落合陽一氏が語る「教育」と「研究」
人工物と自然物の区別がつかない「デジタルネイチャー(計算機自然)」の世界を探求する落合陽一氏。ピクシーダストテクノロジーズ(東京都千代田区)の最高経営責任者(CEO)として空間を制御する技術の社会実装を目指す傍ら、筑波大学図書館情報メディア系准教授を務め、人間の感性の解明や活用を目指す感性情報学などを研究する。多様な一面を持つ落合氏に教育について聞いた。
【連載】スイッチを入れる人:新たな取り組みで市場や仕組みを生み出したり、誰かの挑戦を後押ししたりする人がいます。そんな社会変革の“スイッチ”を入れる人に、狙いや展望を聞きました。
―大学教員としてのキャリアのきっかけは。
元々アカデミアでの研究や組織に興味があった。アカデミアは研究と人材育成の二つがセットになっている。自分の専門分野の言葉が伝わる人が増えることは意義がある。例えば、法律家は法律が分かる人の言葉で話す。研究者であれば、研究が分かる言葉で話すことが最も情報伝達として効率が良い。そのため一般の人には伝わらなくても、5年間ほど一緒に研究をすれば、すごく話が伝わる人を育てられるというのは有意義だ。
―発見や開発といった研究の成果に至るには、どのようなプロセスが求められますか。
アカデミアは3年くらいすると人が入れ替わり、強制的に若い世代と触れ合う構造になっており、社会や自分も変化している。一方で『2年前も(学生が同じ事を)言ったな』ということを繰り返す中で(普遍性などの)発見に出会うことがある。新しいことが分かったり、体験したり、見つけたりするプロセスでは常に思考を新しくする必要がある。
―「研究をしたい人はすでにやっている」と語っていますが、一方で研究の道へ導くことも教育の側面としてあるのではないでしょうか。
研究はしたい人がすれば良い。野球に例えれば、キャッチボールを教えてあげて『野球は楽しいよ』と伝えることはできる。ただ、みんながプロ野球選手を目指さなくてもいいし、プロ野球選手の中でも、みんながホームランを狙わなくていい。得意なことをするべきだ。
―では学生をどのように指導するのが良いでしょうか。
個人的に指導として『学生がずっとやれることか』を意識している。人間はなかなか時間がないので得意なことじゃないと、どうしても付け焼き刃になってしまう。また私の方が(忙しくて)締め切りに追われることも多い。そうであれば、彼らが意識しなくても一生続けられるテーマを見つけるのが良いと思う。それでこそ私と一緒に研究をする意味が出てくる。
―得意なことであれば、思い悩まずに続けることができますね。
意識しないとできないことは、結局“やらされ仕事”になってしまう。やはり、言われなくてもやれることしか価値は出せないのではないか。私自身は大学に加え、会社の仕事もこなしているが、全く苦にならない。それは苦手なことはやっていないからだ。向いていないことをやると疲れる上、続けられない。
―社会人の学びも同様の視点が重要ですか。
もちろんだ。無理してやることはない。実際、好きなことでも学ぶことが苦行な人はいる。運が良ければ、それでご飯を食っていくことができるが、気にせずやれることをやればいい。私の研究なども自分のやれることしか、やってこなかった。結果がついてくるかにかかわらず、やれることに取り組めばいい。
【略歴】おちあい・よういち 東大院学際情報学府博士修了。筑波大デジタルネイチャー開発研究センター長兼准教授。専門はメディア芸術、知能化技術や視聴触覚技術を用いた応用領域など。「メディアアーティスト」としてデジタルネイチャーと呼ぶ新しい自然ビジョンを目指す。35歳。