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【ペロブスカイト太陽電池誕生】 after story1 衝撃

次世代太陽電池の本命とされる「ペロブスカイト太陽電池」。英国・オックスフォード大学のヘンリー・スネイスらの研究グループが2012年に変換効率10%を超える成果を発表し、世界中で研究開発が活発になった。日本でもその一報を受け、いち早く動き出す研究者がいた。(敬称略)

「ペロブスカイト太陽電池誕生」までの物語はこちら

九州工業大学大学院生命体工学研究科教授(当時)の早瀬修二にとってそれは衝撃の報告だった。2012年、スネイスらが投稿し、米科学誌『サイエンス』に掲載された論文を目にした。色素増感太陽電池の構造をベースに電解液を使わず、光を吸収する層に「ペロブスカイト」という材料を用いた太陽電池で、エネルギー変換効率10.9%を実現したという。

『〝固体〟で10%を超えたのか』。

早瀬はその日まで、色素増感太陽電池の固体化に15年以上挑み続けていた。しかし、変換効率は6-7%程度で足踏みを続け、停滞を打破する糸口は見えない。だからペロブスカイト太陽電池の衝撃は、早瀬にとって苦しい研究状況の中で訪れた福音でもあった。

『これを研究しよう』。研究室の学生らに声を掛け、すぐにスネイスらの論文を追試した。やがて試作に成功し、色素増感太陽電池のほか、有機薄膜太陽電池などを手がけていた研究室のリソースすべてをペロブスカイト太陽電池に振り向けた。その判断は、ペロブスカイト太陽電池の次世代研究者の育成にもつながる。

色素増感太陽電池の限界

早瀬が太陽電池の研究を始めたのは1995年、きっかけは社内事情だった。大阪大学大学院理学研究科修了後に入社した東京芝浦電機総合研究所(現・東芝研究開発センター)で17年目を迎えた年、エネルギー関連の研究をする方針が掲げられ、太陽電池に着目した。触媒や感光材などを研究対象としてきた化学屋の早瀬にとって手を付けやすい、「酸化還元」という化学反応で発電する色素増感太陽電池をテーマに据えた。同電池は、スイス連邦工科大学ローザンヌ校のマイケル・グレッツェル教授が91年に発表(#2)し、国内でも研究が盛り上がりつつあった。

固体化は研究開始の当初に掲げた目標だ。

「実用化を見据えると、耐久性の低さや液漏れの原因になる電解液は避けたい。液体を使わない太陽電池ができないかと考え、まずはゲル状の電解質を用いる研究から始めました」

ただ、実用化の壁は高い。01年には、より自由な研究環境を求めて九工大に所属を移しながら研究を続けたが、変換効率はなかなか上がらず、すでに普及し始めていたシリコン製の太陽電池に及ばない。そこで製造コストの低さによる価格の安さがアピールポイントになるはずなのだが、それも社会情勢が許さなかった。中国製の安価なシリコン製太陽電池が市場を席巻し始めていた。

「太陽電池など用途が限定されている研究は研究者同士の競争だけでなく、社会情勢がとても大きく影響していきます」

色素増感太陽電池の研究者らは、そこで別の差別化要素を模索する。低い照度でも発電できる特性を生かした室内用途はその1つで、リコーは後に事業化にこぎ着ける。この舞台裏は後に触れる。一方の早瀬が活路を見出そうと考案した方法の一つが「円筒形」だった。

円筒形はフィルム基板で作製した色素増感太陽電池を丸めてガラス管に入れ、完全に封止した状態にすることで、耐久性を高める。「長持ちする太陽電池」を売りにしようと考えた。

ちなみに早瀬は現在、色素増感太陽電池をペロブスカイト太陽電池に置き換えて「円筒形」の研究を続けており、実用化を目指している。

しかし、やはり太陽電池の核は変換効率だ。話を当時に戻せば、色素増感太陽電池についてその低さを補うだけの価値を見出すのは難しかった。だから多くの研究者は頭を悩ませた。研究が停滞する中で、新星が登場した。ペロブスカイト太陽電池だ。

「渡りに船でした。私だけではなく、色素増感太陽電池に関わる多くの研究者がそうだったと思います」

それから前述の通り、早瀬はペロブスカイト太陽電池の研究に注力してきた。65歳で定年を迎えた19年には、電気通信大学i-パワードエネルギー・システム研究センター特任教授に着任し、今なお続けている。

現在は円筒形とともに鉛を使わないペロブスカイト太陽電池の研究にも注力する。高い変換効率を出すための重要な要素とされる一方、毒性のある「鉛」を「スズ」に置き換えたペロブスカイト太陽電池で、早瀬は20年に変換効率13.2%(当時の最高値)を達成した。「実用化には鉛を使ったものと同等の性能が必要」として現在は変換効率20%以上を目指す。

