<名将に聞くコーチングの流儀#06> トヨタ自動車硬式野球部元監督・廣瀬寛氏
指導者は土を耕し、木を植えて、幹を太くせよ
プロを目指し、キャリアを積み上げようとする選手もいれば、引退後は社業や他業界で第2の人生をスタートさせる選手もいる社会人野球。目標意識に個人差のある集団でも指導者は組織としての目標に向かい、意識を1つにし、成果を出すことが求められる。トヨタ自動車硬式野球部元監督の廣瀬寛氏は選手との対話や理念に重きを置くスタイルで、若手とベテラン、主力と控えが一体となったチームづくりを行い、2005年社会人野球日本選手権ではチームをベスト8まで導いた。監督に在任した3年間で輩出したプロ野球選手は5人。現在は社業でも部下を持ち、組織の管理者としての手腕を発揮する。組織の目標達成のための意識づけや異なる志向を持つ人材を束ね、強い組織をつくるためのヒントを聞いた。
─廣瀬さんは社会人野球の監督と社業の管理職の経験があります。2つに共通することは。
廣瀬「若手とベテランの関係はもちろん、キャリアアップを目指す社員はプロ野球を目指す選手、業務の中心となる社員とサポート役の社員の関係はレギュラーと控えの関係など、人間関係や目標の差異は会社組織と多くの面で重なります」
─チームづくりで心がけていたことは。
廣瀬「“若手とベテラン”、“主力と控え”のそれぞれ違う立場の選手でも、チームの目標に向かって、高い意識で競技に臨む組織をつくることを心がけました。そのために、1人ひとりに自分の役割を認識してもらうことを意識しました。そうすることでモチベーションを高く維持することができると考えたからです」
「若手とベテランを比較して、野球の実力が同じ場合は、瞬発力や回復力など、基礎体力がある若手がレギュラーを獲得しやすい。出場機会に恵まれず、ベンチにいることが多くても練習や試合中にモチベーションを高く保ち、それぞれが自分のできることを精一杯行う選手の育成とチームづくりを目指してきました」
「特にベテランには監督と同じレベルの意識を持っていてほしいと思っていました。企業で若手社員が何か新しいことを始めようとした際、年配者や社歴の長い社員が消極的な考え方を示し、前に進まなくなってしまうことがあるようです」
「しかし、ベテランはこれまでの経験から物を言っているので、正しいことを言っていることも多いです。だからこそ、若手が誤った方向に進みそうなときは、ストッパーとなって軌道修正をして成長に導くことがベテランの役割だと私は思っています」
─ベテランの経験や勘を活かすことは製造業でも関心の高いテーマです。
廣瀬「野球でも試合の緊迫した場面ではベテランの経験や勘が活きます。たとえば、試合終盤でのチャンスの場面です。こうした場面では観客も盛り上がるなかで、若手なら浮き足立ってしまうこともあるでしょう。若手のエネルギッシュさや思い切りの良さは監督にとって魅力的です」
「しかし、一方で危うさもあります。そうしたときには日頃は控えで目立たなくても、ベテラン選手の度胸や勝負勘に監督は期待したくなるのです。控えに定着してしまっているベテランでも、ヘルメットをかぶって、バットを振り、いつ出番を告げられても大丈夫なよう堂々と構えている姿を見たときは、迷わずグラウンドに送り出していました。監督と選手の思いが一致した瞬間です。言葉を交わさずともお互いの思いがわかるくらいの関係でなければなりません。そのためには選手と日頃から対話を欠かさず、信頼関係を築いておかなければならないのです」
─全員に目を配るというのはなかなか難しいことだと思います。
廣瀬「それをしっかり行うことが指導者の役割です。控え選手を含めた全員に必ずチャンスがあることを言って聞かせることが重要です。期待していることをわかってもらうのです。1人ひとりに自分の役割を認識してもらうには日頃からの十分な対話が必要です」
「『コミュニケーションが大事』ということは多くの人が認識していることですが、本質を捉えていないように思います。コミュニケーションは相手の様子をよく見て、言っていることを聞いて、こちらの思いを伝えて、双方が納得して進めるということを忘れてはいけません。指導者側が一方的に伝えて、コミュニケーションをした気になっている人が多いと思います」
─廣瀬さんの指導の根幹をなしているものはどんなことですか。
