アート領域に近づく印刷。「真珠の耳飾りの少女」がビジネスになる時
キヤノン、リコー、富士ゼロックス・・強みの技術を磨く
芸術家が細かな筆遣いにこだわった、世界に1点しかないアートと、大量の複製を効率的に作ることに優れた印刷機。遠く離れたところにある両者が、印刷技術の高度化で近づいてきた。最先端の技術の先から、生まれる商機がある。
レンブラントの最晩年の自画像、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」、ルーベンスの「ろうそくを持つ老婆と少年」。キヤノン社内のある部屋に、世界的な巨匠の油彩画が並んでいた。美術館のように鑑賞者と作品を隔てる柵はない。数センチメートルの距離まで近づき、触れられる。これらは同社が開発した色と凹凸、光沢を再現する新技術「質感印刷」で複製したものだ。
遠目では同じ黒地に人物が描かれた3作だが、近づくとレンブラントの絵はつやつや光り、ルーベンスはつや消しの色で全く違うとわかる。フェルメールの少女の目は少しへこんでいる。パレットナイフで引っ掻(か)いたような線や、修復の跡まで再現した。
谷泰弘キヤノン常務執行役員は、「従来の観賞にはなかった“気づき”がある」と話す。画家のタッチや光沢感の違い、絵画がどう修復されて今に残されたのか。画学生や感受性の豊かな子どもらは、絵との向き合い方が変わるかもしれない。
質感印刷のプロセスは、まず複数のカメラで絵画を撮影して立体的なデータを取得する。次に画像処理により色だけでなく微細な凹凸や光沢の情報を印刷機で再現できる形に変換する。
最後に、紫外線(UV)を照射すると固まる樹脂インクを使ったインクジェット(IJ)プリンターで何層も印刷することで立体的にする。「全てのプロセスの技術を持つことが当社の強み」(谷常務執行役員)。
特に技術が結集されたのは、光沢の表現だろう。光沢の度合いを読み取り、正確に表現するための色・凹凸・透明インクの重ね方などを数値化する技術は極秘のものだ。
この技術はUV硬化型IJプリンター技術を持つ蘭オセがインテリア材料などとして事業化を検討している。凹凸の表現はもちろんだが、光沢は大きな強みになる。例えば、金箔(きんぱく)には明るいものから、光のにぶいものまでさまざまだ。
キヤノンは、この違いをパラメーター化しており、要望通りの光沢感を表現できる。金箔よりもコストを下げられるため、実現すれば注目されそうだ。
リコーは3月下旬に、同じくUV硬化型IJを使って凹凸を表現したゴッホの自画像の複製画を公開した。キヤノンと同じように見えて、技術の強みには違いがある。実は、ゴッホの複製画は3次元計測を行っていない。貴重な絵画の所有者は傷むのを恐れて計測を嫌がることが多いが、それでも画像処理で立体感を出せるのが特徴だ。
複製画の作成にあたって、リコーは絵画を所蔵するデトロイト美術館から自画像を真正面から撮影した写真を受け取った。その平面的な画像データから「半自動的に高さデータを導き出した」(リコーIJ事業部テクニカルソリューション統括室開発一グループの亀井稔人シニアスペシャリスト)という。
(リコーが開発したIJプリンター用ヘッド)
もちろんこの技術は魔法ではなく、裏がある。同社はすでに建材など向けに立体的な印刷技術を実用化しており、その際に色ごとの高さ設定などの画像処理を行っていた。
詳細は明らかにしていないが、この技術を発展させて、ある程度の高さデータを自動的に割り出した。その後で、質感を失わないように人の目で確認して修正を繰り返した。1万×1万ピクセル程度の画像データから、約40センチ×30センチメートルの立体複製画を作成できるという。
絵画複製に取り組んだのは、「細かな表現が求められる絵画を立体的に複製できれば、技術力の高さを示せる」(亀井シニアスペシャリスト)と考えたからだ。約2年前にインクとヘッドの技術が出そろい、開発が加速した。
IJヘッドは、どんなインクも飛ばせるMHシリーズの中で最も細かく印刷できるタイプ。直径30マイクロメートル(マイクロは100万分の1)の穴が4列合計で1280個も空いている。
リコーは今秋に上野の森美術館(東京都台東区)で開催される「デトロイト美術館展」で、ゴッホの自画像の複製画を販売する。絵画で技術力をアピールして、建材などのビジネスで拡大を目指す。
