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シャープの変調はすでに2004年から始まっていた!「世界の亀山」稼働の裏で

「マーケットを創造し“強者の論理”で世界市場をリードしたことがない」経験不足が露呈
シャープの変調はすでに2004年から始まっていた!「世界の亀山」稼働の裏で

亀山第1工場

 

「次世代」投資に悩む


 今年1月に亀山工場(三重県)が稼働、歩留まりは順調に向上しているようだ。ただ、来年春には、韓国サムスン電子とソニーの合弁会社が、亀山のガラス基板サイズを上回る生産ラインで量産を始める。町田勝彦社長はサムスン・ソニー連合を意識し、年初の会見では「2005年末か2006年初めに亀山第2工場の稼働を考えたい」と強調した。
 
 そのロードマップのままなら、そろそろ第2工場の概要が固まってきてもいい時期。ところが最近になって町田社長から第2工場建設は「もう少しゆっくり考える」という言葉が出てくるようになった。その言葉を深読みすれば、次の投資への“迷い”と受け取ることもできる。
 
 迷いの一つはガラス基板サイズの問題。亀山第1工場の第6世代は「32、37インチの面取りに有効」(町田社長)。今後、液晶パネル販売のボリュームゾーンがどの画面サイズになるかが重要な焦点となる。今回、同社では最大となる45インチを発売するが、45インチ以上の大画面薄型テレビ市場で、液晶がどこまで存在感を発揮できるかだろう。
 
 特に北米や中国市場ではリアプロテレビの人気が高く、そこの土俵にプラズマテレビも加わってくる。町田社長は「より大画面はリアプロで」という方針を打ち出したものの、仮に50インチ台で液晶のニーズがあるとすれば、よりガラス基板の大きい第7、第8世代への投資も選択肢に入ってくる。現段階ではそのニーズが読み切れていない。
 
 もう一つの迷いは、液晶パネルの需給バランスの問題。昨年まではパネル不足で、テレビメーカーは調達に四苦八苦していた。しかし2005年後半から2006年にかけ状況は一変する。シャープの亀山第1工場が高い水準の歩留まり(約70%以上)でフル稼働した場合、年間の生産枚数は約350万枚(32インチ換算)。サムスン・ソニーの新工場は約600万枚(同)で、台湾勢も一斉に増産投資に動いている。
 
 机上の計算ではあるが、2005年度に1200万台という液晶テレビの市場規模予測を大きく上回る供給過剰リスクが存在しているのだ。一方でそのころには液晶テレビの需要が一気に盛り上がるのではないかという見方もあり、極めて難しい投資判断を迫られている。
 

「アクオス」グローバルブランドへの不安


 「アクオス」の販売シェアがこれから下降曲線をたどっても、液晶パネルの外販ビジネスを拡大することで全社の利益水準を維持していくことは可能だ。「将来的に液晶パネルの内販と外販の比率は半々」(町田社長)というのが一つの目安。
 
 亀山工場が稼働したことで、松下電器産業(現パナソニック)や東芝などにテレビ用パネルを外販する余裕もできたが、「韓国や台湾のパネルメーカーに比べシャープ製は高い」(国内家電メーカー)といわれている。台湾勢が低価格攻勢を強めているが、シャープ内には価格競争に巻き込まれたくないという思惑が働き、出荷価格の引き下げに応じていない。そのためソニーへの供給話も一時的にストップしている模様だ。
 
 町田社長の右腕として液晶事業を統括してきた谷善平副社長が6月末の株主総会をもって退任する。台湾や韓国勢と我慢比べが予想される中で、町田社長と谷副社長の後任となる中武茂夫次期専務がテレビ用液晶パネルの外販戦略でどのような機軸を打ち出していくのか興味深い。
 
 「これからテレビ用のパネルをどんどん外に売っていく。それで他社の液晶テレビが売れてしまうというのなら、アクオスの商品力もそこまでということ」(液晶事業幹部)。デバイス事業側にはけれんみの無い割り切った考え方があるのも事実。ただそれはセット部隊への叱咤(しった)激励でもあり、デバイスとセットはあくまで事業の両輪であることは変わりない。
 
 「アクオス」がシャープの企業価値を大きく向上させたのは間違いない。しかし、グローバルブランドになれるかはこれからが正念場。ソニーやサムスンなどの世界ブランドと、台湾や中国製のコストパワーで押してくる企業に挟(はさ)み撃ちに合いながら、「アクオス」はどこにレゾンデートル(存在価値)を求めていくのか―。“変革”への恐れはブランド力を衰退させかねない。(肩書きは当時のもの)

<後記>
 当時から町田社長の頭には液晶パネルの大型投資に不安がよぎっていたことが分かる。結局、亀山第2工場はそのまま投資が実行されたが、続く、大阪・堺の巨大工場の建設では、町田社長と後任の片山幹雄社長との間で意見対立があったとされている。
 
 記事に出てくる奥田隆司取締役は、その後の経営危機で片山社長の後に急きょ社長の座に就いた。2004年当時は周囲も本人すら社長になるとは思っていなかっただろう。パナソニックはPDPから撤退。ソニーもサムスンとの液晶パネル合弁を解消し、現在はテレビ事業そのものも分社した。これから10年後、エレクトロニクス業界の景色は、さらに今とはまったく違うものになっているはずだ。
日刊工業新聞2004年06月22日掲載記事を元に再編集
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
売上高、利益、投資額、従業員数(人材の質)、各種社内制度の充実、、理想はこれらの成長曲線が同じカーブを描くこと。どれかが極端に突出すると、下降の波が来たときに耐えきれなくなる。シャープは明らかに一時期、「身の丈」を逸した。パナソニックもPDPなどで大型投資に失敗、ソニーは約10年もテレビ事業で赤字を垂れ流したが、両社とも巨額赤字に何度か耐えられるキャパシティーを持っていた。今の状況はその違いだろう。

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