廣瀬「地味な選手や出場機会に恵まれない選手に鼓舞することを欠かさない」ということです。私は野球を始めた小学校4年生からキャッチャーでした。キャッチャーというのはグラウンド上での監督の役割です」
「もちろん、ベンチの監督の指示を仰ぐことがありますが、試合中は、いちいちベンチを覗き込むことはできません。基本は自分で考えて打たれないように配球を組み立て、守備体系の指示を出します。プレーで成果を残さないとチームメイトから信頼してもらえないし、打たれたら投手と同様に責任を負う」
「でも、勝った場合は「投手が良かったから」というのが周囲の評価です。責任は重いのに地味なポジションです。でも私は非常にやりがいを感じていました。現役時に指導を受けた監督はどなたもキャッチャーを気遣い、よく励ましてくれたからです。キャッチャーで培った判断力や辛抱強さは監督や管理職になってからも多いに役立ちました。
理念を大事にする」
─自身は選手としても指導者としても活躍しました。優秀な選手は名将になるのですか。
廣瀬「それは一概には言えません。ただ、1つ思うことがあります。私が監督だったときの選手で現在、中日ドラゴンズの吉見一起投手がいます。彼は投げる試合は必ず、私が期待する以上の投球回数を投げてくれました。自分がエースという自覚をもって、期待される役割を理解していたのでしょう」
「リーダーシップを発揮していました。非常に頼もしかったことを覚えています。私はほとんど指導した記憶はありません。発言もブレがなく、完成された選手でした。こうした選手は名将になる可能性は十分にあります。将来、名将を目指す若い人は吉見投手の立ち振る舞いに注目してみるとヒントが見えてくるかもしれません」
─廣瀬さんが印象に残っている名将とは。
廣瀬「バルセロナ五輪野球日本代表を率いた山中正竹さんと私の前任のトヨタ自動車監督の川島勝司さんです。山中さんは東京六大学野球で法政大学のエースとして48勝を挙げたあと、社会人野球で活躍しました。しかし、その指導方法は競技力を高めるより先に、ナショナルチームの意味や目指すべきことなど理念を選手と共有することに重きを置いていました。チームの理念を定めることは、経営理念を定めることに置き換えられます」
「川島さんも選手としての実績に加え、日本楽器(現ヤマハ)の監督としても都市対抗野球優勝という素晴らしい実績を残していますが、競技力の向上と同じくらい、精神的なことを大切にしていました。「何のために、誰のために野球をするのかを考えれば、勝利への執念は自然とわき出てくる」と教えていただきました。要するに「ステークホルダーを考えて仕事をせよ」ということを言っていたのだと思います」
─企業活動とも大いに通じるところがあります。
廣瀬「社会人野球で考えれば、野球に専念させてくれる会社や地域の方です。社員に元気や勇気を与えることや会社の知名度を上げることが実業団スポーツの意味です。また、地域社会とのつながりも大事にしなければなりません。チームが勝つことで地域や住民の活性化につながります」
「社業であればユーザーや株主です。私は現在、堤工場工務部で現場をサポートする管理部門の業務に携わっています。組織運営の難しさは、製造に直接関わっていないので「誰の」「何のため」というイメージが持ちづらいことです。だから、部下には「われわれのステークホルダーは誰かを考えよ」と言っています。そうすると、工場の製造ラインがお客様ということを改めて認識し、そのための仕事を考えられるようになるのです」
「また、2人に共通していたことは常に自分より優れた人材を育成することに喜びを感じていたことでした。川島さんから監督を引き継ぐ際、「私は土を耕し、木を植えた。君は幹を太くしなさい。一瞬、実が成ることがあってもそれに甘んじてはならない」と言われたことが印象に残っています。私もそうした気持ちで選手を指導し、監督を引き継ぎました。監督業を引き継いだ指導者たちが日本選手権を合計4回、都市対抗野球でも2016年に初優勝を果たしました。実がなる太い幹を引き継げたと思い、非常にうれしかったですね」
(聞き手、文=成島 正倫)
―信頼関係を構築すること
信頼関係があれば、叱っても不貞腐れることはありません。そのために仕事や野球の話だけでなく、たわいない話で距離を縮め十分なコミュニケーションを図ることが必要です。
〈略歴〉
ひろせ かん
