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【ペロブスカイト太陽電池誕生】 after story 2 覇権を取り戻す

若手の挑戦的な研究を支援する科学技術振興機構(JST)のさきがけ「太陽光と光電変換機能」(2009-2016年度)において共同研究グループとして立ち上がった「ペロブスカイト成果結集プロジェクト」。リーダーとして参加した京都大学化学研究所教授(当時・准教授)の若宮淳志はそれをきっかけにペロブスカイト太陽電池の研究をはじめる。やがて成果を積み重ね、次世代の研究者の旗手になる。(敬称略)

「ペロブスカイト太陽電池誕生」までの物語はこちら

「若い君たちの手で覇権を日本に取り戻して欲しい」。若宮が迎えた研究者人生の転換期は、桐蔭横浜大学特任教授(当時・教授)の宮坂力の言葉と共にある。2013年12月、東京都府中市にある研修施設。若宮はさきがけのメンバーとして全体会合(第9回領域会議)に参加していた。

領域会議は1年に2回程度開かれ、研究総括だった電気通信大学特任教授(当時・九州工業大学教授)の早瀬修二が毎回、ゲスト講演者を招くことが恒例だった。その日のゲストとして登壇した宮坂は『躍進するペロブスカイト系有機ハイブリッド太陽電池の開発と課題』と題して講演した。その中で、自らの研究室でその原型を生み出したペロブスカイト太陽電池の研究が英国・オックスフォード大学のヘンリー・スネイスや韓国・成均館大学のパク・ナムギュらの手によって飛躍したこと(#14)に触れ、聴講する若手研究者を激励した。若宮はその言葉に発破をかけられた。

「僕がやりますよ」。若宮は講演後、宮坂にそう伝えたことを覚えている。

目的型研究で柱を立てる

屋根に塗った触媒を介して二酸化炭素から変換したメタノールが雨樋から流れてくる-。若宮は35歳を迎えた2010年ころ、人工光合成技術を活用したそんな住宅の実現を夢に見た。京都大学大学院工学研究科博士後期課程修了後、名古屋大学助手時代から手がけ、その面白い特性に魅せられた「ホウ素」に関する基礎研究では、日本化学会進歩賞を受賞(12年には文部科学大臣表彰若手科学者賞を受賞)し、研究者として高い評価を得ていた。准教授として大学から誘いがある中で、これからの研究者人生に思いを馳せた。

「65歳で退職するまであと30年間、社会に役立つ仕事がしたいと思いました。理想としては自分の興味の赴くままの基礎的研究とは別に目的型研究でもう一つの柱を立てたいと。今後重要になるテーマを考え抜き、エネルギー・資源問題にたどり着きました」。

とはいえ、植物の機能を再現する人工光合成技術の実現は難しい。そこで、太陽光エネルギーを電気エネルギーに変える研究をしようと「かなりの妥協」をして太陽電池に目を付けた。それまで培った有機化学の知見を生かしてよい太陽電池を作ることで、貢献できると考えた。ちょうどそのころにJSTがさきがけ「太陽光と光電変換機能」第2回の応募を受け付けていた。

「当時は太陽電池の『た』の字も知りませんでしたが、2週間ほど関連の情報を調べて、自分ができる材料設計を提案しました」

さきがけは異分野の研究者が互いに交流しながら1つのテーマに取り組み、新しい技術シーズの創出を目指すプロジェクトだ。その意味で、若宮の参加はJSTの期待通りだったと言える。

さて、若宮は10年に母校・京大の准教授に着任して、さきがけの採択を受ける。そして色素増感太陽電池向けの有機色素材料の研究を始めるが、やがて限界を感じ始める。

「新しい材料のコンセプトを提案して論文にはなるのですが、得られる物性は大きく変換効率を高められるものではありませんでした。10%に届かない水準で、小数点以下の効率向上を重ねていました。(すでに普及していた)シリコン製の太陽電池は20%ですから。根本的な限界があるのかなと感じていました」

早瀬が証言したように、色素増感太陽電池研究者にとっての「渡りに船」、ペロブスカイト太陽電池がエネルギー変換効率10%を超えて注目を集めたのはそのころだ。そして、早瀬やJST担当者らの話し合いによってペロブスカイト成果結集プロジェクトは立ち上がる(after#1)。

勝てる分野

「リーダーになりませんか」―。成果結集プロジェクトのリーダーを早瀬に依頼され、若宮は喜んで引き受けた。ペロブスカイトという材料に可能性を感じていたし、有機化学で培った経験が成膜に生かせる直感もあった。そして13年夏に10人ほどの研究者らとともに九工大の早瀬研究室に集まり、ペロブスカイト太陽電池の試作を見学した。その現場の光景に若宮は驚く。

ペロブスカイト膜はヨウ化鉛の溶液を用いて脱水環境で生成するが、不安定な化合物を有機合成してきた若宮からすると、その現場は脱水環境が非常に甘かった。そしてその驚きは、有機化学の基準で研究すればよい成果を出せるだろうという見通しに変わり、ペロブスカイト太陽電池の研究に対する若宮の最初の貢献へとつながる。

