GPSに駆逐される「灯台」は未来に残すべきなのか
<情報工場 「読学」のススメ#39>『灯台はそそる』(不動 まゆう 著)
**382基もの「廃止」が計画されている灯台
世の中には、実にさまざまな「マニア」が存在する。鉄ちゃん、鉄子と言われる鉄道マニアは国内だけで相当な数に上るのではないか。そのほか「モノ」のマニアに限ってみても自動車(カーマニア)、航空、城、仏像、地図、工場、廃墟、看板などが思いつく。看板マニアの亜種(?)として、通学路に交通安全のために置かれている「飛び出し坊や」のマニアもいるようだ。ここまでくると、本当に濃い。まさに「マニアック」だ。
『灯台はそそる』(光文社新書)からは「灯台マニア」の存在が明らかになる。岬の突端に海に向かってそびえ立つ、あの灯台を愛でる人々だ。おそらく大方の人は、普段灯台を気に留めることはないだろう。でも、改めてこの本の豊富に掲載されたカラー写真を眺めると、青い海と空をバックに凛と立つ白い姿、あるいは夕暮れ時に暖かな灯りをともす情緒たっぷりの光景に、“そそられる”のもわかる気がしてくる。
著者は自称「灯台女子」の不動まゆうさん。大学の資料館で学芸員として働くかたわら、フリーペーパー「灯台どうだい?」の編集発行人を務め、灯台の啓蒙に力を注いでいる。『灯台はそそる』には不動さんの灯台への愛情が溢れており、その魅力や価値が十二分に伝わってくる。
灯台のある風景、とくに夕暮れ時のそれには、ただでさえ哀愁が感じられる。さらに切ないことに、灯台は「滅びゆく存在」なのだ。
灯台の主な役割は、船舶が安全かつ効率的に航行するためのサポート。船の操縦者が現在の位置を知り、他の船との接触や暗礁への乗り上げを避けながら、最短のルートを航行するための目印となる。こうした目印を総称して「航路標識」といい、灯台は光を発し合図を送るため「光波標識」と呼び分けられている。
ところが、近年、灯台に強力なライバルが現れた。GPSである。今はGPSを使えば船は正確に自分の位置を知ることができる。灯台は、技術の進歩に伴いその役割を終えたとも言われているのだ。
さらに歴史のある灯台の中には耐震構造にはなっていないケースも少なくなく、老朽化による倒壊の恐れがあるものも出てきている。不動さんが調べたところ、2006年から10年間で30基を超える沿岸灯台が廃止、撤去されている。灯台はすべて国有財産だが、国は2006年に約600基の灯台の廃止を目標に掲げた。その後、利用者への聞き取り調査の結果などから最終的に廃止する決断に至ったのは382基だという。
実は海上保安庁は廃止に反対の立場のようで「カーナビだけで事故は防げない」と自動車の例を挙げるなどして、事故防止に灯台が必要であることを訴えているそうだ。船の操縦者も「GPSの測定データを見るのにモニターに視線を落とすよりも、前方を見ながら灯台を頼りにした方が安全」と証言。言うまでもなく不動さんら「灯台マニア」は、すべての灯台の存続を心から願っている。
灯台を「醜い」「邪魔だ」と感じる人はほとんどいないのではないだろうか。また、明治時代に来日した外国人設計のもの、その後に日本人が建造した個性的なデザインのものなど、日本の灯台の多くは貴重な文化遺産として十分に残す価値があると思われる。
海外では、灯台を民間に売却し、住居やホテル、博物館、カフェなどにする例もあるという。国内では市民団体などが、観光資源として灯台を残し、灯台を核とした地域活性化を模索する動きも各地で見られるようだ。海上保安庁も自治体などと連携し、地元住民や観光客に親しまれる灯台をめざした「岬のオアシス構想」を進めている。
不動さんの知り合いの灯台マニアが、こんなことを口にしていたという。「灯台は人工的な建築物なのに自然の風景を邪魔しないように思う」。これは、重要な指摘ではなかろうか。
確かに海や空、山の緑などに包まれた白い灯台は、美しい風景の一部として違和感なく溶け込んでいることが多い。アクセントとして大事な役割を果たしている。もし風景から消えたとしたら、美しくならないとまでは言わないが、凡庸になる気がする。そんなふうに風景の一部になるということは、それだけで存在価値があるとはいえないか。
もちろんすべての灯台を残すべきとは思わない。老朽化の激しく倒壊の恐れのあるものは取り壊すのもやむを得ないだろう。だが、文化財、観光資源としての価値を慎重に見きわめ、民間への売却も含め検討する“余裕”はあっていい。
「錆」と人類の壮絶な戦いを描いたノンフィクション『錆と人間』(ジョナサン・ウォルドマン著、三木直子訳、築地書館)に、「ピカピカの新品だけを大事にするのは、甘やかされた赤ん坊のすることだ。」という一文がある。錆と向き合い、戦いながら古いものの保全を図ることの重要性を強調する表現だが、これは灯台の保全に関してもいえる。すなわち、古いものでもその価値を判断して残す“大人の余裕”が、われわれの社会に求められるのではないか、ということだ。
不動さんは、普段の学芸員の仕事について「数百年前の資料によって、現在の学生が心豊かに育つ」ことを指摘している。未来の人たちのために、心を豊かにしてくれる文化遺産を残すのは、現代人の責務と言ってもよいのではないか。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
『灯台はそそる』
不動 まゆう 著
光文社(光文社新書)
