“アップルの呪縛”が解けた電機業界、戦いたい市場ではなく勝てる市場で戦う
リーマン・ショック10年、ビジネスモデルに向き合う
リーマン・ショックからの10年は日本の電機業界が「いかに世界と戦うか」を模索した10年だった。「日本の電機業界は苦しい時期があったが、技術で劣っていたからか。そうではない」。ルネサスエレクトロニクスの呉文精社長は「電機敗戦」をこう分析する。
1980年代に世界市場を席巻した日本の半導体メーカー衰退の原因は、「百貨店」と称された製品群にあった。製品群を広げれば広げるほど相乗効果が少なくなり、収益性は低下した。00年代に本体から切り出す格好で再編・統合され、ルネサスエレクトロニクスなどが誕生した。
リーマン・ショックや東日本大震災後の需要急減は、日本の半導体メーカーの製品群やそれにひも付く生産拠点が過剰であることを改めて突きつけた。
呉社長は「品質や顧客基盤は問題はない。(重要なのは)そこの分野で戦い方を知っているかどうかだ」と指摘する。狙う市場セグメントを定め、マーケティングを繰り返し、機敏に反応する。日本の電機業界にとって、この10年はビジネスの原則を思い出すための10年だったのかもしれない。
7873億円―。日立製作所は09年3月期に製造業として史上最大の当期赤字を計上した。今は過去最高益をたたき出すまでに復活した日立だが、改革に辣腕(らつわん)を振るった川村隆会長(当時)は後に「スピード感が一番重要だと思った」と述べている。
「構造改革100日プラン」を打ち出し、日立マクセル、日立プラントテクノロジーなど上場5社を取り込み、社内カンパニー制を導入。当時、聖域ともされた事業ポートフォリオの見直しにも着手した。
早めに不採算事業を切り出せば、手元には優良事業が残り、経営再建へのスピードも速まる。後に、不適切会計問題で後手後手に回り、最後は虎の子である半導体メモリー子会社の東芝メモリを切り出すに至った東芝を見てもそれは明らかだ。
意思決定の迅速化。確かに大原則ではあるが、08年前後は日立のような巨額の赤字を計上するまで追い込まれなければ判断が難しい時期でもあった。
それ以前に半導体や携帯電話事業から早々と撤退を決めたのは三菱電機のみ。リーマン・ショックと同時期に起きたエレクトロニクス業界の巨大な地殻変動を多くの経営者は見抜けなかった。
07年1月9日。米アップル最高経営責任者(CEO、当時)のスティーブ・ジョブズ氏が米サンフランシスコのイベント会場に立ち、スマートフォンの初代「iPhone(アイフォーン)」を披露した。ジョブズ氏はそこで、「今日、アップルは電話を“再発明”する」と高らかに宣言した。
その言葉通り、アップルは携帯電話のビジネスモデルをまったく異なるものに変えた。08年の米グーグルのスマホ向け基本ソフト「アンドロイド」の投入と並び、ハードウエア中心の業界を、ソフトウエア・プラットフォームに移行させた。
フィンランドの携帯電話メーカーのノキアなど、端末ビジネスでの成功体験が大きい企業ほどこの変化に苦しむ。NECなど日本メーカーも例外ではなかった。
ただ、リーマン・ショックで日本の電機各社の業績は落ち込んだものの、その前も利益率水準は決して高くはなかった。金融危機で生産設備などの余剰感ばかりに目がいき、ビジネスモデルの本質的な欠陥が見えにくくなったことも、リーマン・ショック後の長すぎる低迷の一因だろう。
本質的な欠陥とは何か。それはハードからソフトウエアへの移行に遅れたほか、自社のプラットフォームに他社の事業を巻き込み、サービスの質と量を拡大する「エコシステム」を確立する視点がなかったことだ。
このため、日本の電機メーカーにとって、この10年は名よりも実をとり、事業ポートフォリオの再構築にもがいた10年でもある。
ここ10年の売上高の推移を見れば、日本メーカーは減収や微増にとどまる。一方のアップルは利益のみならず売り上げも急拡大。08年に324億ドルだった売上高は2015年には2000億ドルを超えた。
そのアップルも米ハイテク業界では古株になりつつある。「ポストスマホ」とも呼ばれる音声認識スピーカーでは米アマゾン、米グーグルの後塵(こうじん)を拝す。アップルですら次代のプラットフォームを握れるかは不透明であり、市場環境の変化は目まぐるしい。
日本の電機メーカーの中で、ポートフォリオの見直しで象徴的なのは常にアップルと比較され続けたソニーだろう。リーマン・ショック直後の09年3月期から12年3月期まで4期連続で当期赤字に陥るなど、低迷を極めたソニー。
12年に就任した平井一夫社長(当時)は、人員削減や資産売却、テレビ事業の分社化やパソコンの「VAIO」売却を断行。本業のエレクトロニクス部門も16年3月期に黒字転換した。足元ではスマホ事業に課題はあるものの、ゲームや半導体を軸に過去最高益を成し遂げた。
ドイツ証券株式調査部の吉田優ヴァイスプレジデントは、「電機各社はここにきて小さくても『勝てる』エコシステムづくりをやろうとしている」と指摘する。
例えば、日立の制御技術(OT)とITを組みあわせたIoT(モノのインターネット)プラットフォーム「ルマーダ」は、顧客とパートナーのシステムをつないで協業を進める。
パナソニックや三菱電機も産業用IoT基盤サービスを訴求する。電機各社はそれぞれIoTを軸に、業種の垣根を越えた他産業との連携を加速する。
ソニーもゲームだけでなく、イヌ型ロボット「aibo(アイボ)」をプラットフォームビジネスとしての展開を見込んでおり、他社との協業も視野に入れる。
