日立のM&Aはうまくいってるのか。歴史から学び、これからを占う
企業には固有の「規模」や「時間」があり、そこから外れた事業に参入すると失敗する
HDD事業売却「決断できる経営」示す
日刊工業新聞2011年3月9日
日立製作所がハードディスク駆動装置(HDD)事業を売却することになった。これまで課題事業を見切れないのが、日立の悪癖だった。昨年4月に就任した中西宏明社長は「決断できる経営者」であることを示した。ただし注力する社会インフラ事業で成長してこそ、今回の決断が生きてくる。(編集委員・明豊)
HDD事業は2003年に米IBMから買収したもの。7日の売却発表会見では、創業来最大のM&A(買収・合併)について「成功だったのか失敗だったのか」「採点をつけるなら何点か」との質問が投げかけられた。ただ単純に成否で評価するのは大きな意味を持たない。
昨年11月2日。日立は米日立グローバルストレージテクノロジーズ(HGST)の株式上場の準備を開始すると発表。しかしHDDの市況が悪化。昨年末、中西社長は「投下資本利益率を最大化することが私の最大の役目」と話し、上場以外の出口戦略も考えていることを示唆していた。
もともと米ウエスタン・デジタル(WD)は寡占化を進める他社の買収に積極的で、一時は富士通のHDD事業などに触手を伸ばしたこともある。日立側の上場アナウンスが、WDの買収意欲を高め、結果的に好条件を引き出す呼び水になったといえる。
巨額赤字を受け09年4月に子会社から川村隆現会長が会長兼社長として登板。上場子会社5社の完全子会社化などグループ再編を一気に断行した。しかし業績が回復したこともあり、「事業構造改革の勢いは鈍った感じがする。11年度は今後を占う勝負の年」(廣瀬和貞ムーディーズジャパンヴァイスプレジデント)という厳しい見方も出ていた。
HDD事業は07年の古川一夫社長時代に、投資ファンドと売却交渉を進めたことがある。システムLSIやプラズマディスプレーパネル(PDP)などでも事業を完全に切り離す構想もあったが、経営トップの思い切りの無さと社内の“抵抗勢力”がそれを阻んできた。
「今後、成長へのM&A投資では資金調達が焦点になる」(同)中で、中西社長は課題事業の売却で現金35億ドル(約2900億円)を手にするという絶妙な交渉を成立させた。過去の評価よりもこの売却結果の事実の方がはるかに重い。
一方で中西社長は7日の会見でHDD事業を買収しさらに売却することになったことについて、「日立全体でグローバル事業を経営するいろんな経験をさせたもらった。市場に近いところで迅速に決断する力を獲得できたと思っている」とその意義を強調した。
中西社長はHGSTの最高経営責任者(CEO)を経験、その決断力を身につけた象徴である。だからこそ、中途半端な形でなく完全売却というシナリオも実現した。中西社長は「それを広範囲なリーダーに植え付けていくのが私の重要な仕事」と話した。
1週間前。日立は英国の高速鉄道車両置き換え計画(IEP)の受注が内定。社会インフラへ注力するという戦略からみれば、HDD事業の売却とのタイミングは強烈なメッセージになった。しかし個々の事業部門はグローバルで戦えるほど強くない。中西社長もインフラの成長戦略で実績を上げる必要がある。8日の東京株式市場で株価は一時、昨年来最高値を更新したが、「次の決断」への期待値も含まれている。
2016年1月8日公開