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平田機工社長が言い切る、社長としてやりたいたった一つのこと

従業員を含めて家族、家長として家族を守れ―。平田雄一郎社長は、平田機工の前身となる会社を創業して生産システムを手がけるシステムインテグレーターの礎を築いた祖父に幼い頃からそう言われてきた。現在は「私が社長としてやりたいことは一つだけ。それは従業員を守ること」と言い切る。経営基盤の強化、黒字の継続、新規事業など取り組んできたすべては、その一点のために尽きる。

「祖父は経営者、父は技術者だった」と振り返る。先々代の社長だった父は新技術に常に挑んでいた。平田社長は研究開発をはじめとする挑戦の伝統を引き継ぐ。「挑戦すると必ず失敗する。失敗から新しいビジネスが生まれる」と従業員の背中を押す。

熊本県経済界の一人として意欲的な若手経営者が地元で増えていることを歓迎する。彼らには「困難にぶつかったときには力になってくれる人が必ずいる。どんな困難でも仲間がいれば乗り越えられる」とエールを送る。

大きな経験と位置付けるのが米国駐在。30代で渡米して現地法人で自動車メーカーから生産ラインを受注しようと奮闘した。技術力があっても信頼を得られず悔しい思いをした。自動車メーカーは1日でもラインが止まれば大きな損失。信頼は絶対必要だった。

信頼を得るため、ラインの課題を解決できる営業、設計、製造のチームを編成し、エンジニアが思いきり作業できる工場を建てた。説明のためエンジニア以外でも分かりやすい図面も作成した。「いろいろなことを全部やって」受注を成し遂げた。米国では、常識に縛られない自分の視点を持つこと、数値に基づく判断、プライベートの充実なども含め多くを学んだ。

2016年の熊本地震直後に本社を東京から熊本に移した。「熊本で生まれ育った企業としていつかは戻りたいと思っていた」。震災による従業員や地元の苦難を前に「今戻らないといけない」と決断した。仕事を通じて地域社会に貢献できると従業員の士気は上がった。熊本から移転する企業もある中で県民を勇気づける決断でもあった。

会社はチームであると認識する。「チームの力をどう上げていくか。社長が一人で頑張っても何もできない」。そこで重視するのが従業員の幸せ。「平田機工で働く人の全てを幸福にできたとき、会社も発展できる」。中期経営計画には会社にかかわる全ての人を幸福にすることを掲げている。(九州中央・片山亮輔)

会社にかかわる全ての人を幸福に
【略歴】ひらた・ゆういちろう 89年(平元)平田機工入社。04年HIRATA Corporation of America会長、05年平田機工副社長、11年社長。熊本県出身、61歳。
日刊工業新聞 2022年11月29日

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