弥生時代から現代のコンビニまで、「おにぎり」の役割はこんなに変化した!
<情報工場 「読学」のススメ#50>『おにぎりと日本人』(増淵 敏之 著)>
先日ふと、コンビニのおにぎりのバリエーションが凄まじく広がっているのに気がついた。
具の種類もそうだが形も三角形と丸型の両方がある。三角形のものは、たいていご飯とパリパリの海苔の間にセロファンが入っており、食べる時にそれを抜き取って巻くようになっている。これはコンビニおにぎり“伝統”の仕掛けだ。
一方、丸型はあらかじめ海苔が巻いてあり、手づくりの「しっとり感」を売りにしているようだ。海苔が巻いていないものや、海苔の代わりに薄い卵焼きが巻いてあるものもある。さらには、ご飯や具に高品質なものを使用したプレミアムなおにぎりも、何種類も売られている。
ちなみに、おにぎりは「おむすび」とも言うが、コンビニによってどちらを使うか決まっているのをご存じだろうか。ローソンは「おにぎり」、ファミリーマートは「おむすび」を使うことにしているそうだ。セブンイレブンには両方がある。
もともと遠足のお弁当などで「家庭の味」として親しまれ、「日本人のソウルフード」と呼ばれることもあるおにぎりだが、近年はすっかり「コンビニの定番商品」としてのイメージが定着している。それは、核家族化や「個食」の広がり、ダイエット志向などの理由で、「一人で小腹を満たすのにちょうどいいサイズ」のおにぎりが受け入れやすかったということなのだろう。
『おにぎりと日本人』(洋泉社<新書y>)は、そんなおにぎりについて、歴史や地域性などあらゆる面から分析し、日本人の特質や日本文化との関係に迫っている。
著者の増淵敏之さんは文化地理学、文化経済学を専門とする法政大学大学院政策創造研究科教授で、コンテンツツーリズム学会会長なども務める。東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントなど音楽業界の経歴もある。
同書によると、おにぎりは「日本だけにしかない」のだそうだ。欧米はもちろんだが、米食文化のあるアジアにも類似した食品はほぼ存在しない。豊かな食文化を誇る中国にもない。韓国には、「チュモクパプ」という近いものがあるが、あくまで非常食に用いられていたようだ。近年は、日本のコンビニチェーンの進出により、日本風のおにぎりも食べられるようになったというが。
おにぎりは手で持って食べるのが普通だが、先進国で「手食」の文化が残っているのは日本ぐらいだと、増淵さんは指摘している。欧米のサンドイッチやハンバーガーなどは手食をするが、どれも大衆食だ。日本では寿司のような高級食も、手で食べるのが正式のマナーだ。
ことほどさようにおにぎりは日本独自の食品なわけだが、最近、世界中で「食べたことはないが知っている」という人が増えているという。なぜか。実は「アニメ」のせいなのだ。
周知のように、ジブリ作品をはじめとする日本アニメには世界中にファンがいる。日本のアニメでは、登場人物が、いつも美味しそうにパクついている三角形のかたまりがある。「あれは何だ?」というわけだ。だいぶ昔に、日本人が「ポパイ」の漫画を見てほうれん草の缶詰の存在を知ったのと同じようなものだろうか。
おにぎりが最初に登場したのは、弥生時代だと推測されている。当時の遺跡から蒸した米の塊が真っ黒に炭化したものが見つかっているのだそうだ。当時のおにぎりは、神様への供え物など宗教的なものだったと考えられている。
実はおにぎりが三角形なのは、神社の御神体が「山」であることが多かったから、という説がある。また、古来から日本人にとって「結ぶ」という行為は神聖な意味を持っていた。「結界」という言葉があるが、バラバラなものを一つにまとめることで、現世と異界を区切るという考え方があったのだ。増淵さんは、おにぎりを「結ぶ」という行為も、一種の祈祷だったのではないかと見ている。
その後、鎌倉時代のあたりから、おにぎりは大衆化し、戦(いくさ)の際に武士が携行する「戦闘食」としての役割を果たすようになる。さらに江戸時代まで下ると、地域的な多様化が進んでいったようだ。海苔を巻くようになったのも江戸時代かららしい。
明治時代になり、富国強兵が叫ばれるようになると、おにぎりは再び戦闘食としての役割を担うようになる。それは第二世界大戦終戦まで続いた。
増淵さんは、「運動会」や「遠足」のお弁当としてのおにぎりが、戦闘食と関係していることを指摘する。この二つは今では普通に行われている学校行事ではあるが、元はと言えば軍事教育の一環だったからだ。
明治以降、戦前・戦中にかけて、おにぎりの「結び」は、国民統合のシンボルになっていたのかもしれない。
おにぎりは鎌倉時代や戦国時代にも戦闘食として広まっていたが、同時に地域的な多様性もできあがっていったと考えられる。それぞれ異なる風土を持つ各地方の武将同士が戦っていたからだ。
つまり、江戸時代までに豊かな地域的な多様性を持つようになったおにぎりは、明治以降、統合のシンボルとして普遍性を帯びるようになったのではないか。
そして、冒頭で触れたように、現代のおにぎりは、コンビニという舞台で再び多様化している。ただし、この多様化は地域的なものではない。コンビニチェーンは全国どの店舗でも地域限定商品以外は同一のものを並べている。現代のコンビニでは、言わば「普遍性の中の多様化」「多様性を内包する普遍化」といった現象が起きているのではないだろうか。
このことは、グローバリゼーションによる「普遍化」が進む現代社会の「多様性」がどうあるべきかの、重要な示唆を与えてくれている気がしてならない――。炙りシャケのコンビニおにぎりを頬張りながら、そんなことを考えた。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
『おにぎりと日本人』
増淵 敏之 著
