード大学医学部精神科の西野精治教授は「CESでの展示を見たが、(スリープテックの製品は)エビデンスが不確かでいい加減なものも多かった」と懸念する。スリープテック市場で抜け出すサービスや製品にはその足場となるエビデンスの確かさは当然、問われる。
フィリプッスのインパクト
スリープテックの海外動向についてneumoの若林龍成社長に聞いた。
―世界のスリープテック市場の現状を教えてください。
18年に急速に盛り上がった印象です。その年の1月のCESで大手のフィリプッスが個人向けの製品を披露し、同6月には米国でベータ版を発売した影響が大きかったのではないでしょうか。フランスのスタートアップなどは盛んで、今年のCESでは中国の企業も多く出していました。
―具体的にはどのような製品が出てきているのでしょうか。
多種多様な製品がありますが、やはり現状で多いのは睡眠の状態を計測する端末です。計測方法は脈拍や体圧など色々です。面白い製品としては睡眠に直接介入する端末が出ています。フィリプッスがCESで披露した製品「スマートスリープ」がそれで、睡眠状態を把握した上で音刺激により深い眠りを促すというコンセプトです。私も米国で購入して試しました。精度はまだまだこれからという印象を受けましたが、市場に出して消費者の声を聞きながら良くしていくという段階のようです。
―今後はどのような製品が登場しそうでしょうか。
端末からの刺激などによって、より深い睡眠を促すだけでなく、記憶力や仕事の生産性を向上させるといった製品があり得ると思います。例えば、寝る前に何かを覚え、起きた時にどの程度を記憶していたかテストする実験を行ったところ、(脳波計によって計測される)デルタ波が多く出る睡眠の方が記憶力が上がったという研究があります。フィリップスがスマートスリープを開発する際にも基にしている研究です。そうした研究を生かして発展していく可能性があると思います。
連載・睡眠の値段
睡眠ビジネスをテーマに連載を始めます。「睡眠負債」という言葉が流行語になって以来、快眠を促す製品やサービスなど睡眠ビジネスがブームの様相を呈しています。睡眠ビジネスに挑む人たちやその舞台裏、はたまた睡眠研究の権威による睡眠ビジネスに対する懸念などについて取材、執筆した記事を毎日配信します。
【01】パナソニックは30年越し…“睡眠テック”で抜け出すのは誰か(2019年7月8日配信)
【02】吉野家と出会い飛躍、睡眠テックベンチャーの雄が実現したいこと(7月8日配信)
【03】寝具業界は劇的に伸びない…危機感の老舗「ふとんの西川」広げる“相談所”(7月9日配信)
【04】豪州で“バカ売れ”の寝具メーカーが日本市場を最重要視するワケ(7月10日配信)
【05】珈琲で仮眠と街の価値上げる「睡眠カフェ」開設の舞台裏(7月11日配信)
【06】銚子電鉄の“あきらめない経営”支える「究極の宿直室」の正体(7月12日配信)
【07】睡眠研究の権威語る、最高の眠り方と睡眠ビジネスの懸念(7月13日配信)
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睡眠不足が借金のように積み重なり不調を引き起こす「睡眠負債」という言葉が2017年に流行語になって以来、睡眠ビジネスがブームの様相を呈しています。睡眠ビジネスに挑む人たちやその舞台裏、懸念などについて取材しました。