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今年のドラマは「あさが来た」! あさと浅子が残したもの


「広岡浅子」 おてんば娘の本当の素顔


 女傑とは、しっかりとした気性と優れた知恵を持ち、実行力に富んだ女性のこと。広岡浅子は、まさにその“女傑”の典型といっていい。しかし、去年までこの名を知っている人がどれほどいただろうか。 

タダモノではない女傑


 2015年秋からのNHK朝ドラ「あさが来た」のヒロインのモデルであり、ドラマが大好評のため、この知られざる女傑に、がぜんスポットが当たっている。かくいう私も彼女の史実本を編集するまで、ひろおかあさこの「ひ」の字も知らず……。しかし、数々の資料を読み込むうちに、彼女の“タダモノではない感”に、次第に惹きこまれていった。

 浅子は三井財閥の分家のひとつ、京都の油小路出水三井家にて嘉永2年(1849)に誕生。男尊女卑の甚だしい時代、お嬢様のお稽古ごとには興味がなく、使用人を相手に相撲をとったりするおてんばむすめだった。

 一方、「論語」を読みふけるほど向学心が強かったが、“女子に学問は不要”と親に学問を禁止される。しかし、嫁ぎ先の大阪の豪商加島屋で、生まれ持っての商才を開花させ、傾きかけた稼業を盛り返す。さらにピストルを持って九州にわたり、リスクの大きい炭鉱業を手がけた。

あまりにも潔すぎるエンディング


 そして、ときの有力政治家と懇意になり、日本初の女子大学校の創立に尽力。夫の死後は実業界からきっぱりと一線を退き、女子大学生の教育を陰ながら支援するという晩年を送った。彼女は69歳で没するが、最期は「遺言はしない。ふだん行っている言葉が、すべて遺言」とだけ。あまりにも潔すぎるエンディングに、ノックアウトされた。いやはや格好良すぎて、惚れ惚れする。

 浅子が天に召されて1世紀近くが経つ。女性の地位が向上し、雇用が拡大するなど、彼女が駆け抜けた時代に比べれば、ずいぶんと女性が生きやすい時代になっているはず。

 それでも、ここまで信念を曲げずに仕事をやり遂げるのは難しい。“七転び八起き”ならぬ、“九転び十起き”の浅子のポリシーがあってこそ。目標達成へのプロセスの途中で、どんなトラブルが起きようとも、自分の信念のもとに突っ走る。とてつもない強靭な精神力に、言葉も出ない。

 数ある広岡浅子の史実本の中で、「おてんば娘の九転び十起きーー広岡浅子徹底ガイド」ならば、彼女のこのハンパない生き方を一番深く知ることができると思う。

 何せ、彼女に関する写真も資料も少なく、世の中に出回る「浅子本」に掲載される写真はほとんど一緒という状態。差をつけるとすれば、史実を基にした編集者やライターの想像力でつくられた企画だが、この本にはそれが随所にちりばめられている。

「絶対に諦めない」大学OBに継承される精神


 たとえば、日本女子大学のOGを集めて浅子について語る、という企画。見た目が非常にキュートな、あるOGはこう言った。「生きていれば苦しい事は多々あります。でも絶対に諦めないことが大事だということを、この学校で教わったんです」。

 不思議なことに、当大学では、これまで広岡浅子についてほとんど学生に周知をしていなかったらしい。その理由は不明だが、日本女子大を巣立った彼女たちが、建学の精神の一部ともいえる“浅子イズム”を継承していることが清々しい。

 そして、意外にも浅子の女子力を知ることができるファッションページも、他社本にはない。立ち居振る舞いが不自由になる着物を嫌い、中年を過ぎたあたりから洋装で過ごすことが多かったという浅子。オリジナルの不鮮明な写真をもとに、彼女の洋装姿をイラストで再現した。当時の最先端モードに、身を包んでいたことがわかるのだ。
(文=東野りか<ライター・編集者>)

2015年11月30日ニュースイッチオリジナル

明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
恥ずかしながらどれだけ泣いたことか。 いつの時代も成功者のまわりには良き理解者、協力者がいる。ドラマを通じて改めて感じたこと。浅子にも波瑠さんにもいたでしょう。

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