量子技術は素材開発をどう変えるか
計算技術の進化が素材開発を大きく変えている。人工知能(AI)を使った大量データ解析により新素材開発を効率化するマテリアルズ・インフォマティクス(MI)は化学業界に浸透しつつある。その次と目されるのが「量子技術」だ。まだ難易度の高い領域をどう見るのか。量子コンピューター活用から疑似量子技術まで、複数の視点から今後を探る。
東京大学と日本IBMが2021年に国内初のゲート式商用量子コンピューターを稼働させ、産業界では量子コンピューターの活用に向けた研究や技術開発が一層活発化している。化学業界は熱心な業界の一つ。電子の状態から材料の構造や性能を計算する「量子化学計算」を効率化できる期待があるからだ。
電子などの極めて小さなものは「量子」と呼ばれ、粒子であり波であるという不思議な性質を持つ。いくつもの異なる状態を同時にとる“重ね合わせの状態”で存在する。これを古典コンピューターで計算するのは複雑で、膨大な時間がかかる。精度を落として計算するのが一般的だ。一方、量子コンピューターは、量子の重ね合わせ状態を使った計算機のため量子化学計算と相性がいい。
ただ、実際の計算は簡単ではない。三菱ケミカルグループは21年5月、日本IBMやJSR、慶応義塾大学と共同で、量子コンピューターの実機を使い、有機エレクトロ・ルミネッセンス(EL)材料の発光時の励起状態計算に世界で初めて成功したと公表した。以前の計算は、水素分子など簡単な構造のものだけ。実用材料の計算に使えたことは大きな前進だった。
三菱ケミカルグループは対象の有機EL材料の特許を持ち、知り尽くしている。「最初は期待する答がなかなか出なかったが、実機のエラーを取り除きながら計算するアルゴリズムを考案してエラーを克服し、実験データを再現できた」と、サイエンス&イノベーションセンター、マテリアルズデザインラボラトリーの高玘(こうち)上席主幹研究員は説明する。
この計算の時、量子コンピューターで扱ったデータの単位は2量子ビットだった。量子ビット数が多いほど高度な計算ができ、古典コンピューターの性能を上回るクロスポイントはおおよそ60量子ビットという。同社は扱う量子ビット数を段階的に増やし、現在は数量子ビットとなっており、あわせてアルゴリズムも進化させている。
実用化の際、量子コンピューターに期待されるのは未知の材料の計算だ。「全く新しい材料の物性評価は大変。量子コンピューターを使い計算で確認できれば、材料開発のやり方は画期的に進化する」と、同ラボの樹神弘也所長は期待する。他社に先行してアルゴリズムなどの研究を推進し、いち早く革新技術を手に入れたい考えだ。実用化は「5年では難しいが、2050年ほど遠くない。今やらないと間に合わない」(樹神所長)。
また「量子コンピューターは今までの延長ではない。新しい革命になる」と高上席主幹研究員。大学との連携を通じ、量子AIなどの可能性も模索する。