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震災からの復旧−過去の教訓を振り返る。人命最優先でモノづくりを繋ごう

2次・3次サプライヤーもしっかりと複線化

【新潟県中越地震】「取引先の期待」復興の原動力に


 04年10月に発生した新潟県中越地震で震度6強を記録した小千谷市や、震度6弱だった長岡市で工場の操業を比較的早く再開できた背景には三つの要因がある。ユキワ精工(新潟県小千谷市)の酒巻弘和常務は「08年秋のリーマン・ショック前で業務が忙しかったこと。豪雪地帯で工場などの建築物が堅固なことだ」と指摘する。そして取引先からの強力な支援もあった。

 同社は地震発生から2週間後に生産を段階的に再開した。受注残があり「取引先の期待に応えなくてはいけない」(酒巻常務)との思いが復興の原動力になった。「仕事があったからこそ復興できた」と強調する。

 第一測範製作所(小千谷市)は「3日後に被害を免れた製品を再検査して出荷した。取引先も復旧を手伝ってくれた」(大平昭則取締役)。その際の経験を生かし、同社は熊本地震の被災地に従業員を派遣し、九州の取引先を支援する方針だ。

 エヌ・エス・エス(小千谷市)はメーンの建物が大規模半壊し「建物の復旧を進めながら工場を再稼働した」(中町剛社長)。その中で同社もTHKやホンダエンジニアリング、工作機械メーカー各社などから支援を受けた。特にTHKは復旧部隊を派遣し、地震で移動した機械の据え付けなどを行った。

 サンシン(新潟県長岡市)の細貝信和社長は「迂回(うかい)路が寸断されなかったため、時間はかかったが、資材などの供給が止まることはなかった」と振り返る。ただ、九州に自動車産業が集積していることを踏まえ「中越地震とはわけが違う。景気に大きな打撃を与える可能性がある」と危機感を募らせる。

【リケン・柏崎事業所】メーカー間の絆で操業早まる


 07年7月に新潟県柏崎市を中心に襲った新潟県中越沖地震。震度6強の揺れで、リケンはピストンリングなどを生産する主力工場の柏崎事業所(柏崎市)が操業を停止した。部品の供給が絶たれ、日系自動車メーカー全社が生産停止になったが、各社が応援部隊を派遣。約1週間で生産を再開した。

 復活劇には、完成車メーカーと部品メーカーのつながりが深いという日本の自動車産業の特徴が表れていた。

 同事業所と周辺の関係会社で、大部分の加工設備の位置がずれたり、在庫品が落ちたりした。「ピストンリング工場として世界最大級」(当時復旧の陣頭指揮を執っていた古市満氏)という工場の操業停止で、完成車メーカーが19日以降、生産を停止。12社約12万台の生産に影響が出て“リケンショック”として業界に激震が走った。

 自動車メーカー各社は支援部隊を派遣した。ピーク時は800人を超える体制で復旧に当たり、リケンはメーカーからの助言をもとに製造現場を見直すなどして、23日には生産を「ほぼ通常通り」(リケン)再開。完成車メーカーも相次ぎ、操業再開した。

 リケンは災害後も、完成車メーカーの指導を受けてリードタイムの短縮など生産現場の改善を進め、災害リスクを最小限に抑える仕組みを構築している。

ファシリテーター・中西孝樹氏の見方


 BCP対策として1次サプライヤーへの発注を複線化することは従前から当たり前であったが、東日本大震災は半導体や塗料など2次・3次サプライヤー段階で再び単線化していることを浮き彫りにした。この反省に立ち、現在では2次・3次サプライヤーもしっかりと複線発注ルートを整備済みである。この成果が試されるのは、現地の被災者のライフラインを優先的に確保し、交通網などのインフラ復旧が望める段階に差しかかった時だろう。
<続きはコメント欄で>
日刊工業新聞2016年4月19日「深層断面」
中西孝樹
中西孝樹 Nakanishi Takaki ナカニシ自動車産業リサーチ 代表
型・治具の搬送よりも、今は、人命優先なのである。ジャストインタイムを柱とするトヨタ生産システムが、国内自動車産業の国際競争力を生み出す大切な要素であることに疑いはない。根底を支えるのが、ものづくりを支える愚直で優良な人的資源である。ものづくりは地震大国である国内の様々な地域に根付いている。予期しない大地震が自動車生産活動に影響を及ぼすリスクは常にある。大切なことは復元力であり、皆が協力を惜しまずに復旧を実現し、ものづくりを繋ごうとする思いであろう。

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