中古品販売店の倒産劇、収益モデルの破綻を覆い隠していた不審な勘定項目
1984年創業の井野産業は、「山賊村」の名称で雑貨やアパレル、事務機器、機械工具、食器、厨房(ちゅうぼう)用品など中古品やアウトレット品を販売していた。地元の五條市だけでなく、福井県や新潟県などにも店舗を開設。破産・廃業した企業や一般企業の在庫品、個人の遺産相続にかかわる遺留品・不用品などを買い取り、店頭で販売していた。18年には代表交代と同時に不用品回収や遺品整理などを手がけるリリーフ(兵庫県西宮市)と連携した営業展開をスタートさせた。
しかし、20年に入ってからは新型コロナウイルス感染拡大の影響で実店舗の売り上げが急減。さらに、持続化給付金やゼロゼロ融資が中小零細企業の資金繰りを支えたことで倒産が減少した結果、破産管財案件での商品買い取りなどにおいて、大手企業との競争が激化した。
22年には金融機関へ返済の先送りを要請したものの経営状態は深刻で、先送りの協議は頓挫。セールを行い在庫の処分を進めていたものの、思うように売り上げが伸びないまま事業継続を断念した。
一見すると、コロナ禍がビジネスモデルに大きな影響を与えてしまったと思える破綻だが、決算書を見ると不審な勘定科目が浮かび上がる。数期にわたって増え続ける「貸付金」だ。22年1月31日時点の短期貸付金として計上されている3829万9148円は関係会社に対するものとされていたが、実際には貸付金ではなかった。
井野産業は業務の一部を関係会社へ外注していたが、同社が外注費を支払う処理をした場合には赤字が膨らんでしまうため、外注費をいったん貸付金として資産に計上していたのだ。そして約4年もの間、同様の処理を続けてきたのだという。つまり、コロナ禍前から井野産業の収益モデルは破綻していたということだ。自社の課題から目をそらし続けてきたツケがコロナ禍で露呈する形となった。(帝国データバンク情報統括部)