「学生から助手時代にかけても不安定な化合種の合成・単離の研究をしており、究極に脱水脱気した環境でモノを作る技術を持っていると自負していました。(そのため)ペロブスカイト太陽電池の研究の最初の切り口は徹底的な高純度環境で作製することだと。その中で、早瀬研の脱水環境を見たことが決定的でした」

そして、ペロブスカイト膜の作製に使う材料や溶媒、環境を徹底的に脱水・脱気・高純度化する。この研究過程で、市販のヨウ化鉛は純度が「99.999%(trace metal basis)」という表記でも2000ppm(1 ppmは 0.0001%)もの水が含まれていることを発見した。この試薬の脱水精製法を開発し、変換効率13%を超えるペロブスカイト太陽電池をコンスタントに作製できるようにした。この試薬は東京化成工業によって14年10月に高純度化ヨウ化鉛として市販され、現在は標準材料として世界中で使われている。

「(12年に変換効率10%超を報告した)スネイスらの論文ではサポーティング・インフォメーション(補足資料)があり、そこでは同じように作っても変換効率にバラつきが出ると報告されていました。その理由が分からず、(高い変換効率を再現できずに)世界中の研究者が苦しんでいました。その中で我々が開発した高純度化ヨウ化鉛を用いると高い変換効率を安定的に再現できると。(研究の進展に)大きく貢献できたと思います」

前述の通り、若宮はペロブスカイトという材料に可能性を感じていた。とはいえ、研究開始当初は研究の再現性が悪く、特性もよく分かっていなかったため「怖くて学生を付けられない」試行的なテーマでもあった。しかし、研究を進め、その特性が明らかになるにつれ「ペロブスカイトは本物」と考えるようになる。同時に胸の内にはある思いが芽生えていた。「これは自分が勝てる、つまり自分にしかできないブレークスルーが実現できる分野だ」と。

「ペロブスカイト太陽電池は簡単に作れます。それがまずすごい。それに(吸収した光エネルギーを電気エネルギーに変えやすい)無機材料の良さを持ちつつ、有機材料のように塗って太陽電池を作成できます。有機材料を使う理由は、塗って作れる太陽電池を実現したかったから。ペロブスカイトは『塗れる無機材料』。それなら自分が目指したことを実現できます。そして、不安定な化合物を扱う有機化学の感覚が生かせるテーマだと」

若宮はその後、2016年に日本で初めて変換効率20%を超える成果を出す。現在は鉛を含まないペロブスカイト太陽電池の実現などを目指す。前述(after#1)したが、ペロブスカイト太陽電池は有害な鉛の含有が課題として指摘される。実用化当初は適切な管理体制を確保した上での供給が見込まれるが、メーカーを始め、鉛フリーの実現に期待する声は大きいという。

「鉛フリーは挑戦のしがいがある技術です。なぜ鉛が高い変換効率に貢献しているのかを含めて研究したい思いがあります。もし、鉛フリーの技術を確立して効率や耐久性が高く環境負荷も低いペロブスカイト太陽電池が実現できれば、誰の文句もなく普及するでしょう。そうしたら35歳の時に自分が描いた夢が実現されます」。

スタートアップ創業

若宮のペロブスカイト太陽電池に関わる取り組みを語るとき、研究者とは異なるもう一つの顔も見逃せない。京都大学発スタートアップ「エネコートテクノロジーズ」の創業者だ。きっかけは、京大が16年度に始めた「インキュベーションプログラム」。京大の研究成果を事業化するために、研究者と起業家が協力してベンチャー・キャピタル(VC)からの資金調達を目指す活動を支援する制度だ。

京大が同プログラムの立ち上げを準備していた15年当時、若宮にはスタートアップを立ち上げるモチベーションがあった。危機感だ。

「有機ELや有機薄膜太陽電池の研究で、よい技術を持っていても短期的な視点でしか投資できず、研究を止めてしまう企業の姿を見てきたのでまずいなと。ペロブスカイト太陽電池は国内で実用化する企業がいなければと考えていました」

とはいえ、起業には経営者になってくれる相方が必要になる。そのとき、若宮の脳裏には「証券会社や外資系銀行に所属し、企業買収や立て直しなどスケールの大きい仕事に従事していると聞いていた、本音で話せる親友」の顔が浮かんだ。京大生時代の同期、加藤尚哉だ。15年秋のある日、若宮は加藤に連絡し、伝える。

「京大がインキュベーションプログラムという起業支援を始める。一緒に申請してくれないか」。

証言者:若宮淳志・早瀬修二・加藤尚哉・宮坂力
主な参考・引用文献:さきがけ「太陽光と光電変換機能」研究領域事後評価用資料/さきがけ「太陽光と光電変換機能」研究領域追跡評価用資料/『化学』(2019年4月号)/『黄檗』(2015年2月号)
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葭本隆太
葭本隆太 Yoshimoto Ryuta デジタルメディア局DX編集部 ニュースイッチ編集長
若宮先生が科学に強い関心を持ったきっかけは、高校1年生の時に読んだ雑誌「ニュートン」だそうです。光の波長と色の関係を紹介しており、波長の話で世の中の色が説明できると知り、その日から学校に行くまでの風景が全然違って見えるようになったと。光の世界に魅せられて科学を志した研究者が今、光エネルギーを活用した脱炭素のキーデバイスを世の中に普及させようとしています。

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