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【ペロブスカイト太陽電池誕生】 after story 3 起業の理由

ペロブスカイト太陽電池の製造・販売を目指す京都大学発スタートアップ「エネコートテクノロジーズ」。KDDI豊田合成などから資金調達しており、製品供給は目前に迫る。その歩みは、京都大学教授(当時・准教授)の若宮淳志が、京大生時代の同期で親友だった加藤尚哉を同大の起業支援プログラム「インキュベーションプログラム」に誘った日から始まった。(敬称略)

『やらなければもったいない』-。加藤がエネコートの起業を決断した理由は、突き詰めればそういうことだ。証券会社や投資銀行などを経て高松の不動産会社に所属していた2015年秋、若宮にインキュベーションプログラムへの参加を誘われ、応じた。ペロブスカイト太陽電池の存在は知らなかったが、若宮の説明を聞き、将来性を感じ取った。母校で准教授になっていた、尊敬する親友の要請に応えたい思いも重なった。

「ペロブスカイト太陽電池の有望性に気付く人はいるはずです。たとえ自分が引き受けなくても他の人が引き受けるだろうと思いました。そしてその誰かが成功して上場させて…。最初に声をかけてもらった。これはチャンスだと」

一方、加藤は「仮に『ペロブスカイト太陽電池という有望な技術があるから起業しないか』という誘いだったら起業しなかった」とも振り返る。「創業者は普通、起業時にお金を出さなければいけません。いきなりそれはできないと」。

そして続ける。

「京大が(インキュベーションプログラムという)すごいスキームを整えたことが大きかった。3年間で最大9000万円の資金支援を受けられる。起業前の準備金としては破格。それにそのスキームにはスタートアップを作りたい母校・京大の思いが詰まっていました。大学の取り組みに関わる仕事は名誉です。(インキュベーションプログラムへの参加は)それができる機会でした」

京大の起業支援

若宮に起業を考えるきっかけを与え、加藤が起業家となる決断の土台となったインキュベーションプログラム。その発足は「官民イノベーションプログラム」に端を発する。政府が12年度補正予算に盛り込んだ、国立大学自らが研究成果の事業化を推進するよう促す事業だ。京大と東京大学東北大学大阪大学の4大学向けに出資金と運営費交付金を合わせて1200億円が計上され、京大には350億円が配分された。これを受け、京大はベンチャー・キャピタル(VC)を創設し、主に京大発スタートアップに出資するファンドを組成した。

これらと同時に立ち上げた制度が、研究者と起業家のチームを対象に3年間で最大9000万円を支援するインキュベーションプログラムだった。同プログラムに18年度から関わり、現在は京大産官学連携本部スタートアップ支援部門の部門長を務める小林輝樹が背景を説明する。

「VCやファンドだけでは起業案件は生まれません。そこにつなげる過程を作らなければ、持続的にスタートアップを生み出せないという考えがありました。大学の研究成果を起業家につなぐ仕組みの必要性が議論され、その目玉として創設されました」

同プログラムは京大の狙い通りに機能した。21年度までに50件を支援し、35社のスタートアップを生み出した。官民イノベーションプログラムの期限に合わせて21年度に幕を閉じたが、京大はそれまでの成果を踏まえて、同様の枠組みの継続を重要視し、22年度からは「大学の自主財源からなんとか費用を捻出して」後継プログラム「IPG-Advance(※1)」を運営している。

※1:IPG-Advanceは最大5000万円(1年目に3000万円、2年目は2000万円)を助成する。「インキュベーションプログラム」に比べて支援金額は減額したが、インキュベーションプログラムで支援した50件の実績を踏まえると最低限必要な支援額は確保できているという。

加藤と若宮は16年の第1回公募に応募して採択される。申請16件のうち採択2件という狭き門をくぐり抜けた。それから支援を受けながら準備を進めて、エネコートを18年1月に立ち上げた。

さて、起業から現在までの6年間はどのような道のりだったか。加藤と若宮に最大の難関をそれぞれ問うと、二人は同じ課題を口にする。人材の確保だ。それを解決できた理由も二人の答えは同じ。リコーでペロブスカイト太陽電池の研究を始め、21年1月にエネコートに活躍の場を移した堀内保の存在だ。

強い思いと苦い経験

堀内は焦りを募らせていた。2017-18年ころ、ペロブスカイト太陽電池は世界中で研究開発が行われており、変換効率はどんどん上がっていく。特に中国の研究が盛んになっているようだった。

『スタートアップの意志決定の早さに身を置かなければ、世界の研究に後れを取り、挽回できなくなるのではないか』-。その意識は日に日に高まり、面識のあった若宮が起業したエネコートの存在が脳裏をよぎり、やがて若宮に問い合わせた。「エネコートは求人をしていますか」。

エネコートにとってその連絡は朗報だった。若宮が回想する。

「エネコートで、私の技術を理解してもらえる最高技術責任者(CTO)候補の研究者を探していたのですが、なかなか見つけられず困っていのたで、連絡をもらった時はとても嬉しかったです」