「鉛含有のペロブスカイト太陽電池も設置・管理体制をしっかり整えたビジネスモデルを構築すれば、実用化できるでしょう。一方、鉛フリーが実現すれば、家庭などを含めてより自由に利用できるようになります」

鉛フリーはペロブスカイト太陽電池をより社会に普及・定着させる上で重要な技術になる。早瀬はそれを実現して社会に「福音」をもたらすための挑戦を続けている。

「さきがけ」で異例の判断

ペロブスカイト太陽電池の研究に関わる早瀬の判断をもう1つ紹介したい。舞台は若手の挑戦的な研究を支援する科学技術振興機構(JST)のプロジェクト『さきがけ・太陽光と光電変換機能』だ。09年度に始まったこのプロジェクトで早瀬は研究総括を務めた。企業での研究業績や経験を持つ、有機系太陽電池分野の第一人者としてJSTにその任務を依頼されたためだ。そして、さきがけ活動も後期に入った13年春頃にJSTの担当者から相談を受ける。

「さきがけのメンバーを対象に新たにテーマを設定してチーム研究を立ち上げられないでしょうか」

「それならペロブスカイト太陽電池はどうでしょう」

早瀬の研究室ではすでにペロブスカイト太陽電池の試作に成功し、将来性を感じていた。だから太陽電池の分野で新たな研究テーマを求められたとき、脳裏に浮かぶのは必然だった。そうして若手研究者の有志が参加する共同研究グループ『ペロブスカイト成果結集プロジェクト』は13年夏に立ち上がった。JSTが追加で2000万円程度の予算を付け、ペロブスカイト太陽電池の研究を対象にした初めての国プロになった。

さきがけにおいて、その期間中に追加予算を計上する事例はそれまでなかったとみられる。つまり、同プロジェクト創設の背景にはJSTの異例の判断があった。ペロブスカイト太陽電池にそれほどの可能性を見ていたのか。必ずしもそうではなかったようだ。

当時、「太陽光と光電変換機能」を含むさきがけなどのプロジェクトに関わっていたJST研究プロジェクト推進部部長の古川雅士が個人的な見解を含むと断った上で背景を証言する。

「ペロブスカイト太陽電池は当時、変換効率がどんどん上がっていましたが、耐久性の低さや鉛含有の問題があり、本当にモノになるかどうかは見通せない段階でした。ただ、現場の担当者と研究総括の話し合いで上がってきた提案ですし、若い研究者が挑戦するテーマとしては良いのではないかという判断がありました。さきがけは若い研究者同士のインタラクションを促す機能も特徴ですから、その新たな方法として試行する狙いもありました。その中で、2000万円という少額ならなんとかひねり出せるだろうという感じで決断しました」

成果結集PJ始動

「ペロブスカイト太陽電池をテーマにした研究プロジェクトを立ち上げるので、興味がある人は私の研究室に来てください」-。早瀬はさきがけのメンバーにそう呼びかけた。そして、13年8月に福岡県北九州市にある九工大の早瀬研には参加を希望した約10人が集まった。

その中に、研究者人生の転換期を迎えていた若手がいた。早瀬が「チームをまとめる力がある」と見立て、プロジェクトのリーダーに指名した京都大学化学研究所准教授(現・教授)の若宮淳志だ。

若宮はその後、ペロブスカイト太陽電池の研究で成果を重ねる。また、2018年1月にペロブスカイト太陽電池を製造・販売するスタートアップ「エネコートテクノロジーズ」を起業する。KDDIや豊田合成などから資金を調達し、トヨタや東京都などと共同研究を始めて大きく注目されることになる。

証言者:早瀬修二・古川雅士・若宮淳志
主な参考・引用文献:さきがけ「太陽光と光電変換機能」研究領域事後評価用資料/さきがけ「太陽光と光電変換機能」研究領域追跡評価用資料
ニュースイッチオリジナル
葭本隆太
葭本隆太 Yoshimoto Ryuta デジタルメディア局DX編集部 ニュースイッチ編集長
本文に登場する早瀬先生や若宮先生がペロブスカイトを使った太陽電池の情報に初めて触れたのは、実はスネイスらの論文が発表される1年ほど前だったそうです。米国の研究者による、ホール輸送剤にペロブスカイトを用いた色素増感太陽電池の報告しでした。ただ、他の研究者は再現できず、当時はデマカセなのではという声もあったとか。ただ、今となっては現在主流の鉛系ではなく、スズ系のペロブスカイトを使っていたため、不安定で作るのが大変だったからとされているようです。

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