究極の米を世界に発信。金賞受賞の6農家から高価買い取り
東洋ライス、TPPにらみ生産者の意欲向上と日本のコメの価値高める
無洗米製造機を実用化、ガムがヒントに
雑賀は淡路島への観光船に揺られていた。視線を下げると黄土色の海。1976年当時、リンなどによる水質汚染が問題になっていた。リンはコメのとぎ汁にも含まれる。これが無洗米開発のきっかけだ。
精米後、水で洗って粘着質の肌ぬかを取り除き、乾かすと無洗米になる。この無洗米製造機は2年後に完成した。だが日の目は見なかった。これだと肌ぬかの混じった水を排出してしまう。振り出しに戻った。
水を使わずにどう取り除くか。この方法が見つからず、11年間が経過した。ある日、雑賀はズボンにガムが付いているのに気付いた。軟らかくしたガムを上から当ててはがした時にひらめいた。「肌ぬかもガムも粘着質。肌ぬか同士をくっつけたら、水がなくてもはがれるのでは」。精米機の心臓部はステンレス製。肌ぬかは油分を含んでいるため付着しやすい。これを生かした。付着した肌ぬかにコメをぶつけて取り除く。開発着手から約13年、90年に無洗米製造機の実用化にこぎ着けた。
無洗米は“Bran Grind(ぬかを削る)”の頭文字から「BG無洗米」と呼ばれ、現在、市場シェアは7割以上。生産は東洋ライスのほか、製造機をリースしている精米業者の全国56工場が担う。
ぬかにも可能性
無洗米製造機の開発の一方、雑賀はぬかに可能性を感じていた。「コメをといだ後の手はつるつるになる。ぬかという字は『米偏』に健康の『康』と書くぐらいだから何らかの栄養素が含まれていると思っていた」。
精米すると味は良くなるが、栄養素は減る。研究するとコメとぬかの境目に栄養素を含む部分があった。これが亜糊粉層だ。02年に亜糊粉層を残せる精米機の開発に着手。ロールの設計や回転数を見直し、コメに均等に圧力をかける均圧精米法を確立した。そして完成したのが「金芽米」だ。
24日、東洋ライスはイトーヨーカドーの「あたたかのお米シリーズ」に、金芽米の「新潟こしひかり」「秋田あきたこまち」「北海道ななつぼし」が採用されたと発表した。「宮城ひとめぼれ」と合わせて4銘柄が年内に出そろう予定。
今でこそ人気を博している金芽米だが、06年1月の発売時は消費者から「まずい」との苦情が殺到した。調査すると多くが通常のコメを炊く時と同じ量の水で炊いていた。亜糊粉層は水を多く吸うため、水を増やさないとふっくらと炊きあがらない。告知不足だった。だが炊飯器の目盛りは通常のコメ向け。であれば目盛りに合わせて金芽米の量を減らしたらいい。
側面にへこみがある金芽米専用カップを開発し、無料配布した。水加減に悩まずに炊ける。「苦情がなくなった。相手になりきることを忘れていた」。雑賀は原点を再認識した。
「金芽米」で農業活性化
栄養価が高くておいしい「金芽米」。コメの品種や産地を問わずに精米できるからこそ、金芽米で日本の稲作を応援できる。東洋ライス社長の雑賀慶二は「金芽米による日本のコメ農業の活性化戦略」を掲げている。
全国の農家が育てたコメを東洋ライスが金芽米に加工する。最小3トンから受託し、海外でも展開する。高付加価値のコメを高価格で販売できるビジネスモデルを構築し、生産者の利益向上や後継者問題解決に取り組む。雑賀は「6次産業の活性化につながる。水田が増えることにより、日本の原風景も守れる」と笑顔をみせる。
活性化戦略は2013年11月にスタート。この間、徳島県石井町役場が学校給食に金芽米を採用した。庄原里山の夢ファーム(広島県庄原市)、ファームドゥ(前橋市)は地元産のコメを金芽米にして販売している。
東洋ライスサイタマ工場(埼玉県坂戸市)に東日本地域で収穫された玄米が集まってくる。これを加工し、金芽米にして出荷する。工場長の清水敏行は「東日本のコメ農業活性化の一翼を担っている」と胸を張る。
農家と二人三脚
13年9月、雑賀は滋賀県の稲作農家で稲刈りを手伝った。そこで再認識したのは、農家の仕事の大変さだった。「コメの消費量は減少傾向にあり、農家は高齢化している。何とかして現状を打開し、活性化しなければならない」と痛感した。
だが旗を振るだけでは意味がない。「現場を知り、農家と二人三脚で、コメの総合メーカーとしての責任を持ってコメとコメ農家の地位を高める」。雑賀は活性化戦略への思いを強める。従業員も農家に足を運ぶ。思いは伝わっている。
東洋ライスは1961年の設立以来、一度も赤字転落していない。14年3月期は売上高97億円。15年3月期は同100億円の大台が視野に入る。石抜き機からスタートし、精米機メーカーとして成長。精米技術を生かし、無洗米、金芽米という“コメの新分野”を創出した。
「10代後半のころに少量精米サービスで家業を立て直したが、稼ぐだけの人生ではつまらないと思った。精米機の販売店の息子として生まれたのだから、コメに携わるのは運命。徹底的にコメの可能性を追求し、社会貢献しようと決意した」。雑賀はこう振り返った上で、「経験や能力がある健康な老人は働いて税金を納める“納税老人”であるべきだ。そして納税老人が活躍できる社会にしなければならない」との持論を展開する。これが雑賀を突き動かしている。
雑賀は15年1月に81歳になる。「いつまで現役続行かって?。エネルギーの続く限りや」。雑賀は挑戦を続ける。
(敬称略、文=山田諒)
日刊工業新聞2016年1月26日生活面