219p 920円(税別)>
世の中には、実にさまざまな「マニア」が存在する。鉄ちゃん、鉄子と言われる鉄道マニアは国内だけで相当な数に上るのではないか。そのほか「モノ」のマニアに限ってみても自動車(カーマニア)、航空、城、仏像、地図、工場、廃墟、看板などが思いつく。看板マニアの亜種(?)として、通学路に交通安全のために置かれている「飛び出し坊や」のマニアもいるようだ。ここまでくると、本当に濃い。まさに「マニアック」だ。
『灯台はそそる』(光文社新書)からは「灯台マニア」の存在が明らかになる。岬の突端に海に向かってそびえ立つ、あの灯台を愛でる人々だ。おそらく大方の人は、普段灯台を気に留めることはないだろう。でも、改めてこの本の豊富に掲載されたカラー写真を眺めると、青い海と空をバックに凛と立つ白い姿、あるいは夕暮れ時に暖かな灯りをともす情緒たっぷりの光景に、“そそられる”のもわかる気がしてくる。
著者は自称「灯台女子」の不動まゆうさん。大学の資料館で学芸員として働くかたわら、フリーペーパー「灯台どうだい?」の編集発行人を務め、灯台の啓蒙に力を注いでいる。『灯台はそそる』には不動さんの灯台への愛情が溢れており、その魅力や価値が十二分に伝わってくる。
灯台のある風景、とくに夕暮れ時のそれには、ただでさえ哀愁が感じられる。さらに切ないことに、灯台は「滅びゆく存在」なのだ。
灯台の主な役割は、船舶が安全かつ効率的に航行するためのサポート。船の操縦者が現在の位置を知り、他の船との接触や暗礁への乗り上げを避けながら、最短のルートを航行するための目印となる。こうした目印を総称して「航路標識」といい、灯台は光を発し合図を送るため「光波標識」と呼び分けられている。
ところが、近年、灯台に強力なライバルが現れた。GPSである。今はGPSを使えば船は正確に自分の位置を知ることができる。灯台は、技術の進歩に伴いその役割を終えたとも言われているのだ。
さらに歴史のある灯台の中には耐震構造にはなっていないケースも少なくなく、老朽化による倒壊の恐れがあるものも出てきている。不動さんが調べたところ、2006年から10年間で30基を超える沿岸灯台が廃止、撤去されている。灯台はすべて国有財産だが、国は2006年に約600基の灯台の廃止を目標に掲げた。その後、利用者への聞き取り調査の結果などから最終的に廃止する決断に至ったのは382基だという。
実は海上保安庁は廃止に反対の立場のようで「カーナビだけで事故は防げない」と自動車の例を挙げるなどして、事故防止に灯台が必要であることを訴えているそうだ。船の操縦者も「GPSの測定データを見るのにモニターに視線を落とすよりも、前方を見ながら灯台を頼りにした方が安全」と証言。言うまでもなく不動さんら「灯台マニア」は、すべての灯台の存続を心から願っている。
美しい風景の一部としての文化的価値を認めるべき
灯台を「醜い」「邪魔だ」と感じる人はほとんどいないのではないだろうか。また、明治時代に来日した外国人設計のもの、その後に日本人が建造した個性的なデザインのものなど、日本の灯台の多くは貴重な文化遺産として十分に残す価値があると思われる。
海外では、灯台を民間に売却し、住居やホテル、博物館、カフェなどにする例もあるという。国内では市民団体などが、観光資源として灯台を残し、灯台を核とした地域活性化を模索する動きも各地で見られるようだ。海上保安庁も自治体などと連携し、地元住民や観光客に親しまれる灯台をめざした「岬のオアシス構想」を進めている。
不動さんの知り合いの灯台マニアが、こんなことを口にしていたという。「灯台は人工的な建築物なのに自然の風景を邪魔しないように思う」。これは、重要な指摘ではなかろうか。
確かに海や空、山の緑などに包まれた白い灯台は、美しい風景の一部として違和感なく溶け込んでいることが多い。アクセントとして大事な役割を果たしている。もし風景から消えたとしたら、美しくならないとまでは言わないが、凡庸になる気がする。そんなふうに風景の一部になるということは、それだけで存在価値があるとはいえないか。
もちろんすべての灯台を残すべきとは思わない。老朽化の激しく倒壊の恐れのあるものは取り壊すのもやむを得ないだろう。だが、文化財、観光資源としての価値を慎重に見きわめ、民間への売却も含め検討する“余裕”はあっていい。
「錆」と人類の壮絶な戦いを描いたノンフィクション『錆と人間』(ジョナサン・ウォルドマン著、三木直子訳、築地書館)に、「ピカピカの新品だけを大事にするのは、甘やかされた赤ん坊のすることだ。」という一文がある。錆と向き合い、戦いながら古いものの保全を図ることの重要性を強調する表現だが、これは灯台の保全に関してもいえる。すなわち、古いものでもその価値を判断して残す“大人の余裕”が、われわれの社会に求められるのではないか、ということだ。
不動さんは、普段の学芸員の仕事について「数百年前の資料によって、現在の学生が心豊かに育つ」ことを指摘している。未来の人たちのために、心を豊かにしてくれる文化遺産を残すのは、現代人の責務と言ってもよいのではないか。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
不動 まゆう 著
光文社(光文社新書)
219p 920円(税別)>
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