洋泉社(新書y)
192p 950円(税別)>
具の種類もそうだが形も三角形と丸型の両方がある。三角形のものは、たいていご飯とパリパリの海苔の間にセロファンが入っており、食べる時にそれを抜き取って巻くようになっている。これはコンビニおにぎり“伝統”の仕掛けだ。
一方、丸型はあらかじめ海苔が巻いてあり、手づくりの「しっとり感」を売りにしているようだ。海苔が巻いていないものや、海苔の代わりに薄い卵焼きが巻いてあるものもある。さらには、ご飯や具に高品質なものを使用したプレミアムなおにぎりも、何種類も売られている。
ちなみに、おにぎりは「おむすび」とも言うが、コンビニによってどちらを使うか決まっているのをご存じだろうか。ローソンは「おにぎり」、ファミリーマートは「おむすび」を使うことにしているそうだ。セブンイレブンには両方がある。
もともと遠足のお弁当などで「家庭の味」として親しまれ、「日本人のソウルフード」と呼ばれることもあるおにぎりだが、近年はすっかり「コンビニの定番商品」としてのイメージが定着している。それは、核家族化や「個食」の広がり、ダイエット志向などの理由で、「一人で小腹を満たすのにちょうどいいサイズ」のおにぎりが受け入れやすかったということなのだろう。
『おにぎりと日本人』(洋泉社<新書y>)は、そんなおにぎりについて、歴史や地域性などあらゆる面から分析し、日本人の特質や日本文化との関係に迫っている。
著者の増淵敏之さんは文化地理学、文化経済学を専門とする法政大学大学院政策創造研究科教授で、コンテンツツーリズム学会会長なども務める。東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントなど音楽業界の経歴もある。
同書によると、おにぎりは「日本だけにしかない」のだそうだ。欧米はもちろんだが、米食文化のあるアジアにも類似した食品はほぼ存在しない。豊かな食文化を誇る中国にもない。韓国には、「チュモクパプ」という近いものがあるが、あくまで非常食に用いられていたようだ。近年は、日本のコンビニチェーンの進出により、日本風のおにぎりも食べられるようになったというが。
おにぎりは手で持って食べるのが普通だが、先進国で「手食」の文化が残っているのは日本ぐらいだと、増淵さんは指摘している。欧米のサンドイッチやハンバーガーなどは手食をするが、どれも大衆食だ。日本では寿司のような高級食も、手で食べるのが正式のマナーだ。
ことほどさようにおにぎりは日本独自の食品なわけだが、最近、世界中で「食べたことはないが知っている」という人が増えているという。なぜか。実は「アニメ」のせいなのだ。
周知のように、ジブリ作品をはじめとする日本アニメには世界中にファンがいる。日本のアニメでは、登場人物が、いつも美味しそうにパクついている三角形のかたまりがある。「あれは何だ?」というわけだ。だいぶ昔に、日本人が「ポパイ」の漫画を見てほうれん草の缶詰の存在を知ったのと同じようなものだろうか。
「多様化」と「普遍化」を行き来してきたおにぎり
おにぎりが最初に登場したのは、弥生時代だと推測されている。当時の遺跡から蒸した米の塊が真っ黒に炭化したものが見つかっているのだそうだ。当時のおにぎりは、神様への供え物など宗教的なものだったと考えられている。
実はおにぎりが三角形なのは、神社の御神体が「山」であることが多かったから、という説がある。また、古来から日本人にとって「結ぶ」という行為は神聖な意味を持っていた。「結界」という言葉があるが、バラバラなものを一つにまとめることで、現世と異界を区切るという考え方があったのだ。増淵さんは、おにぎりを「結ぶ」という行為も、一種の祈祷だったのではないかと見ている。
その後、鎌倉時代のあたりから、おにぎりは大衆化し、戦(いくさ)の際に武士が携行する「戦闘食」としての役割を果たすようになる。さらに江戸時代まで下ると、地域的な多様化が進んでいったようだ。海苔を巻くようになったのも江戸時代かららしい。
明治時代になり、富国強兵が叫ばれるようになると、おにぎりは再び戦闘食としての役割を担うようになる。それは第二世界大戦終戦まで続いた。
増淵さんは、「運動会」や「遠足」のお弁当としてのおにぎりが、戦闘食と関係していることを指摘する。この二つは今では普通に行われている学校行事ではあるが、元はと言えば軍事教育の一環だったからだ。
明治以降、戦前・戦中にかけて、おにぎりの「結び」は、国民統合のシンボルになっていたのかもしれない。
おにぎりは鎌倉時代や戦国時代にも戦闘食として広まっていたが、同時に地域的な多様性もできあがっていったと考えられる。それぞれ異なる風土を持つ各地方の武将同士が戦っていたからだ。
つまり、江戸時代までに豊かな地域的な多様性を持つようになったおにぎりは、明治以降、統合のシンボルとして普遍性を帯びるようになったのではないか。
そして、冒頭で触れたように、現代のおにぎりは、コンビニという舞台で再び多様化している。ただし、この多様化は地域的なものではない。コンビニチェーンは全国どの店舗でも地域限定商品以外は同一のものを並べている。現代のコンビニでは、言わば「普遍性の中の多様化」「多様性を内包する普遍化」といった現象が起きているのではないだろうか。
このことは、グローバリゼーションによる「普遍化」が進む現代社会の「多様性」がどうあるべきかの、重要な示唆を与えてくれている気がしてならない――。炙りシャケのコンビニおにぎりを頬張りながら、そんなことを考えた。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
増淵 敏之 著
洋泉社(新書y)
192p 950円(税別)>
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