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揺れる「人文社会」の研究基盤

国立大学の予算縮小で発言力低下。文理横断で道は開けるか
揺れる「人文社会」の研究基盤

豊かな教養をどう学生に教えるか(東京大学安田講堂)


「教養の貢献」定義難しく


 そこで研究者が抗弁に使うのが“教養”だ。文学や法学、経済学などの多様な研究は、教養を支え、日本が人材を輩出する知的基盤として機能してきたという論理だ。これを受けて文科省では「それならば各研究の教養への貢献を説明すべきだ」との声が上がっている。

 教養への貢献は成果比較の以前に、説明することも難しい。教養は定義ができず、職種や立場によって求められる知識は変わる。個々の知識が人生を豊かにする効果は計れない。

 声を大きくするために数を集めれば戦略を描けず、分野を絞れば声にならない。無理に自分たちで成果の評価尺度を作れば序列化や内紛のリスクさえある。文系研究者が納得できる戦略も評価尺度もないまま、各大学では学長のリーダーシップのもとに組織改革が進んでいる。

 このジレンマ構造は理学部にも当てはまる。10月末、全国34の国立大学が集まり、国立大学法人理学部長会議の声明として実学志向の弊害を訴えた。経済的な波及効果を示せない基礎科学は企業からの投資を集めにくい。

 東京工業大学の岡田哲男理学院長は「教員のポストがなくなれば学術の継承が絶たれる。地方大学では特定の分野を維持できなくなり、教育の機会が制限される可能性さえある」という。自然科学も分野が細分化され、分野横断的な評価は機能していない。教養としての科学も評価が難しい。
        


文理の対等な協働は日本の特徴を生かせる


 一方、文系も理学も豊かな教養を学生に教えられているかどうかは疑問が残る。授業や研究はもとより、理系の学会が技術課題を整理した開発ロードマップと、文系研究者たちがまとめる社会課題と制度設計、ビジネスモデルが対応していない。

 技術で解決できない課題も制度や運用を組み合わせれば解決できる。例えば資源リサイクルは再資源化の技術開発と資源収集などの制度設計が両輪で進んだ。材料の選別技術が進化すれば、家庭などでの分別の手間が小さくなり、異材が混入しても価値を損なわずにすむ。反対に分別や回収作業を市民が分散して負担すれば、現在の技術では採算の合わない資源もリサイクルできるようになる。

 技術開発と社会課題や運用モデルなどを整理できれば、理系研究者にとっては自身の技術を応用する社会課題が広がり、社会科学系の研究者にとっては異分野の制度やビジネスモデルを水平展開できる。

 総合科学技術・イノベーション会議の原山優子議員は「技術か社会、一つのアプローチで解決できる課題はない。文理の対等な協働は、地方に小さな総合大学を抱える日本の特徴を生かせる」と指摘する。文理横断的なシーズとニーズの再検証が新しい教養の誕生に結び付くかもしれない。
(文=小寺貴之)

記者ファシリテーター


 理系では学生や若手が日々追われている目の前の研究と、社会課題や社会実装がひも付いている研究室は少ないです。余裕のない大学や研究室では学生に基本的な研究手法を身につけさせるだけで精一杯になってしまっていて、研究者人生を生き抜くための教養を教える暇はありません。それでも先生について行かないと研究室に残れません。

 ただ理系の若手は学術界の外にポジションを求めたり、自分のやりたい研究と稼ぐための研究を併走させたりと、生き残りを模索しています。文系の研究者も二足の草鞋を履けないないものか、と先生方に聞いて周りました。実践している先生も「だから学生は民間に就職していく」、「研究者はそんなことは望んでない」、「そもそも産業がない」という先生もいました。
<続きコメント欄で>
日刊工業新聞2016年12月5日
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
 ただパイは縮んでいるので、結託して外のポジションや資金をとりに行く算段をした方が良いと思います。国は人材流動性を高めようとしています。大企業や官公庁に比べて、大学は流動性が高いため、外から人材を受け入れる方が多いです。杉田先生は「大学と同様、民間や官公庁も流動性を上げなければ大学のポストがとられていくだけ。大学人が企業や省庁の中枢に入ることはほぼない」と指摘します。また「(外から来た人は大学で)研究せずに、企業や霞ケ関の代弁ばかりしている」という先生もいました。この副作用をきちんと示して、対等な人材流動性を整えることも社会系の研究者の仕事なのかもしれません。 (日刊工業新聞科学技術部・小寺貴之)

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