戦いたい市場ではなく勝てる市場で戦う。「アップルの呪縛」がようやく解けた今、日本の電機メーカーの再攻勢への体制は整いつつある。
(文=栗下直也)
1980年代に世界市場を席巻した日本の半導体メーカー衰退の原因は、「百貨店」と称された製品群にあった。製品群を広げれば広げるほど相乗効果が少なくなり、収益性は低下した。00年代に本体から切り出す格好で再編・統合され、ルネサスエレクトロニクスなどが誕生した。
リーマン・ショックや東日本大震災後の需要急減は、日本の半導体メーカーの製品群やそれにひも付く生産拠点が過剰であることを改めて突きつけた。
呉社長は「品質や顧客基盤は問題はない。(重要なのは)そこの分野で戦い方を知っているかどうかだ」と指摘する。狙う市場セグメントを定め、マーケティングを繰り返し、機敏に反応する。日本の電機業界にとって、この10年はビジネスの原則を思い出すための10年だったのかもしれない。
速い意思決定が必要
7873億円―。日立製作所は09年3月期に製造業として史上最大の当期赤字を計上した。今は過去最高益をたたき出すまでに復活した日立だが、改革に辣腕(らつわん)を振るった川村隆会長(当時)は後に「スピード感が一番重要だと思った」と述べている。
「構造改革100日プラン」を打ち出し、日立マクセル、日立プラントテクノロジーなど上場5社を取り込み、社内カンパニー制を導入。当時、聖域ともされた事業ポートフォリオの見直しにも着手した。
早めに不採算事業を切り出せば、手元には優良事業が残り、経営再建へのスピードも速まる。後に、不適切会計問題で後手後手に回り、最後は虎の子である半導体メモリー子会社の東芝メモリを切り出すに至った東芝を見てもそれは明らかだ。
意思決定の迅速化。確かに大原則ではあるが、08年前後は日立のような巨額の赤字を計上するまで追い込まれなければ判断が難しい時期でもあった。
それ以前に半導体や携帯電話事業から早々と撤退を決めたのは三菱電機のみ。リーマン・ショックと同時期に起きたエレクトロニクス業界の巨大な地殻変動を多くの経営者は見抜けなかった。
07年1月9日。米アップル最高経営責任者(CEO、当時)のスティーブ・ジョブズ氏が米サンフランシスコのイベント会場に立ち、スマートフォンの初代「iPhone(アイフォーン)」を披露した。ジョブズ氏はそこで、「今日、アップルは電話を“再発明”する」と高らかに宣言した。
その言葉通り、アップルは携帯電話のビジネスモデルをまったく異なるものに変えた。08年の米グーグルのスマホ向け基本ソフト「アンドロイド」の投入と並び、ハードウエア中心の業界を、ソフトウエア・プラットフォームに移行させた。
フィンランドの携帯電話メーカーのノキアなど、端末ビジネスでの成功体験が大きい企業ほどこの変化に苦しむ。NECなど日本メーカーも例外ではなかった。
ただ、リーマン・ショックで日本の電機各社の業績は落ち込んだものの、その前も利益率水準は決して高くはなかった。金融危機で生産設備などの余剰感ばかりに目がいき、ビジネスモデルの本質的な欠陥が見えにくくなったことも、リーマン・ショック後の長すぎる低迷の一因だろう。
10年もがいた!
本質的な欠陥とは何か。それはハードからソフトウエアへの移行に遅れたほか、自社のプラットフォームに他社の事業を巻き込み、サービスの質と量を拡大する「エコシステム」を確立する視点がなかったことだ。
このため、日本の電機メーカーにとって、この10年は名よりも実をとり、事業ポートフォリオの再構築にもがいた10年でもある。
ここ10年の売上高の推移を見れば、日本メーカーは減収や微増にとどまる。一方のアップルは利益のみならず売り上げも急拡大。08年に324億ドルだった売上高は2015年には2000億ドルを超えた。
そのアップルも米ハイテク業界では古株になりつつある。「ポストスマホ」とも呼ばれる音声認識スピーカーでは米アマゾン、米グーグルの後塵(こうじん)を拝す。アップルですら次代のプラットフォームを握れるかは不透明であり、市場環境の変化は目まぐるしい。
日本の電機メーカーの中で、ポートフォリオの見直しで象徴的なのは常にアップルと比較され続けたソニーだろう。リーマン・ショック直後の09年3月期から12年3月期まで4期連続で当期赤字に陥るなど、低迷を極めたソニー。
12年に就任した平井一夫社長(当時)は、人員削減や資産売却、テレビ事業の分社化やパソコンの「VAIO」売却を断行。本業のエレクトロニクス部門も16年3月期に黒字転換した。足元ではスマホ事業に課題はあるものの、ゲームや半導体を軸に過去最高益を成し遂げた。
ドイツ証券株式調査部の吉田優ヴァイスプレジデントは、「電機各社はここにきて小さくても『勝てる』エコシステムづくりをやろうとしている」と指摘する。
例えば、日立の制御技術(OT)とITを組みあわせたIoT(モノのインターネット)プラットフォーム「ルマーダ」は、顧客とパートナーのシステムをつないで協業を進める。
パナソニックや三菱電機も産業用IoT基盤サービスを訴求する。電機各社はそれぞれIoTを軸に、業種の垣根を越えた他産業との連携を加速する。
ソニーもゲームだけでなく、イヌ型ロボット「aibo(アイボ)」をプラットフォームビジネスとしての展開を見込んでおり、他社との協業も視野に入れる。
戦いたい市場ではなく勝てる市場で戦う。「アップルの呪縛」がようやく解けた今、日本の電機メーカーの再攻勢への体制は整いつつある。
(文=栗下直也)
日刊工業新聞2018年9月13日