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究極の米を世界に発信。金賞受賞の6農家から高価買い取り

東洋ライス、TPPにらみ生産者の意欲向上と日本のコメの価値高める
究極の米を世界に発信。金賞受賞の6農家から高価買い取り

日本のコメ農業を活性化するため、雑賀社長(中央)はコメ農家とのふれあいを大切にしている

 東洋ライス(東京都中央区)は、究極のコメをつくる「世界最高米」事業を始める。国際大会で金賞を受賞した玄米6品を厳選、農家から1キログラム1900円と異例の高価格で買い取り、独自技術の熟成・加工を施して同1万1000円と通常の10倍以上の価格で5月末をめどに発売する。生産者の意欲向上と日本のコメの価値を世界市場にアピールする。

 新商品は「金芽米 じゅくせい」。2015年11月に「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」で金賞を受賞した18品から6品を厳選。約3・8トンを購入し、さらに2トンを再厳選・ブレンドする。

 自社開発の「エコグリーンカプセル」で熟成し、人の免疫力を活性化するリポ多糖成分含有量を大幅に高めるという。すでに高級料理店のなだ万、能魚菴たん熊、京王百貨店が販売先に決定した。

 東洋ライスは環太平洋連携協定(TPP)の大枠合意を受け、安価な外国産米が国内に大量流入し、国内の水田の減少することを懸念する。「免疫力を高め、病気を防ぐ」という価値で国際競争力獲得を目指す。

65年間、コメに魅了された男の物語


2014年9月に連載した連載「勝つ 東洋ライス編」より


 65年間、コメに魅了されて可能性を追求している男がいる。東洋ライス社長の雑賀慶二だ。努力が結実した「金芽米」。2014年1―4月期の消費量は前年同期比5・5倍の約2万トン。すでに13年の消費量に迫る。14年は同7万トンの見込み。勢いが増している。

 レンジで調理するパックご飯「タニタ食堂の金芽米ごはん」。発売から約2年、14年9月時点で累計1000万食を出荷した。「実は提携するまでタニタを知らなかったし、こんなに売れるとは思っていなかった。タニタはすごいね」。雑賀は驚きを隠さない。

 一方、タニタの担当者は「以前、タニタ食堂で『コメの味がバラついている』との声があった。そんな時に金芽米を知った。健康食を届けるとのコンセプトにぴったりだったため採用した。一気に商品も開発した」と振り返る。

 もみ殻を取り除いた玄米から胚芽とぬかを取り除いたのが白米だ。この際、ビタミンやミネラルなどを含んでいる亜糊粉層(あこふんそう)と呼ばれる部分も取り除かれる。一方、金芽米はここを残す。13年5月に香川大学医学部客員准教授の稲川裕之らが学会で「金芽米は自然免疫力を高める成分『LPS(糖脂質)』が通常の白米の約6倍含んでいる」と発表し、人気に拍車がかかった。

技術の集大成


 同年11月、お弁当チェーン「ほっともっと」などを運営するプレナスグループが採用し、現在、国内外2996店舗で提供している。理由は「おいしいご飯にこだわっている」(担当者)からだ。イトーヨーカドーも5月、プライベートブランド商品「あたたか 金芽米 宮城ひとめぼれ」を発売した。現在、全国約130店舗で取り扱っており、「販売が伸びつつある」(担当者)と手応えを感じている。

 雑賀は「金芽米は単なるコメではなく、健康に貢献する機能性食品として評価されている」と言い切る。評価は国内だけではない。米国の取扱店は現在の6店舗から11月に15店舗になる予定。価格は国内の2倍だが、それでも選ばれている。

 金芽米は精米技術の集大成でもある。精米機に内蔵している独自のコメ循環ロールで、コメ粒に均等に圧力をかけて削り過ぎずに亜糊粉層を残す。精米機、異物や色彩などの選別機、計量包装機、搬送機、測定機。ロールはこれらの装置開発でコメ粒と向き合ってきたからこそ完成した。

 このロールがあれば、どのコメも金芽米に精米できる。「コシヒカリ」「ササニシキ」といったブランド、産地を問わない。“金芽米ブランド”の潜在力はここにある。

1升から精米


 1945年、当時11歳だった雑賀は川魚を捕るのを日課としていた。父は精米機の販売・修理業を営んでいたが、空襲で家などが焼失して打ちひしがれていた。腹の足しにしようと必死だった。「川魚だって捕まりたくはない。だから川魚になった気分で仕掛けをつくった。するとたくさん捕れるようになった」。相手になりきってアイデアをカタチにする―。これが開発者としての雑賀の原点だ。

 49年に中学校を卒業し、細々と続いていた家業の手伝いを始めた。そして、精米機を仕入れられないほどの借金があることを知った。機械修理だけでは返済が追いつかない。雑賀は顧客の立場で考えた。ふと浮かんだのが精米の不便さだった。

 当時の精米機はある程度の量でないと精米できなかった。だがコメは配給制。米屋に少量のコメを持ってきて断られる人を何回も見ていた。「機械の内部のコメの流れを手でガイドしたら精米できるのではないか」。2カ月後、店の中古機を使ってこの方法で1升から精米を受け付けた。家族は「そんなことをしている場合か」と反対したが、行列ができて月2万円の収益を上げた。精米機の販売を再開できる基盤が整った。

 10年後、販売と修理で顧客を訪問する日々。複数の顧客から「コメに石粒が混ざっており、間違えて食べてしまう」と聞いた。メーカーに石抜き機の開発を頼んだものの、「何百年も解決できなかったこと。できるはずがない」と一蹴された。「ならば自分で作ろう」と決断した。

売れると確信


 開発の経験はなかったものの、コメと石になりきって考え抜いた。ある日、ふと頭をよぎったのが子どもの時に買ったかつお節の箱だった。底をたたくと塊は下に、削り節は上に分かれた。鉄箱にコメと石粒を入れてたたいてみたが、分かれない。家族から「開発はいいから、本業に専念しろ」と言われたが、「需要がある」と譲らなかった。比重と摩擦で分離する機構を開発し、完成したのは1年後だ。

 初号機を米屋に持っていった。米屋は手作業で石粒を取り除いたコメを持ってきて「出るはずがない」と鼻で笑って機械に流し込んだ。次々に石粒がこぼれると「これを置いていけ!」と真剣な表情になった。売れると確信した瞬間だった。

 61年に東洋ライスの前身、東洋精米機製作所を設立し、兄の和男が社長に就任。「自分は開発に専念したい」。63年に雑賀技術研究所を立ち上げて会長に就いた。ついに“お米の総合メーカー”への第一歩を踏み出した。

日刊工業新聞2016年1月26日生活面
日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
 東洋ライスの前身は「東洋精米機製作所」。お米に混ざった小石を取り除く装置の開発を皮切りに、精米技術を向上させていきました。「米は日本人の主食だ。機能をしっかり発揮させれば薬にもなる」と力説する雑賀慶二社長が開発した金芽米は、大リーグ・シアトルマリナーズの青木宣親選手などアスリートにもファンが多く、どの産地の米も高栄養米にする精米技術で作られます。それは装置開発の技術の結晶であり、先頭に立って開発に当たった雜賀社長のエンジニア魂の結晶です。  雑賀社長は常々「水田は日本の原風景。絶対になくしてはいけない」とも口にします。水田を守るべく日本産米の価値を高めるために精米技術を駆使する雜賀社長には、米を愛し続ける信念が感じられます。 (日刊工業新聞社東京支社・山田諒)

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