実際、堀内は入社1年後の22年にCTOに就任し、定着した。さらに加藤によると、堀内の実用化に対する強い思いがエネコートによい影響を与えているという。その思いはどこから来るのか。堀内が説明する。

「私は有機合成の研究者として、その知見や技術を生かせるアプリケーションを求めて(有機材料を使う)色素増感太陽電池を研究していましたが、性能面では魅力に欠けると思っていました。その中で、ペロブスカイト太陽電池は登場しました。変換効率は高いし、耐久性もこれからもっと上げられると思います。(軽く薄く柔軟に製造できる)これを実用化して既存のシリコン製太陽電池は置けない場所で利用するといった方法で(脱炭素化などの)社会課題の解決に貢献できる。研究者として魅力ある仕事です」。

一方、その思いを醸成するまでにあった、苦い経験も明かす。

英国・オックスフォード大学のヘンリー・スネイスらが12年にペロブスカイト太陽電池で変換効率10%を超す成果を発表したとき、電気通信大学特任教授(当時・九州工業大学教授)の早瀬修二が「衝撃」と受け止めたことは前に触れた(after#1)。一方、堀内にとってはある場面を思い起こさせるスイッチだった。『あの材料か』と。

堀内はその2年前の10年ころにペロブスカイト太陽電池の存在を知った。エレクトロニクスや電子機器などに関わる業界団体「電子情報産業技術協会(JEITA)」の活動(電子材料・デバイス技術専門委員会太陽電池技術太陽電池用原料・部材・製造装置技術分科会)に参加し、太陽電池に関する研究開発動向などを調査していた。

その一環で、桐蔭横浜大学特任教授(当時・教授)の宮坂力を講師として招いたことがあり、そこで宮坂は09年に自身の研究室でその原型が誕生した「ペロブスカイト太陽電池」を紹介した。堀内はそれを聞き、ペロブスカイトについて無機材料の特性を持つ太陽電池に適したよい材料だと認識したという。しかし、研究にすぐ着手することはなかった。

「当時は色素増感太陽電池の研究で高効率化を目指しており、ペロブスカイトは無機材料に近いものと受け止めました。(太陽電池の)作り方に着目すれば、有機材料の延長にある(塗って作れる)材料と捉えられますが、当時はそこまで考えられませんでした」

堀内は09-14年に、世界のトップを目指す最先端研究を推進する政府のプログラム「FIRST/低炭素社会に資する有機系太陽電池の開発/中心研究者:瀬川浩司東京大学教授(#11)」に参加し、色素増感太陽電池の固体化を研究していた。ペロブスカイト太陽電池の研究を始めるのはその活動期間の終盤、スネイスらの論文に触れてからだった。

「自分はある意味、スネイスと同じ立場でした。スネイスは色素増感太陽電池の固体化を研究していた時にペロブスカイトの存在を知り、すぐにその研究を始めました(#14)。一方、私も固体化を研究している中で、ペロブスカイトの情報に早く触れましたが、すぐに着手できなかった。新しいことをどんどん取り入れる気持ちが足りなかったのでしょう」

この反省は、ペロブスカイト太陽電池の実用化への思いをより強固にしている。

量産、そして上場へ

加藤と若宮が立ち上げ、堀内の参画で体制が安定したエネコートは23年に、トヨタ自動車や東京都などと共同研究を始め、一躍注目を集めている。製品化に向けた研究開発も、堀内が求めたスピードで進められているという。24年にはパイロットラインで製造した製品について販売先を限定した形で供給する予定。すでに量産ラインを整える新拠点の計画を進めており、25年以降に稼働する見通しだ。

堀内は現状に手応えを感じつつ、将来を展望する。

「研究者としてはペロブスカイト太陽電池の車載を実現したいですね。短い距離であれば、日中の太陽光だけで電気自動車(EV)が動かせるようになりますし、非常にインパクトがあります。それにそれが実現できた未来は、ペロブスカイト太陽電池が他のいろいろな場所で生かせている未来だと思います」

加藤は目前に迫る製品供給へ気を引き締める。

「実用化が近づいていますから。まずはそれをしっかり果たしたいです」

同時に、その目は経営者としての目標に向いている。

「今、上場準備に入っています。最短で26年の上場を目指しています。これが達成できると、リスクを取って出資してもらった投資家に報いることができます。ぜひ実現したいですね」

若宮に誘われ、それを好機と感じて引き受けた8年前の自分こそが、事業を成功させて上場させる。その日がうっすら見え始めている。

証言者:加藤尚哉・堀内保・若宮淳志・小林輝樹
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葭本隆太
葭本隆太 Yoshimoto Ryuta デジタルメディア局DX編集部 ニュースイッチ編集長
京大産官学連携本部スタートアップ支援部門の部門長の小林さんは18年からインキュベーションプログラムに関わったのですが、当時は金融機関からの出向だったそうです。その後一度は出向元に戻りますが、京大の起業支援の仕事に魅力を感じ、金融機関を退職して自ら仕事場を京大に戻しました。インキュベーションプログラムは、その制度を通して起業家となった加藤さんや、その制度によってできたスタートアップに大企業から転職した堀内さんの人生を変えたと思うのですが、一人の金融マンの人生もまたひっそりと変えていました。

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