<次のページは、コピー機で古文書復元>
質感印刷、光沢感に違い
レンブラントの最晩年の自画像、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」、ルーベンスの「ろうそくを持つ老婆と少年」。キヤノン社内のある部屋に、世界的な巨匠の油彩画が並んでいた。美術館のように鑑賞者と作品を隔てる柵はない。数センチメートルの距離まで近づき、触れられる。これらは同社が開発した色と凹凸、光沢を再現する新技術「質感印刷」で複製したものだ。
遠目では同じ黒地に人物が描かれた3作だが、近づくとレンブラントの絵はつやつや光り、ルーベンスはつや消しの色で全く違うとわかる。フェルメールの少女の目は少しへこんでいる。パレットナイフで引っ掻(か)いたような線や、修復の跡まで再現した。
谷泰弘キヤノン常務執行役員は、「従来の観賞にはなかった“気づき”がある」と話す。画家のタッチや光沢感の違い、絵画がどう修復されて今に残されたのか。画学生や感受性の豊かな子どもらは、絵との向き合い方が変わるかもしれない。
質感印刷のプロセスは、まず複数のカメラで絵画を撮影して立体的なデータを取得する。次に画像処理により色だけでなく微細な凹凸や光沢の情報を印刷機で再現できる形に変換する。
最後に、紫外線(UV)を照射すると固まる樹脂インクを使ったインクジェット(IJ)プリンターで何層も印刷することで立体的にする。「全てのプロセスの技術を持つことが当社の強み」(谷常務執行役員)。
特に技術が結集されたのは、光沢の表現だろう。光沢の度合いを読み取り、正確に表現するための色・凹凸・透明インクの重ね方などを数値化する技術は極秘のものだ。
この技術はUV硬化型IJプリンター技術を持つ蘭オセがインテリア材料などとして事業化を検討している。凹凸の表現はもちろんだが、光沢は大きな強みになる。例えば、金箔(きんぱく)には明るいものから、光のにぶいものまでさまざまだ。
キヤノンは、この違いをパラメーター化しており、要望通りの光沢感を表現できる。金箔よりもコストを下げられるため、実現すれば注目されそうだ。
3D計測せず立体的に複製
リコーは3月下旬に、同じくUV硬化型IJを使って凹凸を表現したゴッホの自画像の複製画を公開した。キヤノンと同じように見えて、技術の強みには違いがある。実は、ゴッホの複製画は3次元計測を行っていない。貴重な絵画の所有者は傷むのを恐れて計測を嫌がることが多いが、それでも画像処理で立体感を出せるのが特徴だ。
複製画の作成にあたって、リコーは絵画を所蔵するデトロイト美術館から自画像を真正面から撮影した写真を受け取った。その平面的な画像データから「半自動的に高さデータを導き出した」(リコーIJ事業部テクニカルソリューション統括室開発一グループの亀井稔人シニアスペシャリスト)という。
(リコーが開発したIJプリンター用ヘッド)
もちろんこの技術は魔法ではなく、裏がある。同社はすでに建材など向けに立体的な印刷技術を実用化しており、その際に色ごとの高さ設定などの画像処理を行っていた。
詳細は明らかにしていないが、この技術を発展させて、ある程度の高さデータを自動的に割り出した。その後で、質感を失わないように人の目で確認して修正を繰り返した。1万×1万ピクセル程度の画像データから、約40センチ×30センチメートルの立体複製画を作成できるという。
絵画複製に取り組んだのは、「細かな表現が求められる絵画を立体的に複製できれば、技術力の高さを示せる」(亀井シニアスペシャリスト)と考えたからだ。約2年前にインクとヘッドの技術が出そろい、開発が加速した。
IJヘッドは、どんなインクも飛ばせるMHシリーズの中で最も細かく印刷できるタイプ。直径30マイクロメートル(マイクロは100万分の1)の穴が4列合計で1280個も空いている。
リコーは今秋に上野の森美術館(東京都台東区)で開催される「デトロイト美術館展」で、ゴッホの自画像の複製画を販売する。絵画で技術力をアピールして、建材などのビジネスで拡大を目指す。
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日刊工業新聞2016年5月5日