1965年、岐阜県各務原市生まれ。立教大学出身。現役時はキャッチャーとして活躍。引退後、バルセロナ五輪日本代表の総務も務めた。2003年から05年までトヨタ自動車監督。第32回社会人野球日本選手権では金子千尋投手(オリックスバッファローズ)や吉見一起投手(中日ドラゴンズ)を擁してベスト8。現在は堤工場工務部統括室主査。NHK高校野球解説者も務める。
日刊工業新聞「工場管理2017年9月号」>
監督と同じ意識を持たせる
─廣瀬さんは社会人野球の監督と社業の管理職の経験があります。2つに共通することは。
廣瀬「若手とベテランの関係はもちろん、キャリアアップを目指す社員はプロ野球を目指す選手、業務の中心となる社員とサポート役の社員の関係はレギュラーと控えの関係など、人間関係や目標の差異は会社組織と多くの面で重なります」
─チームづくりで心がけていたことは。
廣瀬「“若手とベテラン”、“主力と控え”のそれぞれ違う立場の選手でも、チームの目標に向かって、高い意識で競技に臨む組織をつくることを心がけました。そのために、1人ひとりに自分の役割を認識してもらうことを意識しました。そうすることでモチベーションを高く維持することができると考えたからです」
「若手とベテランを比較して、野球の実力が同じ場合は、瞬発力や回復力など、基礎体力がある若手がレギュラーを獲得しやすい。出場機会に恵まれず、ベンチにいることが多くても練習や試合中にモチベーションを高く保ち、それぞれが自分のできることを精一杯行う選手の育成とチームづくりを目指してきました」
「特にベテランには監督と同じレベルの意識を持っていてほしいと思っていました。企業で若手社員が何か新しいことを始めようとした際、年配者や社歴の長い社員が消極的な考え方を示し、前に進まなくなってしまうことがあるようです」
「しかし、ベテランはこれまでの経験から物を言っているので、正しいことを言っていることも多いです。だからこそ、若手が誤った方向に進みそうなときは、ストッパーとなって軌道修正をして成長に導くことがベテランの役割だと私は思っています」
─ベテランの経験や勘を活かすことは製造業でも関心の高いテーマです。
廣瀬「野球でも試合の緊迫した場面ではベテランの経験や勘が活きます。たとえば、試合終盤でのチャンスの場面です。こうした場面では観客も盛り上がるなかで、若手なら浮き足立ってしまうこともあるでしょう。若手のエネルギッシュさや思い切りの良さは監督にとって魅力的です」
「しかし、一方で危うさもあります。そうしたときには日頃は控えで目立たなくても、ベテラン選手の度胸や勝負勘に監督は期待したくなるのです。控えに定着してしまっているベテランでも、ヘルメットをかぶって、バットを振り、いつ出番を告げられても大丈夫なよう堂々と構えている姿を見たときは、迷わずグラウンドに送り出していました。監督と選手の思いが一致した瞬間です。言葉を交わさずともお互いの思いがわかるくらいの関係でなければなりません。そのためには選手と日頃から対話を欠かさず、信頼関係を築いておかなければならないのです」
コミュニケーションの本質を理解する
─全員に目を配るというのはなかなか難しいことだと思います。
廣瀬「それをしっかり行うことが指導者の役割です。控え選手を含めた全員に必ずチャンスがあることを言って聞かせることが重要です。期待していることをわかってもらうのです。1人ひとりに自分の役割を認識してもらうには日頃からの十分な対話が必要です」
「『コミュニケーションが大事』ということは多くの人が認識していることですが、本質を捉えていないように思います。コミュニケーションは相手の様子をよく見て、言っていることを聞いて、こちらの思いを伝えて、双方が納得して進めるということを忘れてはいけません。指導者側が一方的に伝えて、コミュニケーションをした気になっている人が多いと思います」
─廣瀬さんの指導の根幹をなしているものはどんなことですか。
廣瀬「地味な選手や出場機会に恵まれない選手に鼓舞することを欠かさない」ということです。私は野球を始めた小学校4年生からキャッチャーでした。キャッチャーというのはグラウンド上での監督の役割です」
「もちろん、ベンチの監督の指示を仰ぐことがありますが、試合中は、いちいちベンチを覗き込むことはできません。基本は自分で考えて打たれないように配球を組み立て、守備体系の指示を出します。プレーで成果を残さないとチームメイトから信頼してもらえないし、打たれたら投手と同様に責任を負う」
「でも、勝った場合は「投手が良かったから」というのが周囲の評価です。責任は重いのに地味なポジションです。でも私は非常にやりがいを感じていました。現役時に指導を受けた監督はどなたもキャッチャーを気遣い、よく励ましてくれたからです。キャッチャーで培った判断力や辛抱強さは監督や管理職になってからも多いに役立ちました。
理念を大事にする」
─自身は選手としても指導者としても活躍しました。優秀な選手は名将になるのですか。
廣瀬「それは一概には言えません。ただ、1つ思うことがあります。私が監督だったときの選手で現在、中日ドラゴンズの吉見一起投手がいます。彼は投げる試合は必ず、私が期待する以上の投球回数を投げてくれました。自分がエースという自覚をもって、期待される役割を理解していたのでしょう」
「リーダーシップを発揮していました。非常に頼もしかったことを覚えています。私はほとんど指導した記憶はありません。発言もブレがなく、完成された選手でした。こうした選手は名将になる可能性は十分にあります。将来、名将を目指す若い人は吉見投手の立ち振る舞いに注目してみるとヒントが見えてくるかもしれません」
チーム理念は経営理念に置き換えられる
─廣瀬さんが印象に残っている名将とは。
廣瀬「バルセロナ五輪野球日本代表を率いた山中正竹さんと私の前任のトヨタ自動車監督の川島勝司さんです。山中さんは東京六大学野球で法政大学のエースとして48勝を挙げたあと、社会人野球で活躍しました。しかし、その指導方法は競技力を高めるより先に、ナショナルチームの意味や目指すべきことなど理念を選手と共有することに重きを置いていました。チームの理念を定めることは、経営理念を定めることに置き換えられます」
「川島さんも選手としての実績に加え、日本楽器(現ヤマハ)の監督としても都市対抗野球優勝という素晴らしい実績を残していますが、競技力の向上と同じくらい、精神的なことを大切にしていました。「何のために、誰のために野球をするのかを考えれば、勝利への執念は自然とわき出てくる」と教えていただきました。要するに「ステークホルダーを考えて仕事をせよ」ということを言っていたのだと思います」
─企業活動とも大いに通じるところがあります。
廣瀬「社会人野球で考えれば、野球に専念させてくれる会社や地域の方です。社員に元気や勇気を与えることや会社の知名度を上げることが実業団スポーツの意味です。また、地域社会とのつながりも大事にしなければなりません。チームが勝つことで地域や住民の活性化につながります」
「社業であればユーザーや株主です。私は現在、堤工場工務部で現場をサポートする管理部門の業務に携わっています。組織運営の難しさは、製造に直接関わっていないので「誰の」「何のため」というイメージが持ちづらいことです。だから、部下には「われわれのステークホルダーは誰かを考えよ」と言っています。そうすると、工場の製造ラインがお客様ということを改めて認識し、そのための仕事を考えられるようになるのです」
「また、2人に共通していたことは常に自分より優れた人材を育成することに喜びを感じていたことでした。川島さんから監督を引き継ぐ際、「私は土を耕し、木を植えた。君は幹を太くしなさい。一瞬、実が成ることがあってもそれに甘んじてはならない」と言われたことが印象に残っています。私もそうした気持ちで選手を指導し、監督を引き継ぎました。監督業を引き継いだ指導者たちが日本選手権を合計4回、都市対抗野球でも2016年に初優勝を果たしました。実がなる太い幹を引き継げたと思い、非常にうれしかったですね」
(聞き手、文=成島 正倫)
〈私のコーチングの流儀〉
―信頼関係を構築すること
信頼関係があれば、叱っても不貞腐れることはありません。そのために仕事や野球の話だけでなく、たわいない話で距離を縮め十分なコミュニケーションを図ることが必要です。
ひろせ かん
1965年、岐阜県各務原市生まれ。立教大学出身。現役時はキャッチャーとして活躍。引退後、バルセロナ五輪日本代表の総務も務めた。2003年から05年までトヨタ自動車監督。第32回社会人野球日本選手権では金子千尋投手(オリックスバッファローズ)や吉見一起投手(中日ドラゴンズ)を擁してベスト8。現在は堤工場工務部統括室主査。NHK高校野球解説者も務める。
日刊工業新聞「工場管理2017年9月号」>
日刊工業新聞「工場管理2017年9月号」